#oshiro/城郭記
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Author:#oshiro
―城郭数寄者
城郭(最近は近世が特に…)と数寄建築・茶の湯が好きで、各地のお城や茶室を巡っています。中世城郭も好きですが、今は写真メインで巡ることが多く、土造りの城より石垣が築かれた城に足を運んでいます。
[注意!!]元々理系なため、文章がメチャメチャ下手糞です。と、ここで保険をかけておきます。



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松江城-28/整形疑惑
松江城-28/整形疑惑 【松江編 #29】

正保城絵図が描かれた時期、大名の数は230~240家あり、この内
陣屋などを除いた城の城主格は130家程度だったと言われる。

その諸大名が提出した正保城下町絵図は、紅葉山文庫に収蔵され、
同文庫の最後の蔵書目録である『増補御書籍目録』には幕末まで
131点が伝わっていたことが分かっている。

戊辰戦争時に薩長軍が奥羽の諸藩を攻撃するのにいくつか城絵図
持ち出され、今では国立公文書館に63点しか残存していない。
自分たちが提出した絵図で攻撃されて町が破壊されるだけでなく、
絵図もなくなるとは…

実は国立公文書館に引き継がれた絵図以外に、もう1つ松江城下町
正保城絵図がある。

正保期、松平家松江藩を拝領していたので、2つある正保城絵図の内、
1つは松平家家老の乙部家に「松江城正保年間絵図」が伝わり、松江に
残った。

以前、正保城絵図から建造物石垣について詳細な情報が描かれている
と書いたけど、それ以外にも絵図から面白い事が分かってくる。

現在松江に行くと、この絵図に現在の地図を重ねたものが城郭の違い等が
確認出来るように、下のような案内図が設置されている。

松江20121127_179
[Photo]松江城正保年間絵図、現在の地図を重ねている
※写真は、松江城三之門跡脇にあったものですが、カラコロ広場にも
設置されています。


城下町時代MAP○○編』の本とまではいかないけど、今自分が立っている
場所が絵図でどこの場所だというのが分かって、絵図で松江の城下町を
歩くことができる。

まぁ、今スマホとかあるから、デジタル・アーカイブを見ながら…という
手もあるが、残念ながらそれには現在の地図がトレースされていない。

正保期絵図以外の絵図も見ながら歩きたいという人には、松江城下町絵図を
まとめた絵図集が出ているのでそれをオススメしたいけど、すでに絶版に
なっていて、今入手するのは困難。
(これ、現時点Amazonで中古品が1点、定価の2倍で出品されてる…)

ちなみに、以前外郭の防衛体制で紹介した「堀尾期松江城下町図」は、東京の
古地図店のカタログに360万円で掲載されていたものを島根大学が数多所掛け
あって購入した経緯がある。詳しくはいつか別の記事で取り上げたい。

話の脱線ついでに、もう1つ余談。
島根大学附属図書館では、“マルチメディアテーブル”というシステムの画面上で
江戸初期・後期の絵図、明治後期の松江市街地図、現代の空中写真の4段階の
景観変化を確認することができる。

景観変化だけじゃなく、主要な部分に関する解説や音声付なため、学習も可能。
残念ながら見たことはないけど、こんなのをスマホのアプリとかで販売したら
一儲けできそうなんじゃないかと考えてしまった。

で、話を元に戻すと、

松江城天守が描かれた絵図として今のところ最も古いと
されているのが、この「松江城正保年間絵図」。

正保松江城絵図_天守
[Photo]松江城正保年間絵図から天守部分を抜粋(左が南面、右が東面)
※現地解説板から転用しているので、分かりづらい部分有。
今後、ちゃんとした写真が手に入れば差し替えようと思うが、今回はこれで
勘弁してほしい。今ちゃんと見たいという方は、下のデジタルアーカイブを
開いて見てください。(↓クリックすると、別ウィンドウで開きます。)

http://www.digital.archives.go.jp/gallery/view/detail/detailArchives/0000000268

この天守。屋根を見ると、1階の東面と2階の南面に2つの三角形(△)屋根が
並んでいる。三角形の屋根は千鳥破風と言い、さらにこのように2つ並んだ
形(△△)を比翼千鳥破風(2連千鳥破風)と呼ぶ。

ちなみに、それらの上階にも破風があり、上層1つ下層に2つある3つの千鳥破風が
組み合わせられた形を、城郭建造物意匠を専門に調査研究している阿部和彦氏が
組千鳥”と命名している。

ちょっと上の拡大写真では松江城と書かれた文字でちょうど重なって見えないけど、
東面の組千鳥の上階の屋根(松の字の上辺り)は唐破風と呼ばれるカーブを描いた
形になっている。唐の字があるけど、中国にはない日本特有の屋根形式。専門用語
で多少話が難しくなっているけど、要は全体的に装飾性が強い形式ということ。

では、現在の松江城天守がどうなっているか?を見ていくと、

松江20121202_松江城天守243
[Photo]松江城天守西面

写真を見て分かる通り、絵図とは違い、東面と西面は入母屋破風になっている。

組千鳥どころか、破風が2連している比翼千鳥破風すらない。
北面、南面にも。

昭和30年に天守は修理されているけど、組千鳥から入母屋破風へ全く
異なった形に変更したなんていうのは報告書に記載されていない。

それに今は望楼型天守なのに、絵図の天守は層塔型天守に見える。

信州松本から松江に入封した松平家は、最初松江城の建造物を調査している。
松平家の大工頭だった竹内右兵衛が『かきつけ』と呼ばれ、今でも復元史料
として用いられる本丸・二ノ丸・二ノ丸下ノ段の諸施設を書き記したものを
残している(実際は孫の竹内宇兵衛が書いたとされている)が、その右兵衛
が天守の雛形模型を造っている。それは松平家が入封時に天守の高低を
見つけ、その修築方法研究のために造られた。今では天守内に展示されて
いるけど、それを見る限り今の屋根の意匠と変わらない。

実態とかけ離れた天守が描かれた正保城絵図

原城島原の乱が起こった後、徹底的に各地の城郭を破城したりするために
幕府から巡見使が派遣され、各国を査察してまわったりするけど、なぜ違う
絵を描いちゃったのか。そいつらが来たらバレちゃうのに。
(巡見使を接待してうまくやり過ごした、なんて話も聞いたことあるけど…)

こういった絵図を描くのは藩のお抱え絵師だったりするので、もしかしたら
天守を見たことがなくて、藩士などから聞き取りしながら書いたとすれば、
実物と違ったものになった可能性はある。

ところで、描かれた天守東面は名古屋城天守の東面によく似ていると言われている。
名古屋城天守に似せて描くことで強権をふるう幕府にへつらったと憶測されているけど、
だったら江戸城天守にしたらダメだったのか、名古屋城天守を見たことがあったのか
などと色々疑問がわいてくる。

名古屋20101121_名古屋城891
[Photo]名古屋城大天守東面

で、自分が1番可能性高いとして考えているのが松本城の天守。
今、松本城を見ると破風が少なく、それは実戦を意識して作られたから
だと解釈されているけど、本当はもっとあったかもしれないということが
分かっていることも確か。

松本20130105_松本城天守群西南面160
[Photo]松本城天守群

松本城も松江城同様、昭和に大修理が行われている。
この昭和の大修理で十分な痕跡が認められかったため、復元されなかった破風がある。

それは“大天守4階北側の千鳥破風”と“大天守4階南側の比翼千鳥破風”。

前述したけど松平家は松江に来る前、松本を治めていた。
松本城の月見櫓は、3代将軍家光の立寄りに合わせて直政が築造し、
今見る連結式の天守になったのはこの時。

松江城の正保絵図を描いた人は、この松本城天守が頭にあったんじゃないだろうか。
残念ながら組破風ではないし、1階じゃなくて4階に比翼千鳥破風があることから、
絵図の屋根とは破風の位置が異なっている。

松本城の外観を今見る限り、層塔型天守で唐破風の下に千鳥破風がある。そして、
比翼千鳥破風という2連の千鳥破風があったのなら、別の天守を描いた候補に
松本城を挙げてもいんじゃないだろうか。
※松本城は、Wikiでは望楼型と書かれているが、三浦正幸氏等の建築史家からは
層塔型天守と言われている。正確には、外観は層塔型で内部は望楼型。元々は
望楼型で建てられていた天守だけど、松平直政が入封して前述した月見櫓を増築
する際に、天守を改装している。


最後に、自分たちが今目にしている松江城天守は創建当時からのものではないかも?
と言われている。それは開府以後400年間の間で改修されたことが否定できないから
だそうだ。上で書いてきた“絵図の天守が今と違う”というのも理由の1つ。

絵図に計画図があるように、模型にも計画のために造られたものがあったかもしれない。
前述した天守の雛形模型も、前の天守からこの模型のように改修するという意味で
造られていたら確かに否定できない。今見る天守の前は、組破風や唐破風など
装飾性豊かな天守だったのか?などと想像を掻き立てられる。

普段見慣れた顔が、実は昔に整形したものかもしれない。
テレビ番組でも、昔の写真を出して、整形しただろーなんて
突っ込んだりされる場面をよく見る。

あなたの側にいる人も、もしかしたら…

以上

今回はここまで。また次回。



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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術


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