#oshiro/城郭記
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Author:#oshiro
―城郭数寄者
城郭(最近は近世が特に…)と数寄建築・茶の湯が好きで、各地のお城や茶室を巡っています。中世城郭も好きですが、今は写真メインで巡ることが多く、土造りの城より石垣が築かれた城に足を運んでいます。
[注意!!]元々理系なため、文章がメチャメチャ下手糞です。と、ここで保険をかけておきます。



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大坂城-1
【大坂城-1(Date:2011/10/10)】

大坂城は、2011/10/10の訪問で四度目......

最初は、高校の時に修学旅行で来た。
その時は、天守からヤッホーと言った記憶しかない。

二度目は、2006/11/3。
友人との大阪旅行で来た。

これが一番忘れられない思い出......
ここから自分の城巡りがスタートした。
この時のことは追々語るとして、三度目はライトアップを見に来た。

そして、今回の四度目。
意気揚々とのり込んだはいいが、全部は回れず撃沈。

その時のことを、何回かに分けて述べていこうと思う。

2011/10/10は、玉造稲荷神社 → 玉造カトリック教会 → 越中井を見学した後、
大坂城に辿り着いた。

KKRホテル大阪の横を抜け、玉造口を目指す。

行く途中、道から外れた木々の奥に城中焼亡埋骨墳の石碑があった。

IMG_8164.jpg

ちょうどおじさんが掃除をしている中、参拝と撮影をさせてもらった。

慶応4年1月、新政府軍へ大坂城を手放すことに
拒否した一部の幕臣たちが城内に火を放ち自害したと言います。

新政府軍の主力だった薩摩藩長州藩が、彼らの遺骨を埋葬し、
武士の鑑とたたえて、同年7月にこの石碑を建立したそうです。

裏側には「慶応四辰歳七月 薩州 長州建之」と刻まれていたそうですが、
後から知ったので写真がありません......

また道に戻り、
そこから歩いて行くと、
算用曲輪(杉山)を通ります。

IMG_8165.jpg

玉造口南側一帯は秀吉時代から「算用曲輪」「算用場」と呼ばれていました。

名称の由来は、秀吉による大坂城築城時に賃金の計算(算用)が行われていた場所だったとも、
大坂城に納められた年貢や金銀などの計算が行われていたからとも言われています。
江戸時代は、ここに大きなの大木がそびえる小山になったため「杉山」とも呼ばれようになったと
言われています。

ここから少し歩くと見えてきます。

IMG_8167.jpg

そう、玉造口です。

ここは当時、桝形門多聞櫓が建っていましたが、
現在はその姿を見ることが出来ません。

玉造口の桝形内の雁木(石段)を登ると、ちょうど天守が良い感じに見えるので
いっぱい写真を撮りました。

IMG_8185.jpg

別の角度からは、一番櫓も見えます。

IMG_8194.jpg

もう一方の雁木では、狭間半分で遊びました。

IMG_8182.jpg

こんな感じです。

バンッ!バンッバンッ!!

有事の際は、こんな感じに発泡したんかな!?

お城に行くと、ついついやってしまうことが
通称「狭間遊び」という狭間から色んな角度を見て、写真を撮って、
鉄砲ごっこをしてしまう遊び。

読んでいる人の中でも共感する人いるんじゃないかな?

で、玉造口から次は青屋門の方を目指していきます。

が、

今回はココまで~


To Be Continued...




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