#oshiro/城郭記
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Author:#oshiro
―城郭数寄者
城郭(最近は近世が特に…)と数寄建築・茶の湯が好きで、各地のお城や茶室を巡っています。中世城郭も好きですが、今は写真メインで巡ることが多く、土造りの城より石垣が築かれた城に足を運んでいます。
[注意!!]元々理系なため、文章がメチャメチャ下手糞です。と、ここで保険をかけておきます。



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松江城-5/石垣:序
松江城-5/石垣:序 【松江編 #5】

前回の記事で石垣に一切触れていなかったので、短編ながら
石垣について書くことに…

IMG_2164.jpg
[Photo]馬溜内部(大手木戸門跡を抜けた位置)

前回の馬溜(枡形虎口)で、前方に高石垣がそびえていると記述した。
その石垣上には3つとそれらを連結する土塀が復元されている。

IMG_2162.jpg
[Photo]馬溜内部から見た太鼓櫓

写真を見ると分かるとおり、石垣の天端ぎりぎりまで建物がのっている
ことが分かる。これは松江城に限らず、どこの近世城郭でも同じように
建てられている。

当たり前に見ているこの光景から、石垣を除くとどうなるだろうか?
そんなことを考える人はあまりいないかもしれない。

さて、現在石垣を大規模に導入したのは安土城と言われている。
以後織豊系城郭では当たり前のように石垣が採用されていって、
その理由には見栄え、権力を誇示するために石垣が導入されたとか…
そんなことが書かれている本がある。
別にこの話を今から否定するわけではなく、これ以外の理由で石垣が
必要になった理由を述べていきたいと思う。

中世の城には山城が多い。
このころの城に石垣が全くなかったわけではないが、土造り板塀がメジャーだった。
しかし、戦争で鉄砲を用いることになって、城の建造物に変化が生じざるを得なくなった。

板塀でも今までは防げていた弓などの攻撃から、鉄砲への攻撃へと変わることによって、
板塀では防げなくなってきたのである。そのため、塀を厚くするという工夫が生じ、
板塀から厚さが10cm以上ある土塀へと変わっていく。

また、井楼矢倉などが土壁になると建物自体の重量が増加する。
これにより戦国時代に多かった掘立建築が、礎石建築へと変わっていく。
そして建物が重くなったものを、曲輪の端に設置するには、土造りの切岸では今度斜面が
崩れる危険性が出てきて、結果その斜面が崩れないように石垣を築いて補強することに。
その石垣の天端に礎石建築を建てられるようになったのが今見る近世城郭の櫓や塀である。
※掘立建築とは、柱を地中に埋め込むタイプのこと。割り箸を土に突き立てるイメージ。

今回はここまで。また次回。



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