#oshiro/城郭記
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Author:#oshiro
―城郭数寄者
城郭(最近は近世が特に…)と数寄建築・茶の湯が好きで、各地のお城や茶室を巡っています。中世城郭も好きですが、今は写真メインで巡ることが多く、土造りの城より石垣が築かれた城に足を運んでいます。
[注意!!]元々理系なため、文章がメチャメチャ下手糞です。と、ここで保険をかけておきます。



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食べ歩記01/松江藩お抱え蕎麦屋
食べ歩記01/松江藩お抱え蕎麦屋 【松江編 #30】

松江城外郭より南側、以前勢溜の記事で書いた京橋川から南にある
大橋川の間を“末次地区”と言って、ここには商工業者が居住していた。

今も茶町・末次本町・苧町など、当時の町名が残っている。


大きな地図で見る
[Map]末次地区と白潟地区

京橋の近くには、“京店”という地名が残っているけど、これは
末次本町の別名で、京都の商品を売る関係から生まれた。
※上の地図で“+”を1クリックすると、末次本町の上に『京店』と
出てきます。


大橋川を南下すると、以前記事に書いた鉤型路が5ヵ所も集中している
寺町白潟本町がある。前述した商工地区だった末次から徐々にこの
白潟へと移り、幕末頃には末次を凌ぐものになった。

松本そば』という蕎麦屋も、幕末に白潟地区の寺町に進出してきた。

末次からの移転ではなく、郊外の楽山という場所からやってきた。
以前、水の都の記事で触れたけど、楽山は松江藩主の別荘があった場所で、
不昧公の茶会がよくここで開かれた。この楽山に推恵神社があり、その境内
に不昧公お抱えそば屋で明治まで代々藩御用の家があった。

幕末、そのそば屋の次男が寺町に出て、木村から松本に姓を変え、
そば屋を開業。それがこの『松本そば』の原点。

このお店の2代目の娘さんがご主人と、出雲そばの伝統を守っていたけど、
その夫婦も高齢となって、跡を継ぐ人もなく、平成11年に暖簾を下ろした…

今は、そのお店の暖簾を引き継いだ店を平成22年再開。
住所は白潟本町だけど、寺町の隣町で開業当時とほぼ同じ位置にある。

松江20121129_松本そば店入口02
[Photo]松本そば入口

松江の老舗蕎麦屋は閉まるのが早い。

最初、松本そばに来た時は、すでに閉まった後だった…
なので、このときはリベンジ。

アバウトな性格なので、行ったら開いてるだろー感覚。
松本そばの歴史は調べていたけど、肝心な営業時間・定休日などは
全く調べていなかった…

店内に入ると、スーツ姿が多かった。その辺のサラリーマンが来てるのかな?
観光客は自分1人のようだったので、あまり知られていないのかもしれない。
場所が場所なのと、あと平日だったことも理由かな。

やはり、この地方のそばと言えば“出雲そば”。
というわけで、『三味割子そば』を注文した。

松江20121129_松本そば店三味割子そば02
[Photo]三味割子そば

松江では、“”と呼ばれる集団によって「割子」が作られた。

写真を見て分かるように、割子そばは左に見える三段の丸い漆器に盛られた
そばに、右に見える薬味を好みの量入れて、それにそばつゆをかけて食べる。
出雲のそばつゆは濃いので、最初の器に入れたつゆを次の器にかけていく
食べ方を老舗蕎麦屋では教えてくれる。

松本そばに来る前に、『神代そば』という松江の老舗蕎麦屋に
行っていたので、その食べ方は知っていたが、ここでも丁寧に
教えてくれた。

連が作った割子は弁当箱としたのが始まりだったけど、幕末の頃には
割子そばが定着していたそうだ。今は、容器が丸いけど昔は長方形や
小判型の形がメジャーだった。

江戸時代、長方形の割子を使った「拍子木喰い」という食べ方があり、
長方形の割子を2つ両手にそれぞれ拍子木のように持って、パン!!
と打ち鳴らして、下の隅のほうを口へ近づけて、すするように食べて
いたんだとか。

(こぼしたりしなかったんだろうか。ポテチの袋を逆さにして
食べるような感覚に近い?つゆとかどうしたんだろ。)

さすがにそんな食べ方は出来なかった。
周りが引くかもしれないし…そんなことしだしたら。

11月末の松江は少し寒く、この時期に冷たい割子を食べるのは
どうかなぁ~と思ったけど、温かい蕎麦湯が体を温めてくれた。
気持ちだけ。

古来から出雲地方では、蹈鞴製鉄と共に蕎麦栽培は盛んで、松江に「蕎麦切り
が伝わったのは、松平直政が信州松本から移封された時だと言われている。
松本そばの前身、楽山の木村氏は信州でそばを学んで来ていた。

その後不昧公により、それまで庶民の食べ物と言われていた蕎麦が茶懐石の
一品として用いられ、大名貴人にまで食べられるようになった。

そばアレルギーの人にはオススメできないけど、もしアレルギーじゃなく
そばが好きな人は是非松江に行ったら、足を運んでもらいたいと思う場所
の1つ。

楽山にあった木村姓の蕎麦屋はその後どうなったんだろうか…
現在、推恵神社の横に『木村楽山園』という造園業を営む家がある。

以上

今回はここまで。また次回。



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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術


コメント
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このコメントは管理人のみ閲覧できます
[2013/04/06 17:05] | # [ 編集 ]

Re: タイトルなし
こんにちは。
熊本にも出雲そばのお店があるんですか。
ツイッターはやめました。特に見ても呟いてもいないので。
[2013/04/07 12:09] URL | #oshiro #- [ 編集 ]


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