#oshiro/城郭記
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Author:#oshiro
―城郭数寄者
城郭(最近は近世が特に…)と数寄建築・茶の湯が好きで、各地のお城や茶室を巡っています。中世城郭も好きですが、今は写真メインで巡ることが多く、土造りの城より石垣が築かれた城に足を運んでいます。
[注意!!]元々理系なため、文章がメチャメチャ下手糞です。と、ここで保険をかけておきます。



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浜松城-1/歴史学の趨勢
浜松城-1/歴史学の趨勢

人生で嫌なことなんていくらでもある。
440年前の今日、徳川家康も嫌な思いをした。

浜松で。

今、浜松駅に降り立つと『出世大名家康くん』がロータリーで
出迎えてくれる。昨年?だったかな、浜松のゆるキャラとして
誕生した。

そして、浜松城と言えば『出世城』として売り出し中。
天下統一した家康公にあやかって…というのもあるが、江戸時代浜松城
から老中大坂城代など幕府の要職に就くものが多く出たことにも由来する。
水野忠邦なんか自ら進んで浜松城主になったと言われる。

そんな浜松城のHPをググると、『徳川300年の歴史を刻む出世城。浜松城』が
まず目に飛び込んでくる。歴史のページには、ほとんど家康の事ばかり書かれ、
他の城主については、最後に年表で紹介されるくらい。

まぁどこぞの城サイトよりはマシだろう。どんな事情があるか知らないが、
そのサイトでは城主1家しか書かれていない。年表からも築城者などは
全て省かれている。これでは、Wikiを読むほうが勉強になる。

話が逸れたが、とにかく浜松城は“家康色”が強い。

でも昨年面白い企画展が行われた。
浜松市博物館で10/20~11/25の間、『浜松城主 堀尾吉晴』という
特別展が開催された。実はこれに行ってきたわけではないのだが、
松江で堀尾氏菩提寺の圓成寺に行った時、ポスターが貼ってあって、
それで知った。

さて、浜松城に初めて天守を建てたのは誰か?

家康だと思う人がいるかもしれないが、答えは「堀尾吉晴」。
今、歴史学の趨勢では、この堀尾吉晴が浜松城に石垣を築き、
天守を建てたことになっている。

書籍によっては、石垣の増築と表現されているが、近年進められている発掘調査で、
吉晴が本丸と周辺の石垣を築いたことが決定的になった。現地ではまだ「これは、
四百年前の家康築城の頃の面影を残す貴重な石垣です。(以下、略)」と案内板が
置かれている。

これが「堀尾吉晴」となるのはそう遠くないと思うけど、
家康推しの今の浜松城では何だか想像し難い。

IMG_4811.jpg
[Photo]浜松城模擬天守のライトアップ

松江城の石垣同様、浜松城の天守台も後年の積み直しがかなりされている。
現在見る天守台石垣は約5メートルだけど、堀尾期にはこれよりも低く、約3
メートルと推測されている。

ここ数年、「天守門跡」「富士見櫓跡」等の発掘調査が行われた。
天守門跡の発掘調査では、石垣の上から礎石が出てきたことから
二階建ての構造、つまり櫓門であることが分かった。ここで出てきた瓦
には堀尾期のものと思われる軒平瓦が出てきたので、堀尾氏時代まで
遡ることが出来る。

そして、昨年の調査では雨落溝と排水溝の接続部分の解明が行われた。
そう、これは今日松江城の記事にも書いた排水溝。

この雨落溝というのは、復元時に大変貴重なデータになる。

もし、消失した門を復元しようと思った時、指図などに正確な寸法が示されて
いないとき、礎石と雨落溝の位置関係から門の軒の長さが推定される。現在、
浜松城ではこのような発掘調査の成果や現存資料を基にして、先日家相学の
記事で紹介した三浦正幸先生の検証及び復元図から、天守門の復元が去年
10月から約2ヵ年計画で進められている


明治初年に撮影された天守門は、櫓門形式ではない普通の城門に見えるんだけど、
今回復元されるものは、それ以前に建てられていたものってことになりそう。

吉晴が築いた松江城、その原点を見ることが出来る浜松城。
松江城同様に、天守台には穴蔵があり井戸があったことが分かっている。
この井戸は復興天守が建てられた今も、地下で見ることが出来、松江城
との共通性を確認できる。

浜松城の前に支配していた居城は佐和山城で、ここも別の武将
イメージがあまりにも強すぎる。

安土城築城に携わった堀尾吉晴が、石垣・礎石建築物・瓦の
築城技術三点セット
を最初に導入したのはどこだったのか。

浜松城より前の佐和山城だったかもしれない。
佐和山城の本格的な発掘調査は行われていないので、
今後の調査研究に期待したい。

以上

今回はここまで。また次回。



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NAGOYA WARS
【NAGOYA WARS(Date:2012/2/19)】

2012/2/19は、名古屋城関連のイベントが2つあった。
(知っている範囲で)

一つは、ニュースにもなっていた天守木造復元化の討論会。
一般市民が傍聴できるということで参加者を募っていたが、応募は見送った。

ところで、最近映画館に行かれた人はいるだろうか?

なんとスターウォーズEPISODEⅠが、3Dで2012/3/16に公開される。
館内には、ダース・モールがデカデカとプリントされた大きなポスターが飾られている。

速攻、前売り券を買った。
これも嬉しい仕様で、3D公開にちなんでホログラムになっている。
こんな前売り券、今までに出会ったことがない。

話が、いきなりスターウォーズに逸れてしまったが、それには理由があった。
ツイッターをやっていて気になる話が飛び込んでくる。

それは、2/19にダース・ベイダーが名古屋城に来るというのだ。
なんとーっ!!それは行かねば。

でも、最初は半信半疑だった。すぐに名古屋城の公式サイトで調べたものの、
特にニュースなどで発表されていない。

調べていくと、スターウォーズ3Dの公式サイトで、名古屋に出現するということは
書かれていた。また、ダースベイダーを撮影し、Faebookまたはツイッターで
写真をUPし、ハッシュタグをつけると、劇場で記念品がもらえるという。
これは絶対にダースベイダーを見つけなきゃならんと思った。
で、最終的に11:00~11:30の間、名古屋城に出現するということが分かった。
いや、攻めにくるということが…

二ノ丸に来るというので、東門から攻めてくるのだろうか。と思いつつ、
2/19を迎える。

当日、出るのが遅くなり、名古屋城正門には11:02ぐらいに着いた。
まっすぐ二ノ丸へと向かう。

何やら声が…

もう始まっているのかと思いきや、おもてなし武将隊織田信長
喋っていただけだった。

この時いた武将隊は、織田信長・徳川家康・前田利家の三人。
周りにはすでに人だかりが出来ていて、大きなカメラを向けている報道陣も多く来ている。

信長が、いつもは撮影にこんのに、こーゆーおいしい話の時だけ来やがる。
ちゃんと、ワシらも撮影しろよ、と言う。話を聞いていると、ここにダース・ベイダー
が来るのは間違いなさそう。しかし、すでに時間は11:10を回っていた。

人が多すぎて、後ろから見ることになったが、まぁ出だし遅れたから
しゃーないかと思っていると、陣笠の二人の前座が始まる。

IMG_9539 のコピー

今日来るゲストは、何でも透視が出来るそうな。という内容でスタート。
陣笠の一人が、このトランプに書かれているのは何だ?と聞き、一方が答える。
しかし、数字しか正解しなかった(笑)

前座が終わると、武将隊三人の演舞に切り替わる。

一人目は、一番左にいる前田利家から。
槍を振り回しながら、自己紹介をしていく。

次は、一番右にいる徳川家康。そして最後は中央の織田信長と続く。

IMG_9552 のコピー

織田信長の紹介は、殺陣があって、他の武将隊とは異なる。
やっぱメインだなぁ~って思っていたら、次は三人の演舞が始まった。
音楽に合わせて、三人が息ピッタリの踊りを見せる。

IMG_9580 のコピー

演舞が終わると、とある音楽が鳴り出す。

♪テーテーテーテテテーテテテーテーテーテーテテテーテテテーーー

そう、ベイダーのテーマ!!

すると、ストーム・トルーパーが2人歩いてくる。

IMG_9583 のコピー

左脇の人だかりを掻き分けて入城してきた。そして、ストーム・トルーパーの
後方約2メートルの位置には…

IMG_9586 のコピー

ダースベイダーキターーーーーーっ!!
せ、攻めにキターーーーーーーーーーーーっ!!!!!

シュコー シュコー シュコー

後方に加藤清正の旗があるのがウケる。清正とは全然違うけど。
とうとう、武将たちとダークサイドが対陣することになる。

IMG_9593 のコピー

これはなかなかない光景。
ほとんどこれまで信長が喋っていたが、ここから少し映画宣伝の関係者?が喋る。
ここでコラボした理由は、スターウォーズの生みの親・ジョージルーカス氏は
日本文化に感銘を受けて......と話す。

あぁ~そうだよね。ダース・ベイダーのあの黒いかぶりもん、
伊達政宗の兜を参考にしているって話、有名だもんねぇ~って、思うと
テンション上がってきた。
過去を現代によみがえらせた武将隊と、過去をモチーフとしたSFが交錯する。

IMG_9603 のコピー

それにしても、この信長の態度…
ダークサイドの恐怖を知らないのだろうか。ダース・ベイダーに向かって
「あんだってぇ~?」っていうような態度をとっている。

映画3D公開の宣伝をしに来たという。

IMG_9604 のコピー

ダース・ベイダーがようやくこちらを向く。
身振り手振り動くけど、ほとんど伝わってこなかった。
このとき、司会者が喋っていたんだっけかな。ちょっと記憶にない。
写真を撮るのに夢中になりすぎた。

少しして、ダース・ベイダーは、おもてなし武将隊から日本刀を授与される。

IMG_9609 のコピー

受け取って、鞘から刀を抜いた。

伊達政宗だ…伊達政宗が出来上がった。
日本刀がめっちゃ似合う。

振り回してから、刀をしまうが、ストーム・トルーパーは預かりに来ない。
これに対して、信長がすかさず「家来は取りにこんのかぁ~」と突っ込んでいた。
(確か)

今度は、お返しにとストーム・トルーパーから信長にライトセイバーが渡る。

IMG_9616 のコピー

ストーム・トルーパー、意外と礼儀正しい。

IMG_9619 のコピー

ライトセイバーを受け取った信長。
すごく楽しそう。それにしても、横の家康は羨ましそうに見つめていた。
(いつか私の刀コレクションの一つに加えてやる、なぁ~んて事
思っていたかもしれない。昔の家康なら…)

このとき、このライトセイバーから信長が音を鳴らすが、聞こえない。
もしかしたら、ブーンとでもなっていたのかも。

マスコミ向けのフォトセッションが行われる。

IMG_9664 のコピー

ダース・ベイダー、ずば抜けて背が高い。
中の人は、身長を盛っているのか。はたまた、リアルに背が高いのか。
どちらだろうか。

最後は、武将隊が手を振る形でのお別れ。
この後、ダースベイダーは名古屋駅近辺に現れる予定とのこと。

IMG_9678 のコピー

これにて、名古屋城における“おもてなし武将隊 VS シス”は幕を閉じた…


[完]



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名古夜城-2
【名古夜城-2】

男の背中を見てから、名古屋城へと歩いていく。

能楽堂から見る限り、正門ライトアップされていなかったのが分かった。
そのため、時計回りに西ノ丸・御深井丸水堀外側を歩いていく。
(ライトアップされていないものを撮りたかったが、技術不足のため、
撮影出来なかった)

水堀の側だからか、ものすごく寒かった。

ライトアップされた清洲櫓は遠くに見える。
少し歩くと、鵜の首から天守の顔が出てきた。

IMG_9280.jpg

闇夜の中に、真っ白に輝く大天守が浮かび上がる。

水堀の水面にも大天守が写る。
風が少し吹いており、水面は少し波立っていた。
そのため、写りこんだ大天守はボケている。

天守を拡大してみた。

IMG_9302.jpg

金鯱が光り輝いている。

さらに北へ進むと清洲櫓が大きく見えてくる。

IMG_9320.jpg
清洲櫓(御深井丸北西隅櫓)

自然光で照らされた城も、太陽光と違って趣がある。
日中の時より綺麗で白く輝き、お化粧しているように見えた。

拡大して、千鳥破風付出窓を見てみた。

9337.jpg

上の写真では分からないが、葵の紋が確認できた。

北側に行くと、ちょうどその頃は風が弱まり、水面の波がなくなっていた。
清洲櫓が水面へと写りこむ。

9376.jpg

これは写真を反対にしているわけではない。
水面に写る清洲櫓だけを写した写真。実体よりはボケてはいるものの、
回転させて、載せても違和感はないほど綺麗に写っている。

その水面に写る清洲櫓を実体と写してみると、

9383.jpg

このような感じ。ウェスティンホテルとコラボさせてみた。
ウェスティンナゴヤキャッスルから名古屋城をキャッスルビュー出来る場所だが値段が高い。
一回は泊まってはみたいが、名古屋に住んでいる以上、今のところはないかな。

そこから名城公園方面へと歩いていく。
少し歩くと、大天守を北側から見れる場所にたどり着く。

ここからの写真が一番のお気に入り♪
それがコチラの作品。縦型と横型で2枚続く。

9396.jpg

9400.jpg

石垣が薄暗くぼんやりと浮き上がり、大天守は白く顔を出す。
それが他とは違い、大天守への光がこの向きは少ないからか、真っ白ではなく、
少し影が出来ていて、非常に良い雰囲気だった。

さらに東へ行くと、『夜城』と同じ撮影ポイントに出る。
夜城名古屋城は2枚掲載されている。その内の1枚である。
もう1枚は、ウェスティンから撮った写真なので再現しようがない。

9403.jpg

この時、ちょうど大天守東面のライトアップが消えた。さらに、西面が消えていく。
西面が消える前に撮った写真が、上の1枚である。奇跡的に、夜城のコンセプトに近い
写真が撮れた。全部消えたあとの名古屋城を撮ろうとしても撮ることが出来ず…
ライトは一斉に消えるわけではないことを初めて知る。

清洲櫓を見てみたら、光が落ちていた。

まさに闇夜にぼんやりと浮かび上がる夜城の空間になった。
この状態で撮影できる技術を持ち合わせていれば、このまま撮影を
続けただろうが、今回はこのまま帰路についた。

これまでの写真は1日に全て撮ったものだが、別の時期に撮った写真を
次から掲載していく。

昨年の春のパンまつり、じゃなくて名古屋城春まつりにおいて
撮った写真である。ちなみに撮影日は2011/4/6(城の日)である。

春まつりの期間の中でも、さらに夜桜期間として、夜の公開を行っている。

つまり、城内に入れるわけで、当然ライトアップもしていたので
近くからライトアップされた天守が撮影できた。

IMG_1654.jpg
▲不明門近くから撮影した大天守

IMG_1684.jpg
▲西ノ丸から撮影した大天守

どうでしょうか?夜桜×お城もまたオツですよねぇ~
遺構などを確認するには、昼間でないと厳しいですが、こうしたライトアップなどの
楽しみがお城にはあるので、夜の訪城も退屈しないです。

次はどこの夜城を撮影しようかなぁ~


[完]



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名古夜城-1
【名古夜城-1】

なぜ、名古屋城じゃなく名古夜城なのか......

それは昨年、2011年のこと。

元々写真に興味があった自分は、お城の写真集がないかと本屋で探していました。
そんなある日、出会ったのが『夜城(世界文化社)』という本。
(世界文化社の夜城ページ←こちらでご確認ください)

袋に包まれ、中身は見えず、悶々としながらカバー表紙・裏表紙を見て
中を見たいなぁ~って、ずっと格闘しました。
一度は、これ以上本を増やしてどうするんだと考えて、買わずに帰ることに。

その時買わなかった他にも理由はありました。
夜の写真集も気になるけど、真昼間の写真集がないのに、夜の城写真集を
買ってどうすんだと。

しかし、次に本屋へ行った時は、その本が手放せなかった。
また、袋が破られているものがあり、中身が見ることが出来た。
(前の人が破ったんですよ、多分)

見た瞬間、「これは欲しい!!」と思った。

建物があるお城だけかと思いきや、建物がない場所もある。
石垣だけというお城など…

この「夜城」という写真集はライトアップされている城を載せているわけではない。
むしろ太陽光も自然光にも照らされていない城がそこには写っていた。

夕暮れの城、朝焼けの城、暗闇に浮かび上がる城、星の軌跡とのコラボ、
街の光との対照があいまって城の影がきわたっている。

いやいやいやお城はライトアップされてなんぼでしょとかいう意見は
ここでは却下。

是非、1度見ていただきたい。立ち読みできればの話だが…

こういう写真を自分も撮ってみたい!!と思ったのが、この記事のキッカケ。

さて、家近のお城といえば名古屋城
歩いて30~40分くらいで着く。

昼ではなく、夜の名古屋城を“撮る”。だから名古夜城

四間道・名古屋城三ノ丸御園門跡を通過し、中区三の丸一丁目の歩道橋まで来る。
場所は能楽堂清正像から南・KKRホテルの脇にある交差点。

そこにある歩道橋からは、名古屋城を俯瞰することが出来るスポットでもある。
太陽が出ている間の写真はいずれ掲載することにし、今回は夜の写真を載せていく。

傾いている写真も多いが、それはご愛嬌。
まだまだ腕がないので、ご勘弁を。

IMG_9265.jpg

歩道橋の上から普通に撮ると、このような感じ。多くの人がこのように撮るのではないだろうか。
二条城の記事で少し触れましたが、夜景の撮影時にやりたい事っていうのがあった。
それは、車のライト、その光の軌跡とお城のライトアップを合わせて撮るということ。
これは昔から構想していて、中々出来ずにいましたが、先日実行してきました。

その写真が次の3枚です。

IMG_9234.jpg
▲名古夜城Ⅰ(歩道橋上から撮影)

IMG_9244.jpg
▲名古夜城Ⅱ(歩道橋上から撮影)

IMG_9246.jpg
▲名古夜城Ⅲ(歩道橋上から撮影)

ライトアップされているお城を撮影しているので、夜城のコンセプトには反する。
それでも前々から撮ってみたかったお城の写真の構想だったので、寒空の中
撮影してきた。

想像していたものはもっと、光の軌跡が入る予定だったが、今の力量としては
十分納得できるものが撮影できた。

車の往来に合わせてシャッターを切った。
信号のタイミングで、車の往来が変わるので、光線の軌跡も変わる。それがⅠ・ⅡとⅢの違い。
また、ⅠとⅡを見て分かるように、車の数やシャッター速度の違いで光線量も異なる。

さらに歩道橋の下におりて、撮影してみた。

IMG_9253.jpg

光跡が写真いっぱいに入っているのが分かる。

全てに共通しているのが、城の“静”と光線の“動”。
ただ、今ひとつ迫力に欠ける。

歩道橋を渡り、名古屋能楽堂の方へ歩いていく。

そこには清正像がある。

IMG_9275.jpg

男は背中で語る。
それがこの一枚。


To Be Continued...



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名古屋城・本丸-2
【名古屋城・本丸-2】

名称未設定-1

今回、述べていくのが名古屋城本丸
さらに黄色枠で囲んだ場所(上図)。

前回の記事(名古屋城・本丸-1)から、本丸に入るのが遅くなりましたが、
いよいよ表二之門から入って行きたいと思います。

高麗門形式の表二之門に入ると、
現在はそのまま大天守まで辿り着くようになっていますが、
本来ここは枡形門のため、右折れしたところに表一之門がありました。

IMG_9593.jpgIMG_9594.jpg


今は、表一之門があったことを礎石が物語っています。
(礎石は4つ中、3つしか見つけられなかった......)

表一之門跡を抜けると、前の記事で述べた東南隅櫓の城内側を見ることが出来ます。

IMG_9595.jpg

写真じゃ分かりづらいですが、この東南隅櫓の城内側には、
窓が一つもありません。

城のつくり方図典によると、
天守には決定的な違いがあり、それは本丸御殿
見下ろす側(城内側)に窓を開いているかどうかであるとのこと。

江戸時代、家臣藩主の住居を見下ろすことを禁じていたため、
御殿側を含めて四方に窓を開いていたのは天守だけだと書いてあった。

なるほどねぇ~
この東南隅櫓の城内側に窓がないのは、そのためだったんだねぇ......
(本当なのかなぁ......!?)

さて、道なりに進んでいくと現在は本丸御殿復元工事中。

少し昔は、この門跡からすぐに大天守・小天守を見ることができました。
(大天守・小天守の前に並ぶ石は、本丸御殿礎石たちです。)

CIMG1724.jpg

自分が見学出来た時は、本丸御殿の玄関を工事しておりました。

IMG_1578.jpgIMG_1585.jpg

[2011/4/6時点の見学写真]

2018年には復元工事が全て完了する予定とのことで、
完成が待ち遠しいです。

復元工事は見学できる時とできない時がありますので、事前に
確認してから行くほうがいいでしょう。

さて、見学できない(しない)場合は復元工事現場の横道を通っていきます。

狭い通路ですが、その道にある石垣刻印の宝庫でもあります。

IMG_9613.jpg
IMG_9612.jpgIMG_9620.jpg


・卍
・丸に十字
・○
・△

etc......

じっくり観察するとたくさん見つかるので、刻印探しが止まらなくなります。
(実際、自分がそうでしたw)

はい、今回はここまで。

次回をお楽しみにぃ~♪




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