#oshiro/城郭記
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Author:#oshiro
―城郭数寄者
城郭(最近は近世が特に…)と数寄建築・茶の湯が好きで、各地のお城や茶室を巡っています。中世城郭も好きですが、今は写真メインで巡ることが多く、土造りの城より石垣が築かれた城に足を運んでいます。
[注意!!]元々理系なため、文章がメチャメチャ下手糞です。と、ここで保険をかけておきます。



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松江城-26/縁雫
松江城-26/縁雫 【松江編 #27】

』と聞いて、どんなイメージを持つだろうか。

自分の場合、「週末は雨です」と天気予報士が言っていたら、
かなりテンションが下がる。城跡へ行くのもどこかへ出かけるのも
晴れだと気分がいいし、写真撮るのにも晴れのほうがいい。
あと洗濯とかにも影響してくるし。

松江から帰ってきて、秘密のケンミンSHOWを見ていた時、あのドラマで、
新潟の放送局にはるみが行った際、「明日はあいにくの雨」と言って、
周りがドン引きしていた。新潟では雨を恵みの雨だと感謝し、天気予報時に
「あいにく」と言うのはおかしいそうだ。

雨に対する考え方って、人や地方によって異なる。
農業に携わったことがないので、雨の大切さというのをあまり実感した事がない。
夏に日照りが続き農作物がダメになるというニュースを耳にして考えるくらい。
農家に生まれていれば、少なくとも今よりは感謝の気持ちが強かったと思う。

そして、今連載中の松江でも雨に対する考え方は自分と違った。

11月に入ると松江の天気はころころ変わるらしく、『山陰と言えば雨、
雨と言えば山陰』と言われるくらいで、「弁当を忘れても傘は忘れるな」
という格言まである。松江に行った時は、11月末から12月頭までいたが、
確かに天気が崩れやすく、晴れに恵まれたのはほんの一時だった。

2009年から開催され、去年第4回を迎えた「観光甲子園」。
この第1回で、松江市立女子高等学校が優秀作品賞を獲った。

この女子高の観光コースの生徒たちが、縁結びのまち・松江に降る雨を
縁雫”と命名し、梅雨時季の松江の魅力をまとめたプランを甲子園で
発表し、受賞している。

「縁雫」と書いて、“えにしずく”と読む。

「縁結びの地でもあり、水の都でもある松江。松江には雨の似合う
スポットがたくさん。その雨は日常のストレスを洗い流し、心に潤い
を与えてくれることに感謝する気持ちを思い出してほしい。」
という想いから生まれたそうだ。

今では松江観光協会を通して商品開発が行われ、「縁雫」というロゴや
商品をよく目にする。「縁雫ワッフル」や「縁雫カクテル」というのがお店
で扱われており、縁雫カクテルに関しては雨の日だけというメニュー
だったりもする。

何度か記事に出てきた松江歴史館では、ミュージアムショップ名が、
このプロジェクトから「縁雫」とネーミングされている。

“松江の雨は縁を運ぶ”

松江で縁雫に出会うことができれば、素敵な縁に出会うことが出来る…

素敵な言葉だと思った。

雨の城跡巡りは困難を極める。足元が悪くなるため、あまり遺構
見て回ることが出来ず、傘を持っていると写真撮影もままならない。
終いにはテンションの低さから、もういいかという気分になり帰る始末。

だけど、雨の時でしか見れない機能もあるので、雨でも城跡を楽しむ
ことが出来るのはありがたい。そういった意味で、雨の松江城
出会えたことは素敵な縁だった。

雨の日、松江城天守へ行くと、付櫓や天守の軒先から滴る雨のしずくが
雨落受けのに当たる様子を観察することが出来る。これはしずくによって
地上がえぐれないようにするという目的もあるが、軒先から地面に落ちた
雨水を集めるて排水させるのが目的で敷かれている。この場所のように
瓦のものもあれば、石を組んで作られているものもある。別に松江城
限った話ではなく、姫路城や他の城でも見ることが出来る。

松江20121201_772
[Photo]軒先下の雨落受けの瓦

近くで観察してみると、しずくが落ちる箇所が瓦からズレて地上が
えぐれてきていたりする。

こういった主要な建物の周囲に巡らされている屋根からの
雨水を受ける雨落溝と呼ばれる排水溝。

今は軒先に雨樋がついているので玄関から入る時、目の前で滴が落ちる
ことはないけど、天守に入る時には、目の前をボタボタボタボタ…と、
滴が落ちていく。

地面にあるか、屋根に取り付けられているかの違いはあるものの、
「雨落溝」と「雨樋」は同じ役割を果たしている。とすると、雨樋は
画期的なアイデアだったとも言える。

本坂脇の排水溝は、残念ながら近代的なものに変わっていたが、
遺構保護などでこの下には、往時の排水溝が眠っているかもしれない。

松江20121201_768
[Photo]本坂脇の排水溝

松江城では至る所で発掘調査されており、その際、この雨落溝が廻って
いることも確認されている。それによると、ほとんどが来待石製の雨落溝
石列が廻っているというもの。多分、この排水溝の下にもその来待石で
出来た雨落溝があったのではないだろうか。

この来待石というのは、今も採石場から切り出されている。
来待石というのは宍道湖の南岸地域、特に宍道町や来待周辺
から採掘されるため、この名がついたと言われている。

もしかしたら、上の写真に見られる排水溝も現代になって切り出された
来待石が用いられているかもしれない。と、思っていたところ宍道町の
土江石材店が納品例に松江城を挙げている。紹介写真に松江城の上の
写真の排水溝がある本坂が写っているので、来待石製なのは間違い
なさそう。

江戸時代には松平直政公が「お止石」として、他藩への持ち出しを
厳しく制限した特産品「来待石」。

加工のしやすさ、また独特の風合いから300年以上も前から建築造園材
として今も用いられていて、この記事に何度か登場している7代藩主
不昧公は来待石で出来た出雲石灯籠を高く評価している。

先日、お茶処として紹介した記事に、松江歴史館にある“喫茶きはる”からは
日本庭園越しに松江城天守が見えると言ったが、この日本庭園には、特産の
来待石で出来た石灯籠が置かれている。今、出雲石灯籠は経済産業大臣より
伝統的工芸品の指定され、松江城の大手前駐車場横にある島根県物産観光館
では、2Fで来待石製の石灯籠を販売していたりする。

また、歴史館の入口付近には如泥石というものがある。これは不昧公
お抱え大工の小林如泥が考案した事から名付けられた来待石製の石。

今では少なくなっているそうだけど、水害が多かった松江で大橋川
宍道湖の護岸整備に如泥石が用いられてきた。まとまった数が今
見られるのは、宍道湖に浮かぶ嫁ヶ島。ここでは今も2列に並ぶ
如泥石が見られる。

松江20121127_松江歴史館「如泥石」01
[Photo]松江歴史館に置かれている如泥石

この来待石には天然ゼオライトというものが大量に含まれていて、
宍道湖の水質浄化にも役立っているんだとか。

さすが水の都、松江。
城内の排水溝を来待石にして水質浄化し、それが石樋を通じて
流れ込み、それが宍道湖に繋がっている。そしてその宍道湖でも
水質浄化。

水の循環がスゴい。いや、縁雫の循環と言ったほうがいいだろうか。
当時はそんな事知らずにやってたんだろうけど…

松江20121129_松江城二の丸下の段石垣にある石樋01
[Photo]松江城二の丸の石樋、堀に排水されている

話が大分逸れたけど、石垣が築かれた近世城郭では水の処理が大変重要な
課題だった。石垣にとって内側からの水圧は大敵で、地下にそのまま排水
すると、それが地下にたまって、ゆくゆくは内側から石垣を圧迫して
崩壊たらしめる。

石垣の外にいかに効率よく水を逃すか?先人たちの知恵を伺うことが
出来る遺構。上に載せた石樋の写真も、地下の暗渠排水と繋がっていて、
堀へと排水していくもので、決して“抜け穴”などではない。

石樋は築城当初から石で出来ていたかというと、そうでもなかったりする。
最初は木樋のところが多かった。上田藩では上田城の木樋が腐朽したため、
石樋へ変更するのを、石垣修復願い同様に幕府に願い出ていたりする。

今日、江戸時代の排水システムを超えるものを作るのは難しいらしい。
川に小舟を浮かせてどこまで辿り着くかを観察するように、このような平山城
本丸の排水溝に小舟を浮かせて、二の丸から三の丸へ、さらには堀まで辿り
着くかを雨の日観察できたら面白いけど、まぁ多分辿り着かないだろうし、
許可なくやっちゃいけないだろう。

話は変わって、最後に1つ。

この時の遠征では松江城に何度か足を運んだ。
安来に行った日を除けば毎日行ったことになるが、その度に城内の
清掃を行う人達を見かけた。もちろん、上で書いてきた雨の日でも。

松江20121201_775
[Photo]雨の中、松江城中曲輪で清掃を行う人たち

松江城ではほぼ毎日清掃が行われ、そのため落ち葉などがほとんどない。
紅葉の時期は少し過ぎてしまって、木には葉があまりついていなかったので、
その落ち葉を全て回収していたことになる。

スゴいなぁ~と思わず感心してしまった。

普段会社の清掃員とすれ違っても、挨拶するだけで何とも思わないんだけど、
ここでこうして、雨の日も風の日も清掃活動している姿を見ると、清掃する
人には、口に出さずとも感謝の気持ちは持たなきゃいけないと思った。
お前は何年生だ、とツッコまれそう…でも、今の世の中、感謝の気持ちを
持っている人は少ないんじゃないだろうか、冒頭の雨に対する考え同様。

一方、別の津山城では、備中櫓の人に聞いたけど、落ち葉はなるべく
掃かずに残してくださいと清掃者にお願いしているそうだ。桜の名所
として有名だけど、紅葉シーズンは城内の木々が色づき、地元の
ニュースでは紅葉の名所として紹介している。

「京都の寺院では紅葉の落ち葉は掃かないが、奈良では落ち葉を
掃く」と耳にしたことがある。それと同じようなことが城跡でも
あることを知った。

どちらがいいと思うかは人それぞれ。

個人的には紅葉の時期、落ち葉がある方が好きかな。

でも、城内の清掃には感謝したい。
雨だけでなく、目から涙という縁雫がこぼれそうでしたというお話。

実際にはこぼれなかったけど。

以上

今回はここまで。また次回。



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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術


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