#oshiro/城郭記
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Author:#oshiro
―城郭数寄者
城郭(最近は近世が特に…)と数寄建築・茶の湯が好きで、各地のお城や茶室を巡っています。中世城郭も好きですが、今は写真メインで巡ることが多く、土造りの城より石垣が築かれた城に足を運んでいます。
[注意!!]元々理系なため、文章がメチャメチャ下手糞です。と、ここで保険をかけておきます。



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虎御前山城-13/木下秀吉陣地跡②
#50 虎御前山城-13/木下秀吉陣地跡② 【小谷編】

秀吉陣地跡の続き。

櫓台を下りてから、その櫓台に付属する帯郭を観察していった。

帯郭の形は三角形の形をしていることは前回の記事で書いたが、底辺の部分が
小谷城側を向いている形になっている。1つ前に行ってきた織田信長陣地から
見ると、小谷城に向かって「八」の字のように末広がり状に広がっていく。「▽」
のようになっていると言ったほうが早い。下の尖っている部分が信長陣地跡と
繋がる虎口で前回見てきた。他の頂点が五稜郭に見られる稜堡のような形に
なっているのが攻撃性の強い陣地として機能していることが感じ取れる。
(※「▽」の中央に櫓台「○」があるイメージ。)

「▽」となっている帯郭の下の頂点部分から時計回りに歩いてみた。

この帯曲輪には3つの虎口があり、西側にある虎口は特に技巧的な
ところはなく、平虎口になっている。

IMG_1048.jpg

案内板が縄張のココの場所と示してくれているので、山城初心者には
登りやすいと思う。ここの虎口から下方を見下ろすと、

IMG_1049.jpg

下の方にも削平地となっている郭が見えるので、今立っている帯郭にさらに
帯郭が接続していることが分かる。

信長陣地から秀吉陣地まで続く犬走りと呼ばれていた土塁は、西側が高く、
その理由に“山本山城を意識している”とある割には、同じ方角にあるこの
虎口がショぼいという少し解説とは矛盾した形になっているのは少々疑問。

1つ目の西にある虎口から帯郭上を引き続き歩いて行く。

IMG_1051.jpg
▲帯郭内平坦地

郭内はこのような平坦地で、写真右側に見えるのが櫓台の切岸になる。
切岸って言っても下側部分だけしか写真には写っていないが…

「▽」でいう左の頂点までくると、顕著に遺構が分かるのが土塁。

IMG_1052.jpg
▲帯郭西側土塁

三角形の帯郭周囲には掻き上げた土塁が断続して設けられており、これはその一部分。
大分低い感はあるが、当時は最前線だったこともあり、これよりもっと高い土塁が
築きあげられていたんじゃないかと思う。丁寧にここでも案内板があり、縄張図が
なくても遺構に気づきやすい山城だと思う。

この部分には、横矢掛け出来るように郭に折り目がついているようだが、確認するのを
怠ってしまった…次回、行ったときは確認してみよう。ただ、信長陣地跡同様、これ?
かなといったレベルだと思われる。

「▽」の左頂点付近に設けられた分かりやすい土塁に沿って時計周りに歩くと、
左頂点と右頂点を結ぶライン上中央(上の辺中央)に2つ目の虎口がある。それが
次の写真。

IMG_1059.jpg
▲秀吉陣地前面の坂虎口

見て分かるように斜めっている。虎姫館の資料Ⅳでもこれは虎口扱いされているので
整備で設けられた丸太の階段ではなく、当時からあったものだと考えられているっぽい。

少し斜めらせてあげるだけで、曲輪内からは、登ってくる敵兵に攻撃を加えやすい。
つまり横矢掛けになっていて、下記のような坂虎口「\」に対して、郭内からの
射撃ラインが見えてくる。




この坂虎口下には、さらに平坦な削平地が見える。これは先ほど平虎口上から
覗いた時に見えた帯郭と接続している。少しこれから書くことは実際の見学順
とは異なるが、坂虎口絡みなのでまとめて記述していくことにする。

上に載せた坂虎口の写真右隅に見えるもの。一体何なのか?と、ここで質問に
してもこの写真じゃ、さらに謎を深めるばかりだから、坂虎口を下りた後の
写真はというと、次の写真になる。

IMG_1074.jpg
▲坂虎口前面にある「かざし堀」

バクンと凹んでいるのが、この写真で分かって頂けると思うが、これは縄張図でも
案内板でも「かざし堀」と命名されている。

>かざし堀
>櫓台と一直線上に、かざし堀を掘ることで虎口から入りにくくしている。
>掘りをつくって落とし穴にして、櫓台に地被けないようにしている。正面を
>守るためのかざし堀である。

と、資料Ⅳにある。くどいように言っているが、「▽」の今は頂辺「―」の前面に
この「かざし堀」がある。「―」部分は小谷城の方角に向いている。これは小谷城
を意識していると言っても過言ではない気がする。ただ、ここだけ堀を築いていた
ため「かざし堀」などと大きな扱いを受けているが、なぜ帯郭の周囲全てを堀に
しなかったのは疑問に残る。

ただ、これはまだ「横堀」というのが発展途上の技術だったせいかもしれない。
堀秀政陣地跡で郭が何百も何千も組み合わさっている部類にこの虎御前山城
入ると書いた。そして、郭の数が減ると玄蕃尾城のようになると。まさにそれと同じで、
横堀も郭数が多い虎御前山城には横堀があまりなく、玄蕃尾城には横堀がふんだんに
用いられている。

なので、周囲に堀が巡らされていなかったのかもしれないと考えた。
とはいえ、「かざし堀」が築けるなら同じように周りに「かざし堀」に続く堀を
築けたような気はするんだけど…

IMG_1075_20120625123420.jpg
▲かざし堀(写真左)と坂虎口(写真右)の位置関係

で、櫓台から下りてきた帯郭から、さらに一段下の帯郭に坂虎口を下りてきたわけ
だけど、これで次の陣地・柴田勝家陣地跡にはまだ行かない。もう一度、この坂虎口
を駆け上がり、帯郭上に戻っていった。(と書いているが、本当は後で踏査している。)

IMG_1062.jpg
▲北側から見た櫓台

上にあがると、ちょうど櫓台を北側から見据えることになる。北側には階段が
設けられているが、さすがにこれは当時のものではないだろう。ちょうど今いる
位置が、先ほどの坂虎口の真上になるから。「かざし堀」と坂虎口まで設けて
いるのに、これだと侵入してきた敵がすぐに櫓台へと登れてしまう。

寄り道してしまったが、先ほどの三角形状の帯郭を坂虎口から時計回りに
引き続き歩いて行く。

IMG_1063.jpg

「▽」の右頂点側に向かっていくと、上の写真のように少し広いスペースに出る。
縄張図を見ても、先ほど歩いてきた場所より少しだけ平面積は広いように思われる。
写真に写る案内板を見て、あぁここは「大曲輪」という名前が付けられているのか
と知った。だって、資料Ⅳなどには、特に郭名が記されていなかったから。

1つ目に見た平虎口と線対称な場所に“枡形虎口”がある。線対称は「▽」の
縦に一本線を引いたところを折り目にして重ねた部分になるが、この表現では
さすがに平虎口があった場所が、どの位置か分からないので想像し難いと思う。

で、“枡形虎口”と聞くと、「おぉー!!」って歓喜に湧くところだけど…

IMG_1066.jpg

これが枡形虎口の全貌。

IMG_1067.jpg

こちらが枡形虎口前面にある帯郭の土塁外側。

はぁ、これが枡形虎口ですか…全く感じることが出来ないんですが。
何とか土塁の外側が見れるので、郭に折れがついて横矢掛けになっているのが
分かるぐらい。これなら、坂虎口の方が断然感動を覚える。

これ以上は進むことが出来なかったので、折り返して先ほどの坂虎口から下の
帯郭へと向かうことにした。ただ、資料Ⅰには「さらに丁字状の土塁、また貯水跡
と見られる二段になった凸地があるなお犬走りの東方に丁字状に延びた土塁の虎口
には二箇所とも蔀用の大岩が残っている。」と書かれていたが、大岩などは見当たら
なかったし、貯水跡というのはさっきの「かざし堀」?と思ったが、二段の凸地では
なかった。これも間違った記述?とか思いながら下へおりた。

IMG_1077.jpg

ここから少し歩いて振り返ると、先ほど歩いてきた櫓台や帯郭が段々に
構築されているのがはっきりと分かる。

IMG_1079.jpg
▲櫓台と帯郭を北から望む

少し下ると、また何やら案内板が見えてくる。

IMG_1080.jpg

一番左に写る案内板は、何とかコースと書かれていて、遺構とは関係ない標識になるのだが、
奥に見える案内板には、「堀切」「土塁」と書かれている。次に行く柴田勝家陣地跡からの
道がここまで繋がっているのだが、そこを突破してきた敵をここで食い止めるために設けた
防御施設になるのだろう。資料Ⅳには、土塁を犬走り・堀切を塹壕堀切と書いていたが、
まぁ大差のない表現なので、ここでは細かく扱わないが、堀秀政陣地跡に出てきた塹壕より
ここの方が遺構が分かりやすいのは、やはり最前線だったからと理由付けするのが最もな
気がするが、整備の時に掘ったとかだったら、赤面話になるので、議論しないでおく。

IMG_1089.jpg
▲柴田勝家陣地側に築かれた土塁

写真を見て分かる通り、非常にはっきりと土塁が築かれているのが分かる。
左の凸地が堀切で秀吉陣地側、土塁の右側が柴田勝家陣地跡へと続く道側。
左の堀切に城兵が潜み、突破してきた敵をここで迎え撃つという筋書きだと
思われる。

この陣地跡は虎御前山城の中でも自分を非常に楽しませんてくれる陣地跡
だったのは間違いない。

IMG_1088.jpg

次の陣地跡へと、この道が続いていく。

次回、虎御前山城最終章・柴田勝家陣地跡。




To Be Continued...



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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術




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