#oshiro/城郭記
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Author:#oshiro
―城郭数寄者
城郭(最近は近世が特に…)と数寄建築・茶の湯が好きで、各地のお城や茶室を巡っています。中世城郭も好きですが、今は写真メインで巡ることが多く、土造りの城より石垣が築かれた城に足を運んでいます。
[注意!!]元々理系なため、文章がメチャメチャ下手糞です。と、ここで保険をかけておきます。



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松江城-11/城に刻まれた過去からのメッセージ
松江城-11/城に刻まれた過去からのメッセージ 【松江編 #11】

松江城内には刻印がある石が複数あると前回記述した。
その中でも、1つだけ特別な刻印がある。

平成22年3月、
1人の研究者がそれを発見した。

その石には、「安永八」と刻まれている。

IMG_3810安永八
[Photo]「安永八」と刻まれた石

今が平成24年なので、最近発見されたものになる。
松江城内に、年号の文字が刻印されているのはここだけ
2年前に発見されたもので、城内にはまだ現地解説板がなかった。
なので、知らなければ絶対見過ごす遺構なのは間違いない。

「安永八」は年号で、西暦にすると1779年。
このときの藩主は松平7代目、松江で慕われているあの大名茶人・松平不昧公。

1779年から遡ること1年前、安永7年8月付で、松江藩から江戸幕府に対し、
石垣修理願いの絵図が提出されている。

石垣修理願いを出すということは、どこかが崩れたということ。
各地のお城に絵図が残っているものの中に、意外と石垣修復願い時の
絵図が多く残っている。

さて、石垣が崩れると言うことは、自然崩落なのかはたまた別の要因なのか。
現在でも、大雨や地震などの災害による石垣崩落がニュースでよく目にする。
最近だと、島原城駿府城などなど…

この時の石垣崩落は、安永7年6月~7月に大雨、洪水があったことがわかっており、
この影響で石垣が崩れたと推測されている。

石垣修復願いで出した絵図には、この「安永八」の年号が刻まれた石がある
石垣の場所が、横3間半(約6メートル)・高さ2間(約3.5メートル)にわたって
崩れた、と書かれている。

実際、今もその刻印がある石垣が、崩落があったことを物語っている。

IMG_3803安永八がある石垣
[Photo]「安永八」と刻まれた石がある石垣

「安永八」と刻まれた石がある石垣を見ると、下から半分は幅約1メートルの
石で積まれているのに対し、上半分は幅約50センチの小さい石で積まれている。
つまり、崩れた上半分を積み直したことが視認できる。

幕府の許しを得、安永7年に崩れた石垣を安永8年に石を積み直して
修理したため、その修理工事を担当していた石工が、記念に修理年号を
刻んだんじゃないだろうか、と言われている。

IPS細胞のようにメディアでは大きく取り上げられないけど、裏では
全く分野が違う城も日々研究が続けられている。

遊び心で刻まれた刻印1つであっても、古文書軍記物ではなく、城に直接
刻まれた刻印という城自体が、石自体がいわば古文書のような形で、現代の
研究者が読み解いていく。

これを“過去からのメッセージ”だと、自分は思った。

今回はここまで。また次回。



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