#oshiro/城郭記
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Author:#oshiro
―城郭数寄者
城郭(最近は近世が特に…)と数寄建築・茶の湯が好きで、各地のお城や茶室を巡っています。中世城郭も好きですが、今は写真メインで巡ることが多く、土造りの城より石垣が築かれた城に足を運んでいます。
[注意!!]元々理系なため、文章がメチャメチャ下手糞です。と、ここで保険をかけておきます。



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松江城-17/外郭の防衛体制2.00
松江城-17/外郭の防衛体制2.00 【松江編 #17】

松江城外郭編、第2回。

前回記述した重臣屋敷地や中級藩士の上位者が暮らす家があった殿町
母衣町をまとめて「内山下」と呼ぶこともあった。今のシリーズ、外郭部分の
外堀以内は以前「内山下」と呼ばれていた。あれ?何かおかしなこと
言ってないか?と思われただろう。

殿町と母衣町をまとめて「内山下」と言うのと、外堀以内を
「内山下」と言うのとでは範囲が異なっている。外堀以内
には殿町や母衣町以外にも内中原町という町があるからだ。


大きな地図で見る
[Map]松江城外堀以内にある内中原町

これも前回の記事同様、絵図研究の結果「内山下」の範囲が変わった。
以前は外堀以内を指していたが、古文書と絵図の屋敷割を比較した
結果、今の殿町と母衣町部分だけを指すということが分かった。

内山下という言葉は何も松江城下特有の呼称ではなく、内山下と
呼ばれる場所は各地の城でも見られる。備中松山城岡山城
では現在も「内山下」という地名が残っている。
※「山下」については、ここでは触れないでおく。

その内山下の南の入口にあたる京橋北詰には「勢溜」と
呼ばれる広場が設けられている。

堀尾期松江城下町絵図01
[Photo]堀尾期松江城下町絵図(京橋北詰の勢溜は丸く覆い焼きした箇所)

先回、紹介した重臣屋敷が密集していた大手口からは目と鼻の先。

「勢溜」と書いて、“せいだまり”と読む。

実は“勢溜”でググると、出雲大社が多くヒットする。もしかして出雲特有の
呼び名?と思ったけど、吉田郡山城には勢溜の壇という曲輪跡があったり、
細川忠興が築いた小倉城中津城にも勢溜と呼ばれる広場がある。

なんで出雲特有の言葉?と思ったかというと、出雲の城跡を調べていた時に、
連続竪堀群を地元では「槍溝」という名称で呼んでいたり、また枡形虎口を「人桝
などと伝えているなど、結構特色があったので、もしかしたら勢溜も出雲特有?と
思ってしまった。

連続竪堀群と書いたが、城の一般書をよく読む人は、「畝状竪堀群」と言った方が
ピンと来るかもしれない。連続竪堀群というのは、島根県教育委員会が用いている
ので、島根では“畝状”より“連続”が一般的だと思われる。方言があるように、
城の遺構も場所によって呼び名が変わるのだろう。

さらに余談が続くけど、佐伯出身の自分はよく兄がいた中津の某高校にテニスの
試合を見に行っていた。見に行くと言っても、その頃はよちよち歩きだったので、
連れ回されたと言ったほうが正しい。
そんな中津には、“城下町中津勢溜”という名の和菓子がある。この和菓子は、
“せいだまる”と名前が付けられているが、由来はもちろん上で述べてきた勢溜が
元となっている。またいつか中津へ行く機会があれば、食してみたいと思う。

“城下町中津勢溜”を扱う和菓子処「桃屋・甚兵衛」
http://momoya-jinbe.jp/lineup/detail/?id=20101118201621

話は松江の勢溜に戻って…

勢溜01
[Photo]堀尾期松江城下町絵図、京橋北詰の勢溜(赤い四角の部分)

松江20121202_864
[Photo]現在の京橋北詰、勢溜があった場所

ところで「勢溜」というのが何なのか?が遅くなったけど、
「勢溜」というのは敵軍の侵入を迎え撃つために、軍勢を控えさせる防衛上の広場。
今取り上げている京橋北詰の勢溜では、仮想敵が南から城郭主要部へ向けて侵入して
きた場合、ここに敵兵を足止めさせ、守備兵が広場を囲う土塀から鉄砲などで攻撃を
食らわせるような備えになっている。

また、別の目的もあって、出撃する軍勢が集結する広場としても使われる。
軍役などで、どこかに出張る際にはここで一旦体勢を整え、出陣していたことが
想像出来るし、もう敵が眼前にまで攻め込んで来たら、ここで待ち構えて一斉
射撃する姿が想像に難くない。

この「勢溜」が防衛と出撃、両方を兼ね備えていたというのを聞いて、
何か思い出した人がいるかもしれない。今連載している松江城の最初で
大手にある「馬溜」について書いた。もしかしたら、“溜”の文字から
同じようなものだとすでにお気づきだったかもしれないが、その「馬溜」
も勢溜と同様、防衛と出撃を兼ね備えたものだった。馬溜は、内郭
入口にあたる場所にあり、今書いている勢溜は内山下の入口にあった。
城も城下町も最重要な場所に、同じ機能を持つものがあるのはごく自然な
ことだと思われる。

さて今回も前回にならって、堀尾期の城下町絵図を見ていく。

イメージが湧くように事前に絵図を拡大した部分を出しておいたが、この「勢溜」
という広場の両側には、鉄砲30人をつけられている堀尾左兵衛(2500石)と、鉄砲
20人がつけられている吉川猪之助(1200石)の屋敷が置かれている。

上の絵図拡大部分、各屋敷の位置は下記番号を参照
1…堀尾左兵衛屋敷
2…吉川猪之助屋敷

前回はここまで触れることが出来なかったが、この勢溜にも周りを取り
囲むように、1,000石以上の上級家臣が配置されていたことになる。

さらに、吉川の一軒おいた東の“3”の場所には鉄砲60人をつけられている
家臣ナンバー2の堀尾因幡(4900石)の屋敷が置かれていた。

松江20121127_松江歴史館「松江の城下」模型(京橋北詰の勢溜)04
[Photo]松江歴史館の松江城下町模型、京橋北詰の勢溜

前回の例え話でいうと、バロックスワークスのMr.2にあたる人物がいたことになる。
「マネマネの実」の能力者で、オカマ拳法の使い手ボン・クレー。侵入してきた敵を、
その拳法によって、木っ端微塵に粉砕する光景が目に浮かぶ。ボン・クレーの周りには
変な取り巻きがいたので、そいつらを鉄砲隊60人と置き換えればいい。

「あちしの蹴り1発がライフルの1発だと思えばいいわ。た~~~~~だし!!
少々 弾は大型だけどねい!!!風穴開けたるわァ!!!!アン!!!ドゥ!!!」
とか戦闘シーンを想像するともう…。

「馬溜」の記事では触れていなかったが、上に書いたように出撃後、もし第1次
防衛線などが突破され、この「勢溜」や「馬溜」に一旦引き上げてきたとしよう。
そうしたときに、全員が全員味方とは限らない。もしかしたら敵兵が中に紛れ
込んでいるかもしれないというリスクもある。そうした場合、この広場は点呼
する場所としても利用されることになった。Mr.2がもし敵の中にいれば、マネマネ
の実の能力で味方になりすまして、忍び込んできたりするだろうけど、幸いMr.2
は味方としてこの「勢溜」を守っているので心強い。
※このMr.2はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。

家臣No.2の人間がここを押さえているというのは、紛れもなく
ここが重要なポイントであることを指し示している。

前回No.3の家臣を紹介し、今回はNo.2。次に来る人間は…。

実はこの勢溜、内山下の入口にあるだけではない。城下町、外郭全体で見た時、
他にも外郭へと入る場所や外郭の外でも築かれたりしている。ここで、どこどこ
と言ってしまうと、面白みが欠けるので、ここでは具体的な場所は出さずに、
他の勢溜がどのような構造になっているかをまた絵図で見ていきたい。

勢溜02
[Photo]京橋北詰以外の勢溜例

これをよく観察すると、と言っても加筆しないと分かりにくいと
思うので事前にある程度加筆させていただいた。
※この拡大図でどこかもうバレバレだったりもする…

下から上に向かって矢印を書いているのは、敵軍の進行方向で、
この写真の東西南北は北を上とし、普段見ている地図と同じなので
下から上に敵軍の進行を書いていることからも分かる通り、この
場所から上の方には松江城の主要部・内郭がある。そこまでたどり
着かせないぞ!!というわけで、黄色で示した勢溜が存在している。

ここの勢溜は、京橋北詰のものよりは規模が小さい。しかし、規模が
小さいながらも京橋北詰の勢溜にはない別のものが構築されている。

それは何かというと、南から侵入してくる敵が、矢印の方向に向かって
直進すると、水堀になっている堀に落ちるよう橋がわざと道と直線的に
つながらないように西へズラされている。

筋違いに架けられていることから「筋違橋」と言い、さらにこの橋を渡ると、
勢溜の南側に左側からひょっこり顔を出しているものに突き当たる。

実はこれ、土塁。左だけじゃなく、斜め右手前にも土塁が築かれており、
喰違いの土塁となっている。勢溜でも枡形の体裁がとれているのに、
さらに勢溜の前面にも枡形を形成しているので、いわば勢溜1つが
曲輪と化していて、小さいという弱点をうまくカバーしている。

この勢溜一帯にも京橋北詰の勢溜同様、鉄砲隊をつけられた家臣たちの屋敷地が
複数続いていたことが分かっている。石高に関しては、300石~800石程度の家臣
なので中堅どころが脇を固めていた。いかに京橋北詰の方が重視されていたかが
分かるだろう。

ここで家臣No.1が出てくるのでは?と期待した人がいたかもしれないが
まだ出てきません。それは次回以降の楽しみに取っておきます。

本題はこれで終了。話は変わって、ここ2~3日体調がすぐれない。
体が熱を帯びていて、鼻水も止まらない。今日が「風邪の日」と聞いて、
あぁやっぱり風邪かなぁーっと、思う今日この頃。(気づくの遅いだろ、と
ツッコミが入りそう…。)

みなさんも体調管理をしっかりして、この寒い冬を乗り切りましょう!!

以上

今回はここまで。また次回。



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