#oshiro/城郭記
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Author:#oshiro
―城郭数寄者
城郭(最近は近世が特に…)と数寄建築・茶の湯が好きで、各地のお城や茶室を巡っています。中世城郭も好きですが、今は写真メインで巡ることが多く、土造りの城より石垣が築かれた城に足を運んでいます。
[注意!!]元々理系なため、文章がメチャメチャ下手糞です。と、ここで保険をかけておきます。



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松江城-6/oHtemon gate
松江城-6/oHtemon gate 【松江編 #6】

馬溜を右手に進むと、左右から石垣がせり出した場所にたどり着く。
下には、地面から少しだけ顔を出した丸い石が等間隔に点在している。
この場所には、かつて松江城大手門があった。

IMG_4066大手門跡表
[Photo]大手門跡(馬溜から)

―大手門。
ただの門ではなく、を両方兼ね備えた櫓門形式
1階部分が門の役目を果たし、2階部分が櫓となっている。
最初に、丸い石が地面から少しだけ顔を出していると言ったのは礎石のことで、
この礎石の上に柱をあげ、櫓門を建てていた。

P1120513_馬溜
[Photo]松江城郭絵図(天文3年)馬溜部分右に大手門が見える

IMG_3841大手門跡裏
[Photo]大手門跡(城内側から)

上の写真は、絵図のちょうど③の位置から見た大手門の城内側(裏側)。
絵図を見れば櫓門の大手門左右には土塀が続き、そこへ上がる石段
描かれている。今では、土塀・大手門が消滅しているもののそこへ上がる
石段は確認出来る。残念ながら登ることが出来ないようになっているが、
馬溜へと侵入してきた敵をここから迎え撃つことが出来る。

大手門跡の発掘調査では、今の地面より50~60センチ下から礎石が検出された。
では今見る礎石は?というと、これは本来の礎石ではないと思われる。
国史跡になっている場所は、基本的に現状維持がモットーとなるので、
発掘調査をしても、すぐに埋め戻されてしまう。むしろ発掘調査から
そのまま公開へと繋がることが稀で、そういう意味では先日ニュースに
出ていた後楽園御舟入遺構が公開されるのは物凄く貴重な話。
(なので、超行ってみたい。)

別のお城になるけど、現在名古屋城では本丸御殿の復元工事中。
この復元工事されている御殿、往時の礎石は“一切”使われていません。

工事が始まる前に1度名古屋城に足を運ばれたことがある人はご存知だと思いますが、
本丸御殿復元工事をしている下には、往時使われていた礎石が地面の上に顔を出していました。

本丸御殿が焼失した戦火により、当然ながら礎石も焼けてかなり傷んでしまい、
そんな礎石に本丸御殿の柱を建てて割れずに支えられるのか?そもそも礎石が
荷重に耐えられるのかどうか?などと不安要素だらけ。

ですが、名古屋城の場合は今見えている旧地盤面は保護しなさいという事になり、
本来今見えている地盤面の上の礎石に柱が建っていたのに建てさせず、耐圧盤
というコンクリで覆うことで礎石を保護し、この耐圧盤上に新たに新礎石を配置し、
本丸御殿復元工事を行なっています。

これによって引き起こることは、古写真に見るあの天守と本丸御殿のセットが
出来るわけですが、往時のように復元するわけではないので、天守と本丸御殿は
相対的に高さが変わって、数10センチの差が出てきます。見た目では分かりませんが、
実数値では変わってきます。国指定史跡なんかではこのような対応が取られています。
津山城備中櫓なんかもそうです。

ついでに金沢城のケースを。
100年後の国宝を目指そうなんていう動きをしている金沢城ですが、
利家とまつ」の放映1年前にいとも簡単に菱櫓等の建物を復元しちゃいました。
それがなんで出来ちゃったのかというと、史跡指定地外だったから(+諸々)。
名古屋城や津山城は国指定史跡(名古屋城は特別史跡)。
金沢城も今では国指定史跡ですが、指定日が2008年とごく最近…

法の隙間をかいくぐるというと聞こえは悪いけど、まさにそのような形で
金沢城は復元でき、一方国指定史跡地だと復元までのハードルが高いし、
扱いが超慎重。

松江城が今、国宝化を目指しているのと同じで、箔がついたりランクが
上がったりするとそれはそれでアピール材料になるので、国宝や国指定史跡に
なれば観光PRにも一役買い、さらには国の補助金で整備が出来たりする。
ただし復元するとなるとハードルが高い、と少し裏の話を紹介してみました。

で、話は松江城の大手門に戻って、

とある日、幼稚園生?小学生?の集団がこの松江城を見学しにきていた。
ちょっとビックリしたんだけど、この集団の引率者が事細かく説明していて
この大手門では生徒1人1人に礎石の上に立たせ、手を挙げさせて門の規模を
解説していた。地元のお城を教育に活かしているのは素晴らしい。

松江20121127_松江城大手門礎石に立つ子供たち
[Photo]大手門跡礎石に立つ子どもたち

自分も小さい頃にこのような体験を受けていたら…
もっと早くお城に興味を持っていただろうに…
地元にこんなお城はなかった…orz

さて、現在松江市ではこの大手門の新資料に懸賞金をかけて募集している。
※完全な資料として認められると、なんと500万円っ!!!!!

目的はもちろんこの大手門を復元したいからであり、古写真や指図(建築図面)は
まったく残っていないらしい。そのため、現段階では正確に復元ができない。
(あったとしても、正確に復元されることはないんだけどね…)

大手門復元資料募集ページ(※クリックするとページに飛びます)
☆動画 松江城大手門 (Windows Media player) (Real player)

新資料募集の上記サイト(いつまでこのページがあるか不明)から、大手門が
復元CGで描かれている動画を落として見ることができる。
前回記述した馬溜への侵入から大手門までの攻城側の歩兵視点で描かれて、かつ
城内からの攻撃も再現されているので、「ぐわぁ!(やられたっ!!)」感が味わえる。

最後に―
復元計画がある松江城の大手門。以前は考えたことがなかったが、
礎石に命があるとすれば、大手門の復元を待っている・往時の役割を
果たすべく今も1分1秒、その“時"が来るのを待ち望んでいるように
見える。

耳をすませば、礎石から息遣いが聞こえてくるのでは…
(往時の礎石とは別の礎石だけどね)

と、思う今日この頃。


今回はここまで。また次回。



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