#oshiro/城郭記
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Author:#oshiro
―城郭数寄者
城郭(最近は近世が特に…)と数寄建築・茶の湯が好きで、各地のお城や茶室を巡っています。中世城郭も好きですが、今は写真メインで巡ることが多く、土造りの城より石垣が築かれた城に足を運んでいます。
[注意!!]元々理系なため、文章がメチャメチャ下手糞です。と、ここで保険をかけておきます。



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大坂城-4
【大坂城-4(Date:2011/10/10)】

南外堀の外側を歩いてきて、
ようやく大手門千貫櫓が見える位置までたどり着いた。

IMG_8375.jpg

千貫櫓の名前について、現地説明版より以下引用(一部)
>名称の由来については、織田信長軍の石山本願寺攻めの時、
>一つの隅櫓からの横矢に悩まされ、あの櫓さえ落とせるなら銭千貫文与えても
>惜しくはないと話し合ったというエピソードが伝えられている。

ほぉ、石山本願寺に横矢なんてものがあったんですか......
石山本願寺恐るべし

IMG_8386.jpg

千貫櫓とこの石垣、素晴らしいっ!!
ここも大坂城で好きな場所かなぁ~

右側には土橋で大手門に入る構造となっているので、
この千貫櫓から入ろうとする敵兵に横矢をかける仕組みになっている。

千貫櫓の外観はというと、
石落しは出窓型、狭間は白漆喰で塗篭されてるのかな?
穴はあいていない......
出窓型の石落しは徳川大坂城になったからだなぁ~
名古屋城もそうなんだけど、出窓型の石落しは幕府が築いたお城に
多いようだ。

ここで相方がアレ見てぇ~なんて言うから、何だよぉ~と思いながら
大手門と千貫櫓の間に目を向けると、

IMG_8406.jpg

うわぁ~ハートがある(*^0゚)v
佐賀城でも見たけど、ここにもあるんだぁ~

大手門内に入ると、いきなり巨石が現れた。

IMG_8420.jpg

巨石三連チャン!!(ちなみに上に見えているのが続櫓)
この写真じゃ、分かりづらいね......

なので、

大手門から見て、右側の巨石から順に上から並べると、

IMG_8421.jpg
城内第8位の大きさ「大手三番石

IMG_8422.jpg
城内第4位の大きさ「大手見付石

IMG_8424.jpg
城内第5位の大きさ「大手二番石

一説には、これらの石は3つに割ったものをそれぞれ使用されているらしいんだが、
さっぱり分からないね。

ちょっと巨石に目を奪われたので話が前後するが、
大手門の城内側を見てみると、継ぎ手が有名とのこと。

IMG_8419.jpg

なんでも一見不可能にしか見えない技法が駆使されているとのことで、
謎だなんて言われてるらしいが、斜めに滑らせてハメる仕組みみたい…
「蟻継ぎ」と「殺ぎ継ぎ」を併用した高度な技術だと何かの文献で読んだ。

名古屋城本丸御殿復元工事横のプレハブで
継ぎ手の体験をしたけどすごいね、継ぎ手って。
あんな継ぎ手を考えて、何十年何百年耐えられるもの作っちゃうんだから
ホント、大工さんには感心する。

で、大手門を入った後、左に折れるとそこには城門があり、
これまた厳重な門で防御力が高い。

IMG_8425.jpg

枡形門だね、ここも。

写真は、大門とその上にある渡櫓。先ほどの巨石上にあった続櫓と
合わせて多聞櫓という名称がついている。

現地説明版より以下引用(一部)
>その名称は戦国時代の武将松永久秀【まつながひさひで】が
>大和國(今の奈良県)の多聞城でこうした形式の櫓を
>初めて築いたことに由来するといわれる。

へぇ~そうだったんだ......
多聞城が始まりっていうのは知らんかった。

で、多聞櫓を抜け、歩いていると途中、
残念石?それとも意図的にここに置いた?と思う石を目にする。

IMG_8430.jpg

あるある~この石にも刻印刻紋が~

IMG_8431.jpg

だけど、読めんっ!!
五七の桐紋かなぁ~
で、文字は左を上にして読むと「たこきの十七」と
かろうじて読めるけど違うな。絶対違う。

そこから振り返る進もうとすると、石垣に挟まれた場所に出る。

IMG_8428.jpg

石垣に挟まれた場所って表現するとおかしいけど、
ここは南仕切門跡・太鼓櫓跡

南仕切門は二ノ丸の西と南を仕切るために建てられていたらしい。
あぁ、だだっ広い曲輪だとすんなり進軍出来ちゃうから
ここに足止め用として門があったんかなぁ~!?

で、写真右の石垣上には太鼓櫓が建てられていたみたいだが、
これも明治維新の大火で消失。
徳川幕府の大坂城再築時に創建されて、名前のごとく中には太鼓が納められており、
時刻を知らせたり、召集したりする時に太鼓が打ち鳴らされたらしい。

南仕切門からまっすぐ歩くと、石山本願寺跡の石碑がある。

IMG_8433.jpg

ここ大坂城がある場所は石山本願寺の推定地らしい。

大坂城は石山本願寺の跡地に盛土して築城したと
いくつか文献でも読んだ。
その築城において、遺構が全て壊滅したんだろうなぁ~

2個前の記事で書いた玉造定番屋敷跡にある蓮如上人袈裟がけの松。
これも本来は盛土した上にあるので実際は違うものなんじゃないかと思うけど......

信長はこの石山本願寺を11年にも渡って攻めているから、
この時から強固な城構えだったんだと思う。千貫櫓の横矢も裏付けになっているのかな?

とある本(出典が思い出せない)で攻めやすいこの地を、強固で巨大な城郭を
築いてカバーするという発想の石山本願寺が、山城から平城への転換だという
文章を読んだ時はすごく感動した。

で、道に戻り少し進むと、

やっと桜門が見えてきた......

IMG_8435.jpg



To Be Continued...




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