#oshiro/城郭記
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Author:#oshiro
―城郭数寄者
城郭(最近は近世が特に…)と数寄建築・茶の湯が好きで、各地のお城や茶室を巡っています。中世城郭も好きですが、今は写真メインで巡ることが多く、土造りの城より石垣が築かれた城に足を運んでいます。
[注意!!]元々理系なため、文章がメチャメチャ下手糞です。と、ここで保険をかけておきます。



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第一席/お茶処「松江」
第一席/お茶処「松江」 【松江編 #23】

松江城の記事はまだ終わりじゃないけど、区切りがいいので
ちょっと小休止。今日は“数奇”について書こうと思った。

数奇に関して、ブログで書くのは初めて。
1年前の自分では考えられなかったけど、いつの間にか
2012年の間に“茶の湯”へと傾倒していった。

きっかけはなんだったんだろう…。と考えていると、
真っ先に思い浮かぶのが「へうげもの」。
案外チープなものだった…。

まぁそんなのがきっかけで今や抹茶碗を作るのに陶芸したり、
茶室を見つければ、すぐに入ったり…という生活が身に染み付いてきた。

それは旅先でも同じ。そのため、松江という地は自分得な所で、
思いっきり楽しめた。史跡巡りがいつの間にか、数奇を求めて
茶の湯巡りと目的が変わっていたが、中には松江市の文化財に
指定されている茶室や不昧公ゆかりの茶室があったので、茶室
巡りがある意味史跡巡りでもあった。

松江市には、茶室が100ヵ所以上ある!!
初めて聞くと驚くかもしれないけど、松江がお茶処としても
有名である所以だろう。

1世帯あたりの緑茶の消費量は全国3位、また抹茶に伴う和菓子
消費量も全国3位。来客時のおもてなしだけではなく、日常生活に
おいて10時と3時の休憩にはお茶を点てる習慣があるんだとか。
(おいおい、マジかよ…。素敵すぎるだろ。)

松江駅ロータリーにある国際観光案内所に入ると、そこには
茶室があってビックリした。観光案内所というおもてなしだけ
でも十分ありがたいのに、茶室まであるという…。
まぁお抹茶は飲めなかったけどね。いや、もしかしたら頂けた
かもしれない。この時は、そば処を聞くのに必死だった(゚A゚;)

松江20121127_163
[Photo]観光案内所内の茶室「去来庵」

で、そんな都市にしたのは、やはり松江藩中興の祖とも言われる
松平家7代藩主松平治郷公の影響が大きい。通称、不昧公と言われ、
このブログでも度々名前が出てきた。

毎年秋には松江城で「松江城大茶会」が行われる。茶の湯の流派には
いくつかあり、メジャーな表千家裏千家、その他に松平不昧公から
始まったとする不昧流など地元の10流派(抹茶6流派、煎茶4流派)が
参加して、独自のお点前を披露して賑わう。


[Movie]松江城大茶会(不昧流)

会場は松江城以外に松江歴史館ともう1ヶ所あるそうだけど、やっぱり松江城内
で頂くのが格別な気がする。裏千家の茶席では、城内に植えられた松をそのまま
活かした演出で、まさに秀吉が催した北野大茶会さながらの光景が眼前に広がった
そうだ。今年2013年は第30回とあって、盛り上がるかもしれないので、秋の時期を
狙ってまた松江に行きたい。

さて、茶の湯界のスーパースターと言ったら誰だろうか。
100人に聞きました、ってアンケートを取れば100人全員
千利休と答えるのではないだろうか。大げさかもしれないけど
でも、本当にそうかもしれないと思わせる人物なので、やはり
茶の湯界のスーパースターに相応しい人物だと思う。

そんなリキュウさんの名前を冠した茶室が松江にある。

松江城内郭の東隣に『松江歴史館』という資料館が建てられている。
以前の記事に何回か登場していきているから、このブログを読んでいる人に
いちいちまた説明する必要はないだろう。その歴史館の奥にトイレがあり、
そのトイレよりも奥へ行くとあまり人が立ち入らない静かな場所がある。
そこが『伝利休茶室』と呼ばれる茶室で、解体して保管されていたが
時を経て、“松江に残る最古の茶室”として平成の世に復原された。

大橋茂右衛門という人物を覚えているだろうか?前回の松江城東の防衛で、
松平氏時代に家臣ナンバー1として屋敷を構えていた人物である。
元々は広島城主福島正則に仕えて関が原の戦いで武功を上げて、福島家減封
際には交渉役を務めるなどかなり名声が高かった人で、そんな人が福島氏改易後、
実は出雲に入国する前の京極忠高に3000石で召抱えられていた。京極忠高と言うと、
堀尾氏の後の松江藩主。その後、大橋茂右衛門は京極氏転封後、京極氏の次に
出雲に入ってきた松平直政に仕えるようになった。だから前述したように、松平氏が
松江藩の時代には家臣ナンバー1となっていたりする。

その京極氏に従って、大橋茂右衛門も松江に来た。
そのときに屋敷に移築したというのがこの茶室。大橋家に渡る以前の説として、
千利休が門人堀尾但馬(堀尾吉晴の従兄弟)に譲ったという話や、福島正則
千利休指導のもとに建てたとも言われている。だから『伝利休茶室』。
※堀尾但馬は石高は3000石あり、重臣として松江藩堀尾氏時代にはこの
歴史館がある区画内に屋敷を構えていた。この但馬が持っていた説は、
茶室を保管していた木幡家に残る「座敷・茶室上棟文書」による。


松江20121127_松江歴史館「伝利休茶室」06
[Photo]伝利休茶室、三畳台目席

写真を見ても分かるように、この茶室には窓が多い。
そのため、別名「八ッ窓の茶室」とも呼ばれている。

刀掛けの壁には、福島正則が加藤清正を招いたときに、清正の三尺に余る
長刀が刀掛けに納まらず、やむなくあけたと伝えられる珍しい穴もある。
※福島正則が最初の客に予定していた清正の太刀が収まるように、
予め壁に穴を開けるという設計をしたとも言われている。


これもこの茶室にまつわる逸話の1つだろうけど、だとすると福島正則が
千利休指導のもと建てたという説を支持したい。

資料館内にある復原された茶室、屋外ではなく館内にあるところがまた面白い。
千利休や古田織部が天から見ていれば、現代の美意識に対してどう感じているだろうか。
これもひょうげていて面白いと言っているかもしれない。

この茶室は見学のみで、抹茶を頂くことは出来なかったが、館内に併設されている
喫茶きはる”では、雲州日本庭園越しに松江城天守を鑑賞しながら、お抹茶を
頂くことが出来る。
(一服出来るような仕組みではなかったと言った方が正しいかも。復原前の話ではこの
茶室で一服して、茶の湯文化に触れて頂きたいなんて文言があったんだけどね…。)

天守を借景するなんて、二条城を思い出す。二条城も二の丸御殿から庭園越しに
天守を望む事ができるように配置されたなんてことが言われている。

松江20121201_縁結び
[Photo]喫茶きはるの上生菓子抹茶セット

上生菓子は数種類あって、その中から好きなものを選ぶわけだが、選ぶのに
めっちゃ時間をかけてしまった。やっぱり出雲に来たからには、これだろぉ~
ということで“縁結び”という上生菓子を選択。

形は、ハート型。
少し照れくさかったが、お抹茶と合わせて美味しく頂いた。

注文する人の中には、上生菓子を持ち帰りで買って帰る人もいた。
ここで和菓子だけ買って、松江城内で野点するのもまた乙かもしれない。

“きはる”というのは以前、松江城内に植えられた椿、それが市の花にも
なっていると紹介したが、その「椿」の字の偏とつくり(「木」と「春」)に
分けた言葉から命名された。

これから松江に行くという人には、茶の湯巡りをおススメする。
普段せかせか働く日本人に、そんな仕事の事なんか忘れさせてくれる
“おもてなし”が松江で待ち受けている。

以上

今回はここまで。また次回。



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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術




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