#oshiro/城郭記
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Author:#oshiro
―城郭数寄者
城郭(最近は近世が特に…)と数寄建築・茶の湯が好きで、各地のお城や茶室を巡っています。中世城郭も好きですが、今は写真メインで巡ることが多く、土造りの城より石垣が築かれた城に足を運んでいます。
[注意!!]元々理系なため、文章がメチャメチャ下手糞です。と、ここで保険をかけておきます。



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松江城-18/外郭の防衛体制3.00
松江城-18/外郭の防衛体制3.00 【松江編 #18】

前々回の重臣屋敷・前回の勢溜と、松江城大手口から徐々に
南下しながら外郭を見てきて、今回がその3回目。

勢溜があった京橋北詰から京橋を渡って南へ行くと、そこは外郭から外れてしまう。
なので、南下するのを取りやめて勢溜があった京橋北詰から一旦北上してみようと思う。

松江20121202_799
[Photo]母衣町の交差点

上の写真は、京橋北詰から北上して最初の信号がある公差点。
何か変わったところを感じないだろうか?

これは西から撮影した写真なんだけど、信号の先の東はこの西側の
道路から少しズラされて十字路が出来ている。完璧な十字路とは
なっていない。普段何気なく歩いていれば、真っ直ぐ繋がった十字路
に出会うだろう。

これは戦略道路の1つ、「鉤型路」という。
城下町には多く見られる守りの1つで、敵の侵攻を
妨ぐために工夫された変則十字路

当時とは景観が異なるものの、交差点の筋違いにその名残りを留めている。
東西は先が見通せないことで、進みにくくしている。

鉤型路01
[Photo]往時の鉤型路のイメージ(母衣町の現説より抜粋)

前回の勢溜同様、松江の城下町に限った話でもなく、他の城下町でも
鉤型路はあるし宿場町にも多く存在した。鉤型路というよりは、
鍵の手」と言ったほうがしっくりくる人は多いんじゃないだろうか。
鍵の手と言えば、萩城下町な気がする。萩では、鉤型路のことを「鍵曲」と
呼んでいて、現在放映中の「八重の桜」ではここでロケを行ったそうだ。
前回言った城の遺構は、各地で呼び名が違うのを納得頂ける例ではないかと思う。

地元ではこの鉤型路を「矢溜」と呼ぶ人もいる。
と言うと、前回の勢溜・馬溜と“溜”がつくところだらけ。

市内にはここ以外にも複数ある。絵図を見れば往時はもっとあったこと
が分かるが、今は道路の改良などにより鉤型路が少なくなっている。
※鉤型路がある場所には、解説付きの碑が設置されていますが、場所に
よって解説の内容が異なりますので、1つ回るだけでなく複数回るとより
良いかもしれません。


鉤型路04
[Photo]堀尾期松江城下町絵図に見られる鉤型路

前回記事にした勢溜を絵図に追記して、その上にある鉤型路が今回上に
挙げた写真の箇所だが、ここ以外に1つ上にもあるし、また京橋から南下
した箇所には6箇所も密集した場所があってビックリさせられる。

松江20121202_788
[Photo]寺町の鉤型路

実は松江の鉤型路として代表的なものというのは上の鉤型路を含む
寺町白潟本町にまたがるものと言われている。南北筋が3箇所連続
して屈折していることが上記絵図を通して確認することが出来るが、
実はこの名残も現在残っている。

鉤型路03
[Photo]白潟本町に残る地図

信号2箇所とその1つ左の交差点、3つとも屈折している。
松江城は南側から東側にかけて敵が攻め込んでくるであろうと、この松江城
記事で散々書いてきた。その証拠に内郭石垣が築かれているのは南側から
東側にかけてだったし、上の絵図を見ても分かるように、重臣屋敷が集中していた
大手から鉤型路を経て、鉄砲隊が配備された屋敷や家臣№2が守っていた勢溜、
そこからさらに南下して鉤型路が6つも集中している。

松江城築城当時、敵は主に南側の山陰道方面から攻めてくると考えられていた。
そのため、松江城へと攻め入る敵勢は南北筋を北進する可能性が高かった。

上の寺町の鉤型路をもう少し引いたところから見れば、さらに南に下った
ところから見ることになる。攻め込んできた敵からは景観が違うものの、
写真右隅に写るお寺が正面に見える。

道をずらすことで、お寺が正面に見え“行き止まり”だと勘違いしてしまう。
敵の立場からすれば、ここを前進しても意味がない。別の道筋から攻めよう。
と、錯覚するが、連続する道筋がこのような行き止まりに見えれば混乱して
しまうように思える。「この町は何なんだ???」と…。

これで、外郭からさらにはその外まで南下して書いてきた。
外郭編だと言うのに、もう3回目で外郭から外に出ているという…。

さて、先ほどの6箇所鉤型路が集中している場所から、東南へ行くと松江駅がある。
その松江駅から松江城へ行くにはこれまで記事に書いてきた鉤型路や勢溜、重臣屋敷
を北進しながら体感することになり、山陰道方向から北上してくる松江城側から見た
仮想敵となることが出来るので、自分がオススメする松江城の攻城方法の1つである。

松江城が東南を意識した縄張りになっていたことが今までの記事を通して
理解いただけたと思う。松江城から見て東南方向には何があっただろうか。

松江城の築城から3年後、大坂冬の陣夏の陣が起こった…。

以上

今回はここまで。また次回。



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