#oshiro/城郭記
プロフィール

#oshiro

Author:#oshiro
―城郭数寄者
城郭(最近は近世が特に…)と数寄建築・茶の湯が好きで、各地のお城や茶室を巡っています。中世城郭も好きですが、今は写真メインで巡ることが多く、土造りの城より石垣が築かれた城に足を運んでいます。
[注意!!]元々理系なため、文章がメチャメチャ下手糞です。と、ここで保険をかけておきます。



カテゴリ



最新記事



Link

このブログをリンクに追加する



検索フォーム



RSSリンクの表示



カウンター



スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


松江城-7/火点
松江城-7/火点 【松江編 #7】

大手門を抜けると、正面は二の丸下の段と呼ばれる広い平地で、
左手を見ると坂がある。名前は「本坂」。

IMG_2140本坂
[Photo]右に見えるのが本坂(一番左に見えるのが大手門跡)

天守がある本丸は上の方にあるので、自然に攻め手は足が坂へと向かう。

坂を少し登ると、喰い違いになっていて、
ストレートにはなっていない。

これも攻め手の足並みを不規則にさせる防御の1つだけど、
ここで言いたいことはそんなことではなく、その喰い違う場所に
ひょこっと現れる石垣について。

IMG_3823火点
[Photo]本坂喰い違いにある石垣

この石垣は、「火点の石垣」と呼ばれている。
がのっていたわけではなく、ただの土塀が石垣上にぐるっと
めぐっていただけだが、以前書いたようにそこは戦時の際に
上下2段構え方式がとれるようになっていたと思われる。

P1120513本坂
[Photo]松江城郭絵図(天文3年)本坂部分
※中央で折れがあり、その脇にある凹のような場所が火点の石垣

ここが何の役目を果たしていたかというと、攻め手・敵側が坂を登って来たとき、
この石垣上の塀からその敵に向かって鉄砲で迎撃する、そんな場所だったため
「火点」なんて呼ばれている。

火点には、勝てん…

ところで、この石垣を近くで観察すると、
刻紋(刻印)があることに気付く。

IMG_3825分銅紋
[Photo]火点の石垣にある刻紋(刻印)

この刻紋は松江藩を開府した堀尾氏の家紋「分銅紋」。
この紋がこの火点の石垣に14個刻まれている。

本によっては、松江城内で分銅紋があるのはこの火点の石垣だけと記述されている。
ちなみに発掘調査報告書では、火点の石垣対面にある石垣にも分銅紋があったと
記載されているが、現地で確認したときはなかった。
なので、本の記述は間違っていないし、例えこの火点の石垣以外にあったとしても
対面にあって、この火点の石垣付近に集中して分銅紋があったことが分かっている。

これに関しては、城に出仕(登城)する家臣へのアピールでここに集中していると
考えられているが、他にも理由があるかもしれない。

ちなみに、この堀尾家の家紋「分銅紋」を石に刻印したのは堀尾氏直系(吉晴や忠氏、
忠晴)ではなく、傍系の親族と考えられている。例えば、吉晴の父泰晴の兄弟や吉晴
の兄弟姉妹、吉晴の子女らが刻んだと見られている。

以上

今回はここまで。また次回。



にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村

テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術


コメント

コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


トラックバック
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
トラックバック URL
http://shirozuki.blog.fc2.com/tb.php/105-df967792



< /body>