#oshiro/城郭記
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#oshiro

Author:#oshiro
―城郭数寄者
城郭(最近は近世が特に…)と数寄建築・茶の湯が好きで、各地のお城や茶室を巡っています。中世城郭も好きですが、今は写真メインで巡ることが多く、土造りの城より石垣が築かれた城に足を運んでいます。
[注意!!]元々理系なため、文章がメチャメチャ下手糞です。と、ここで保険をかけておきます。



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近況について
このブログ、もう再開しない気がする。

別に何か起きたわけでもなく、別のブログ更新に
夢中になって、このブログは放置プレイ城態。

別のブログも主テーマは「城」。
そっちのほうが、自分にはあってるらしく、
90日毎日更新が続いている。

自分に不可なく、そして楽しく、何より読みやすく
そんな城ブログを目指して日々奮闘中です。

以上

2013年6月

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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術


広角レンズと普通ズームレンズ
#2 広角レンズと普通ズームレンズ 【雑記】

久々にブログ記事を書いてみる。
今回は攻城記ではなく、単なる雑記。
以前まで書いていた虎御前山城の記事、完結してないんだけどね…

タイトルにもあるように、今回はカメラレンズのお話。
先月、奮発してデジ一の広角レンズをやっと購入した。
(記事にするぐらいだから、ちょっちテンション上がってる。)

松阪と名古屋での練習に続いて、和歌山・丹波篠山を撮ってきた。

その和歌山では、デジ一の醍醐味でもあるレンズ交換を4回繰り返して
撮影したので、その時の所感を以下にまとめてみた。

使用しているカメラは、EOS 7D
交換レンズは、
Sigma DC Lens 8-16mm F4.5-5.6 DC HSM(先月購入した広角レンズ)
Canon EF-S18-200mm F3.5-5.6 IS(7Dとセット購入したズームレンズ)
の2つ。

和歌山城の歴史については読まれている方のほうが詳しいと思うので
ここでは省略するが、城主が数回変わったこの城では石垣の変遷が面白い。

下の写真は2つとも、松の丸角櫓台石垣

【Canonズームレンズ】

和歌山20121103_和歌山城松の丸角櫓台石垣47

【Sigma広角レンズ】

和歌山20121103_和歌山城松の丸角櫓台石垣41

表現の差が一目瞭然だと思う。上の写真は見たまんまが写っているので、
物を正確に伝える場合は、有効的な写真だと思う。

一方、下の写真は、上の写真を撮った時より、大分被写体に近づいている。
ズームレンズで撮影した石垣にそこまで反りがないのに対して、こちらは
扇の勾配と言わんばかりに反り上がっているのが分かると思う。

次は、岡口門北塀
岡口門は元々和歌山城の大手だったけど、後に搦手に変更された場所であり、
また戦災を免れた城の遺構の1つで、現在では岡口門と北塀が国の重要文化財に
指定されている。

【Sigma広角レンズ】

和歌山20121103_和歌山城岡口門北塀2

【Canonズームレンズ】

和歌山20121103_和歌山城岡口門北塀6

広角レンズだと、12mmにしても上のような写真までしか撮れず、
ズームレンズでは、離れていても望遠側で撮れば、漆喰の剥げ具合までよぉーく観察できる。
(本当はそんな剥げ具合観察出来ちゃいかんのだけど仕方ない。)

ちなみに連立式天守群は下のように広角レンズで撮れた。

【Sigma広角レンズ】

和歌山20121103_和歌山城連立式天守群11

普通ズームレンズでは、この位置でこの範囲は写せない。広角側でももっと後ろに
下がらなければ全体を入れるのは無理で、こうした足場に限界があるときは、
広角レンズのメリットが十分発揮できると思う。
ただ、建物はグワーンと湾曲するので、これが良い悪いは好みだと思う。

次は、奥山稲荷社からの和歌山城俯瞰写真。
稲荷社は和歌山城の守り神として、頼宣公が駿河より遷座したもので、
横には吉宗創建の時鐘堂があります。

【CanonズームレンズA】

和歌山20121103_奥山稲荷社から見た和歌山城1

【CanonズームレンズB】

和歌山20121103_奥山稲荷社から見た和歌山城21

AとBの写真、両方ズームレンズで撮影したもの。
広角レンズは?というと、Aの写真よりもっと小さく写っているので
非掲載とした。

以上のように、レンズのメリット・デメリットはあるもので、
被写体の表現にもスゴく違いが出てくることから、好みが分かれると思う。

どっちのレンズにも良い所があるので、使い分けるのが一番良いと思うんだけど、
正直、レンズ交換を現地でやるのが物凄くめんどいのと、すんげー神経使うので疲れる。
だって、センサーにホコリとかゴミが入ったらねぇ…
なので、開放されているけれど、売店のベンチを使って慎重に交換した。
本当は、密閉空間のお店に入ってやるほうがいいらしいけど、そこまでは出来んかった。

やはり、18-200mmが旅向きと言うのがよく分かる。

だから、今まで旅先でデジ一2つ下げてるおじさん達を何だか
あれはないよなーって思っていたのが、今だとその気持ちが分かる。
自分も2つ欲しい。。。

翌日の丹波篠山は広角レンズ1本で終始撮影していた。
(本当は交換しようと思ってたんだけど…)

篠山城、表門二重桝形

丹波篠山20121104_8516

広角レンズ、桝形とか便利だと思う。
右の道が入ってきた場所、左の道が大書院へと続く。
普通ズームレンズだと、こうは撮れないので非常に良いと思った。
クランク具合が1枚の写真に収まるとは…

次は、現二の丸(旧本丸)石垣西南面。
※現や旧とつくのは、江戸時代に各曲輪の名称が変更されているため。

丹波篠山20121104_8916

篠山城築城時の突貫工事の象徴である犬走りから撮影したもの。
犬走りということで、これより後ろに下がると、内堀である水堀にボチャンしてしまう。
近くのものは大きく、遠くのものは小さくというように石垣が表現されているのが
よく分かる。

やっぱり、広角買ってよかったな。
っていうのが結論。



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浅井氏と年号について
【浅井氏と年号について】

浅井氏が滅亡した1573年は、
よく書籍などでは、天正元年と記されていることが多い。
多いと言ったのは、別の書き方で表している書籍もあった。

織田信長浅井長政姉川合戦で衝突した年が元亀元年(1570年)。
織田信長は、将軍義昭による織田信長包囲網で苦しめられることになり、
元亀年間の信長との対立を元亀争乱とも言う。

元亀元年の1570年から数えれば、1573年は元亀四年に値する。
そのためか、少数ながらも本によっては、元亀四年と記すものもあり、
最初の頃、「?」と思うことがしばしばあった。
ただ、多くの書籍で天正元年とされていることから、元亀四年は間違って
書いているのだろうと思うことにした。

それから数日後、『浅井長政のすべて(新人物往来社)』の小谷落城という
項目を読んで間違いではなかったことを知った。

実際、1573年の年号は元亀四年だったのだが、七月二十八日から
改元されているとのこと。

昭和から平成に改元されるときは、物心がつく前だったのでリアルタイムでは、
記憶に残っていない。後々、テレビ番組などで当時、内閣官房長官だった小渕
恵三氏が“平成”の二字を掲げていたことを目にしたことがあった。

その改元は天皇の大権に属することであるにもかかわらず、織田信長は
「元亀は不吉也」として改元を強要したという。

しかし、浅井長政は改元された以降も、文書には「元亀四年」または
「元亀四」の年号を使用している。
この点を、改元の事情を知っている長政が、発給する文書に元亀の年号を
頑なに貫き、信長に反抗する抵抗を示していると解説していた。

これを読んだ時、今までしっくり来なかった元亀四年と天正元年の
両表記が混在することに納得がいった。

浅井長政側から見れば、元亀四年。
織田信長側から見れば、天正元年。

本によって違いがあるのは、書き手の思い入れがあるかもしれない。
元亀四年で書いている本は浅井氏に肩入れして、執筆してるのかも
しれないなぁ~

んなわけないか。


参考文献:浅井長政のすべて(新人物往来社)



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