#oshiro/城郭記
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Author:#oshiro
―城郭数寄者
城郭(最近は近世が特に…)と数寄建築・茶の湯が好きで、各地のお城や茶室を巡っています。中世城郭も好きですが、今は写真メインで巡ることが多く、土造りの城より石垣が築かれた城に足を運んでいます。
[注意!!]元々理系なため、文章がメチャメチャ下手糞です。と、ここで保険をかけておきます。



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二条城-3
【二条城-3(Date:2011/12/24)】

唐門前まで来た。

いつ見てもやっぱり豪華、この門は。

2923.jpg

>切妻造、桧皮葺の四脚門でその前後は唐破風造となっています。
>彫刻がふんだんに使われています。
(元離宮二条城HPより)

菊紋だらけ…
かつては葵の紋だらけだったと考えると壮観ですな。

こういうタイプの門を桃山形式って、よく本の説明に書いてある気がする。

二条城の特徴として大きく分けて拡張前と拡張後の二期に
分けられると思う。

拡張前というのは、家康築城時の頃のこと。
慶長六年(1601)十二月、幾内の大名に造営費を課し二条城築城の命を出したとある。
大坂城包囲網の一環で、いわゆる天下普請で築かれた。

両度の大坂の陣に際しては、家康・秀忠はここから出陣したとあり、
家康・秀忠は在駐して、幕府方の本営となったとも記録されている。

この時の城域としては、二ノ丸東側(現二条城東側)半分の単郭にあたる。
非常に小さいものだったと思える。

後者の拡張後というのは、家光増築時以降のこと。
我々が今日見る二条城の城域まで広がるのがこの時。
本丸を二ノ丸が取り囲む輪郭式の縄張りが完成する。

拡張する理由は、一つのイベントのため(と思われる)......

天皇の行幸

寛永三年(1626)九月六日から後水尾天皇の行幸が行われている。
これに合わせたかのように二条城大改修は寛永元年~寛永三年九月まで行われている。

この時の大改修が後々の見学で必須知識になってくるので、
覚えておきたい。

で、唐門はと言うと、その時の行幸のために新築されたとある。
なので二代目?ということになるのかな。
家康築城時の唐門がどんなだったか気になるが、新築するぐらいだから
今見る唐門よりは質素だったということは予想できる。

唐門へ入る前に左奥を見てみると、門と塀がある。

2918.jpg

これは広大な敷地を仕切る仕切門の類だろう。
敵の行動を少しは妨げられるように作られた遮蔽物の類。
じゃないと、敵の進行がスムーズだからね。
大坂城にもあるし、中世の城には土塁に類するものがある。
おっと、話が逸れてしまったので唐門に戻ると、

2949.jpg

彫刻がふんだんに使われているっていうのが、よく分かる。
写真に見えるは龍と虎。

2950.jpg

裏から見ると、竹林の彫刻。
そう、透かし彫りになっている。後で二ノ丸御殿にも出てくるが、
二条城には透かし彫りの彫刻が多い。
裏に先ほどの写真で見た虎が竹の裏に隠れているのが分かるだろうか......

で、天井

2932.jpg

芸が細かい。金の彫刻もさることながら、格天井になっている
一つ一つの木板の木目が交互に向きを変えて組まれているのが分かるだろうか。
見たときは、こっちの方に関心していた。

唐門をくぐり抜けると、二ノ丸御殿が目に飛び込む。
早く入りたい気持ちを抑え、裏側から唐門を見学した。

気づいたのは、唐門左右に小さい門があること。
唐門左右は築地塀が続いており、築地塀の途中に小さい門がある。
現在は、使われていないのか、門扉は閉じられ下には石が置かれ開いたり出来ないように
なっている。

で、やっと二ノ丸御殿に話が進むわけだけど、

2935.jpg

外観はこんな感じ。どど~んと、圧倒されるんだけど、
天気も悪くなって、この写真では凄さがイマイチ伝わりにくい。
しかも、この写真部分は二ノ丸御殿の遠侍と呼ばれる一部しか写っていないしね。

二ノ丸御殿は雁行型と言って、
“空を飛ぶ雁の群れのように”、建物が斜め(東南から北西に向けて)につながっている。

桂離宮(二条城本丸に移築されている離宮建築)とも類似しているし、
現在、絶賛復元中の名古屋城本丸御殿も雁行式の配置になっている。
(名古屋城の本丸御殿は寛永期の上洛殿が増築される前が雁行型だった。)

ちなみに昔は、聚楽第の御殿を移築したものという説があったらしいが、
近年の修理調査の結果、その説は否定されている。

2945.jpg
▲二ノ丸御殿車寄拡大

菊紋だらけ、ここも往時は葵の紋だらけだったのだろうか......

2946.jpg
▲二ノ丸御殿車寄の彫刻拡大写真

彫刻スゲーっ!!
この車寄も外と内で見え方が異なる透かし彫りが施されている。
パないね。

ではでは、長くなりましたが、
ここから二ノ丸御殿内へ潜入していきます。

中へ入ると、係員の人が一人いてせわしく動いている。
土禁のため、靴を靴箱にいれスリッパを履いて上がる。
もちろんなのだが、写真撮影はやっぱり禁止。
なので、ここからは自分の言葉だけで解説していきます。
(理系なので、言葉が変かもしれませんが、ご了承をば)

二ノ丸御殿は車寄から入り、

遠侍・式台・大広間・蘇鉄の間・黒書院・白書院

の順で時計回りに見学していく。
全部で33部屋。
(白書院まで行くと、折り返しで帰っていく。白→黒→蘇鉄→…→遠侍)

①遠侍

廊下伝いに歩いていく。
二条城は今回で2度目だったが、前に見学した時はこんなんあったっけ?というような
ガラス窓があった。その窓越しに各部屋を見学していくのだが、
一の間~三の間には、竹林群虎図が描かれている。
将軍に謁見するために訪れた大名がまず通される場所で「虎」は力の
象徴として将軍になぞらえ、大名が待つ間威嚇をする役目があるという。

確かに威圧感がある。

ここは狩野派絵師・狩野眞設が描いたとされている。

②式台

遠侍から次に来る部屋がこの部屋。
事前の下調べでは、松の障壁画が施されているのは大広間と
聞いていたが、この式台から松の障壁画が現れた。

この式台では、参上した大名が老中職と挨拶を交わす場所。
将軍への献上品はこの部屋でとりつがれたとある。
が、実際行われたことあんのかなと思う。

ここまで来る間に障壁画が外されていることに気づく。
これはすでに40年近く続けられている障壁画の模写作業のために
外されているのでは?と思った。(実際、その後に注意書きがある。)
模写作業、40年続けてきて(実際、この時点では39年)、やっと半数近くが終わっているという。
つまり、単純計算では後40年かかることになる。
こういった文化財を保存していくのにも時間と労力がかかることを身をもって体感すると、
また見る目も変わってくる。

③大広間

広さは200畳にも及ぶ。
大名たちが将軍に謁見するところ。
その使用用途通り、ここにはたくさんの人形が置かれている。

上段の間(一の間)には将軍
二の間には参上した大名たちが手を着き、ひれ伏している様子が表現されている。
背中には家紋があり、すぐにはどこの大名とは思いつかなかった。
まだまだ修行が足りないなと思いつつ、先を急ぐ。

ちなみに大名他に近侍もいた。
中にはあの高家も。この冬になると出てくるあの浪士たちの話。
あれに出てこられる方の役職も高家。
地位高いんだね、って納得した。

障壁画は巨大な松が描かれている。
二ノ丸御殿の障壁画は狩野派絵師が全てを担当している。
中心になって動いたのが、当時25歳の狩野探幽
この部屋の長押の上にまで突き抜ける松を描いたのは、この人。

松というのは、永遠の繁栄を表しているらしい。
なるほど、確かに松はいつどこでも生えているイメージがあるな。と関心しつつ、
さらに上に注目すると、二重折上格天井になっている。
将軍頭上のみ、天井が高くなっているのだ。
特別な存在であることの演出とある。

④蘇鉄の間

ここまで部屋の中には入れず、廊下を歩いてきたが、(この後も部屋に入れないが)
気づいたのは各部屋に付随する廊下の天井は各々趣が異なる。
どう表現したらいいのか分からないが、豪華絢爛だったりシンプルなものもある。
長押にある彫刻金や釘隠しはすごく綺麗で中央に葵の紋が施されていて
目を奪われた。

⑤黒書院

将軍と親藩及び譜代大名が対面をする場所。
大広間と同じ書院造りとある。

大広間は違い棚が一つだったが、この黒書院では違い棚が二つあった。

⑥白書院

二ノ丸御殿最奥にある将軍のプライベート部屋。

ここまでは葵の紋がたくさんあり、興奮してきたが、
ここ白書院は、菊紋に置き換えられていた。
障壁画は金箔が一切使われていない水墨画になっている。

障壁画の内容は、冬の湖畔の情景で、
狩野興以または長信作だと言う。

ここからは来た広間を折り返していくことになるが、
来た道とは違う道で戻る。

帰りは寒すぎて早足で見学してしまい、ちょっと覚えていない。

途中、窓を見ることがあって、当時のものだろうに
ベアリングが施されてあって、スムーズに動くようになっていたのには驚いた。

帰りの大広間では四の間と三の間の透かし彫りを見ることが出来た。

遠侍の勅使の間では、
将軍が朝廷からの使者と対面する場所であり、この時は
将軍も下座につくという。
おぉ~自分もひれ伏せさせてみたい。いや、それよりもやっぱり一日でいいから
一日城主やってみたい!!なので早く、一万円募金を終わらせようか(笑)

遠侍の若松の間・柳の間まで戻ってきたところで、
団体客用の入り口がある。

ここまで来ると靴を脱いだ車寄にたどり着き、二ノ丸御殿の見学は終了。

今回はここまで。
それではまた次回。

To Be Continued...



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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術


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