#oshiro/城郭記
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Author:#oshiro
―城郭数寄者
城郭(最近は近世が特に…)と数寄建築・茶の湯が好きで、各地のお城や茶室を巡っています。中世城郭も好きですが、今は写真メインで巡ることが多く、土造りの城より石垣が築かれた城に足を運んでいます。
[注意!!]元々理系なため、文章がメチャメチャ下手糞です。と、ここで保険をかけておきます。



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備中松山城-1/城の管理体制
備中松山城-1/城の管理体制

天守が現存する備中松山城

備中松山20121121_備中松山城天守17
[Photo]備中松山城天守

解体修理される前の古写真を見ると、それはもう廃墟同然。
松江城と同様、昭和に修理され、今では綺麗な天守になっているけど、
整備される前は見るに耐えない姿だった。

現存12天守という枠にハマったのは奇跡に近い。

天守が残った要因はいくつかの事象が重なりあったことから今に
至ると考えられるけど、今回はその要因と思う1つを紹介したい。

備中松山城は幾度となく城主が変るけど、その中で
幕末まで城主に至った板倉氏に注目する。

■松山藩、城の管理体制(板倉氏時代)

小松山城(備中松山城)は江戸時代、「山城」と呼ばれていた。
松山藩では、麓にある藩主居館・御根古屋を「」と呼び、“登城する”と
いうと、この御根古屋に出仕することを指していた。これは他の城でも見られ、
姫路城の場合は、絵図や文献史料において、三の丸御殿とその曲輪にだけ
本城」という言葉が使われている。藩士の感覚では、“城=三の丸御殿”
であったことが分かる。

平常、山城と呼ばれる小松山城には、山城番人4人が城内三の丸の足軽番所
に常駐し、城内の警備と施設の管理に当たった。

山城の大手御番所宛に出された「定」によると、

①番人は5日交替で詰切り、交替の時には諸道具を念入りに改めて引き渡すこと。
②本丸曲輸を朝夕1度ずつ見廻り、変わったことがあれば御番衆へ連絡し、
 惣御門日行司まで伝えること。
③火の元に気をつけること。


などを申渡している。
※朝夕1度ずつ見廻る本丸曲輸は山城の本丸という意昧ではなく、板倉家では
旧領の亀山城の呼び方にならって御根小屋(城主居館)を二の丸、山城(小松山城)
全体を本丸と呼んでいた。


また、山城の登城口にある坂口御門番所にも番人が常駐していた。

上の「定」と同じタイミングで、この登り口御番所(坂口御門番所)宛にも「定」が
出され、それでは、

交替の刻限の厳守、道具改め、火の用心のほか、御番衆や目付役の
発行した許可書を持っていないものは登城させてはならないこと


などを申し渡している。

さらに、城下や山城の治安維持・警備状況を視察して廻る目付役がおかれ、
山城の見廻りは遠廻りといって日を定めずに月1回行なっていた。
(日を定めてなかったっていうのは、ほぼ抜き打ちに近いのかな。
会社でも抜き打ちの2Sチェックがあるので、それに近い感じがした。)

目付役は大手門から三の丸・二の丸を見廻り、本丸東門を通って天守に
入り、三階の御社壇を開けて御神体の宝剣を確かめた後、水の手門ヘ廻って
封印改めを行ない、上番所ヘ立寄って武具改めをすましたうえ、番人に
諸注意を行なって下山した。

幕末の混乱期には山城警備が強化され、文久3年(1863年)9月からは5倍の20名が
詰切り、交替で昼夜警備にあたるほか、取次役歩目付役各1人も常駐した。
これらの番人の食事は、火の用心や城内に調理施設がなかったため、山城では
調理出来ず、武家奉公人の中間に弁当をもたせて登らせていた。

以上が、松山藩(板倉氏時代)での城の管理体制の一部で、「定」は板倉氏が
伊勢国亀山から入封した年に出されている。

このような管理体制が運用され、家臣が粉骨砕身、務めたおかげで失火もなく
今日まで天守が残った。松山藩の前に板倉氏が治めていた亀山でも同じ「定」
があったと思う。昨年末、その亀山城多門櫓で火災が起こったのは残念で
仕様がない。

さて、今の松山城はどうだろうか?

備中松山20121121_備中松山城二の丸にある喫煙場所
[Photo]備中松山城、二の丸休憩所にあるタバコの吸殻入れ

現在、松山城の二の丸には、タバコを吸うことが出来るように吸殻入れが
置かれている。城に興味がない人だったら、そりゃタバコを吸いたくなる
だろうし、ここまでキツい登り坂を登ってきたら一息つきたくなる気持ち
も分かる。

でも、これ矛盾してんだよね。

大手門跡から5メートル下の場所には、『禁煙』の看板がある。
最初にこの看板を見て登ってきたので、喫煙所があることに驚いた。
何のための“禁煙”という看板なのか。意味を失っている。

備中松山20121121_備中松山城禁煙の看板
[Photo]大手門跡下の『禁煙』の看板

本丸に近い二の丸でタバコが吸えて、本丸より遠い大手門跡の下で
禁煙になっているのはおかしい。単なる置き忘れか?この看板。

江戸時代、管理体制を貫徹して守ってきた城。今まで残ってきた天守が
何かのキッカケで焼失することは考えられないのだろうか?

タバコの不始末から火災へと繋がることは絶対ないと言い切れるのか。
「いやいやいや、ちゃんと火の用心していれば大丈夫でしょ。」という声が
上がるだろうけど、万が一・億が一の可能性はある。気づかないうちに服が
焦げていた、なんてことはよくある。

入城券を発券する窓口が本丸に入る所にあるけど、ここ以外に管理している
ような施設はなく、監視の目がそんなにないことから、正直火をつけようと
思えば簡単につけられると思った。

また、消防車等の緊急車両が駆けつけられるように、中太鼓櫓跡の脇には
国庫補助で作られた防災道路(管理用道路)が通っているが、本格的に出火
してしまうと、実際間に合うかどうか分からない。空中部隊も。

別にタバコを吸うのが悪いとは言っていない。

でも、別に二の丸で吸わなくてもいいと思う。分煙とかでうるさい世の中だけど、
吸うところはここ以外にいくらでもある。ふいご峠の駐車場に戻ってからでも、
麓に降りてからでもいくらでもタバコを吸って休憩することが出来る。

「灰皿を置いてあるのが悪い。」という意見もあるだろうけど、置いてあっても、
“吸わないように心がける”のが本当の“城好き”だと思う。

“城を守る”防御施設を見ていくのは楽しい。なので、どうしてもこういったこと
を考えずにいるけど、文化財として“城を守っていく”ことにも心配りすることが
大事だと思う。城に限らず、他の文化財も同じ。

“たばこ1本吸わない”努力が、城の保全に繋がる。

以上

今回はここまで。また次回。



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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術


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