#oshiro/城郭記
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Author:#oshiro
―城郭数寄者
城郭(最近は近世が特に…)と数寄建築・茶の湯が好きで、各地のお城や茶室を巡っています。中世城郭も好きですが、今は写真メインで巡ることが多く、土造りの城より石垣が築かれた城に足を運んでいます。
[注意!!]元々理系なため、文章がメチャメチャ下手糞です。と、ここで保険をかけておきます。



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大徳寺・高桐院
【大徳寺・高桐院(Date:2012/1/9)】

大徳寺と言えば、秀吉が信長の葬儀を行い、
菩提として総見院を建立した場所として自分は認識している。
また、千利休らの帰依によって茶道文化の拠点として発展したとある。

しかし、その総見院は通常は非公開。
秋の時期には、公開されているようだ。

戦国大名が建立した塔頭寺院23のうち、
常時拝観可の塔頭は4つ、高桐院・龍源院・大仙院・瑞峰院

なので、今回は大徳寺の塔頭の1つ・高桐院に行くことにした。

今宮神社にレンタサイクル屋で借りた早馬を置き、徒で向かう。

歩くこと、5分~7分くらいで着く。

IMG_6898.jpg
▲大徳寺・高桐院前

塀の軒瓦には「九曜紋」がある。

IMG_6903.jpg

塀に松の影が写りこむのもまたおつなものだ。

IMG_6904.jpg

なんで、「九曜紋」かを説明しておくと、
この高桐院は細川家の菩提寺だから。

細川忠興(三斎)が、父細川幽斎の弟・玉甫紹琮を開祖として建立している。

食い違い虎口の門を入ると、庭に出てくる。

IMG_6908.jpg

竹林があり、庭石の周りはきれいに苔が生えている。
苔というものは汚らしく思えるものだが、ここでは整備されて
宝石のように思えるくらい綺麗だった。

IMG_6917.jpg

この庭をまっすぐ石畳が通り、その間を歩いていく。

IMG_6915.jpg
▲井戸の遺構?と思われるものが参道脇にある

突き当たりで右に折れると、また門がある。

ここを過ぎると、建物への入り口が見えてくる。

IMG_6928.jpg

靴を脱ぎ、入場料を払い、建物を見学していく。

建物は客殿・書院・庫裡などがあるというが建築に明るくない自分は
サッパリだった......

建物の形は入場口から見て、「凹」のように表現できるだろう。
ちょうど下の辺の真ん中が入場口になる。ここから右に行くのと左に行くのと分かれるが、
順路としては右からのようだったので右から行くことにした。

入場後、すぐに庭が見える。

IMG_6932.jpg

途中、とあるポスターに目を留めた。
「そうだ、京都へ行こう」のポスター。
真っ赤な絨毯の真ん中を石畳が真っ直ぐ延び、その横を木々が覆い、
その木々にも赤い葉をつけ、先ほど見てきた景色が別世界だった。
紅葉の時期にまた来たいものだなぁ~と思った。

さて、そこから数歩行くと一際異彩を放つ間にたどり着く。
「意北軒」と呼ばれる書院だ。
(この間だけじゃなく、拝観した建物全体が書院?)

P1040126.jpg

書院は利休の邸宅を移築したものと言われている。
照明が暗く、襖画がぼんやりと浮き上がっている。

襖画は狩野永眞(探幽の弟)筆とされている。

広さは六畳の間が襖ぶち抜きで二室あるように感じた。
奥の間には掛け軸があり、これは大燈國師筆と解説があるが、「誰?」と思った。
書いてある言葉は「関」とある。生死のくぎりと説明には書いてあった。

さらに奥へ進むと、書院に続く茶室「松向軒」へと着く。

IMG_6944.jpg

書院は慶長二年(1602)移築とあったが、ここは寛永五年(1628)建立とある。
時差があるねぇ~あとから付け加えたのかぁ......
66歳の忠興作とも解説にあった。
利休七哲の一人だし、三斎流という茶道流派を興した人でもあるから
たまにここでお茶を飲んでいたのだろう......
戒名はこの茶室「松向軒」の名として残っている。
戒名は「松向寺殿前参議三斉宗立大居士」である。

ちなみに忠興は正保二年(1646)十二月二日、83歳で卒去している。
当時にしては、かなりの高齢だと思う。
お茶は健康にいいのだろう。

ここは忠興好みの二畳台目で、三畳の水屋が付いている。と現説版にあったが、
ピ~ンとこなかった......
かろうじて壁や天井に趣向が凝らされているのは分かった。

茶室を見終わった後は、入場した場所まで戻ることになり、
次は「凹」の左側半分を見ていく。

狭い廊下を歩いて、門戸から入ると、
三部屋からなる広い広間に出る。

IMG_6958.jpg
P1040137.jpg


二部屋の縁側からは一面苔で覆われた庭を一望できる。
中央には石灯籠がポツンと置かれている。
これが江戸時代初期に作庭されたものだろうか。

IMG_6973.jpg

庭には出れるようになっていて、スリッパを履き、
庭を歩いていくと、仕切りがある場所にでる。

細川家の墓所である。

IMG_6980.jpg

入り口の門上の中央には細川家家紋「九曜紋」がくりぬかれている。
さらに、門扉には五七の桐紋がくりぬかれていた。

IMG_6981.jpg
▲墓所門扉にある「五七の桐紋」

忠興の遺言で遺骨は高桐院に埋葬されていると高桐院に入る前の
現説板であったが、ここにある現説版には遺歯が埋葬されているとある。

ちなみに、お墓は忠興とガラシャ様の合祀になっている。
この合祀されているお墓は石灯籠となっていて、大変趣がある。
こういう灯籠型のお墓は初めて見た。
(合祀は徳川秀忠と江の墓が最初かな......)

写真は載せない。(と言っても上の墓所門でちらりと写っているが)

今後はお墓の写真を一切掲載しないことにします。
なので、見たことがない方は是非足を運んで見ていただきたい。

この墓標となっている石灯籠は言われがあり、

別名は利休灯籠欠灯籠と言う。
利休が元々所持していた天下一の称ある灯籠で、秀吉が欲しいと懇願したが、
裏面にわざと傷を付け、傷物だからと秀吉の要望を断り切腹の際、
忠興に贈られたものだという。

お墓を囲う石塀の入り口には門扉も存在する。
左には「九曜紋」、右には「五七の桐紋」が施されている。

その脇には細川家歴代のお墓も存在する。
左から時計回りに、
十一代・斎玆、十代・斎樹、七代・宗孝、六代・宣紀、五代・綱利、初代・藤孝、
三代・忠利、四代・光尚、八代・重賢、九代・治年、十二代・斎護。

時計回りとしたが、円形に並んでいるわけではない。
中央の藤孝(初代)の左と右に三代~十二代が一列に並んでいる。

歴代の墓のさらに奥に、細川家とは関係なさそうな墓がある。
これは入る直前にあった現説版に書かれていた歌舞伎の創始者とされる出雲阿国の墓だと
後々になって思った(見たときは、はてコレは誰のだろう?と思ったので)。

ここまで来ると、奥はもう行き止まりなので折り返して墓所を出る。
行きには気づかなかったが、墓所門前に三斎井戸が目に前に表れる。

解説には細川三斎公墓所のためにあるという。
「?」と思った。

解説には続けて、
露地には色な形のとび石あり 人は石の上を歩く。
とある。はっ!しまった!!飛び石をそれて歩いてしまった......
その後は庭を、飛び石の上を歩きながら奥に進んでみることにした。

最初に見た庭を過ぎ、さらに奥へ行くと門があった。
しかし、門の向こうには行けなさそうなので
ここで折り返すことにした。

近くに学校があるのか、部活をやっているような生徒の掛け声が聞こえた。

もと来た道を戻り、入場口まで戻り、御朱印をお願いすると同時に
張り紙に気づく。「御朱印は入場時に預けてください。」とあった。

>御朱印は参拝後が基本。
>ただし、場所によっては預けて参拝するところもあり。
と本で読んでいたので、ここでは後者だと思った。

拝観後だったので多少時間がかかると係りの人に言われても、
お願いすることにした。

高桐院の記事はここで終わり。
最後は高桐院前にいた子猫ちゃんで結とする。

IMG_6899.jpg
▲高桐院前にいた子猫ちゃん

この後は、今宮神社に戻り早馬に乗って千本通を南進し、出世稲荷神社へ向かう......

To Be Continued...は、いつになることやら



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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術


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