#oshiro/城郭記
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Author:#oshiro
―城郭数寄者
城郭(最近は近世が特に…)と数寄建築・茶の湯が好きで、各地のお城や茶室を巡っています。中世城郭も好きですが、今は写真メインで巡ることが多く、土造りの城より石垣が築かれた城に足を運んでいます。
[注意!!]元々理系なため、文章がメチャメチャ下手糞です。と、ここで保険をかけておきます。



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二条城-6
【二条城-6(Date:2011/12/24)】

二条城に入城してから、
東大手門→(無料休憩所)→唐門二ノ丸御殿二ノ丸庭園本丸櫓門桂宮御殿天守台
と見てきた。

戦国の世なら、本丸を攻め終えたところで終いになるだろうが、
今は平成の世なんでね。残る二ノ丸の西側と北側及び一部南側も拝観していきます。

本丸の西側・外枡形(MAPには西橋と書かれている場所)から出て、二ノ丸の西側に来ると、
左(南)に行くか右(北)に行くかで分かれるが、左に行くことにした。

南に歩を進めると、見えてくるのが土蔵(米蔵)である。

3095.jpg

米蔵の瓦にも葵の紋が入っている。
入り口には消火器があったが、火事があったとき消せるようにするものだろう。
これ以上、大火での焼失は避けたいからね。

少し行くと、天守台を外側から見ることができるが、近寄れないようになぜか
立ち入り区域が制限されているので、カメラのズームで見学した。(詳しくは前回の記事へ)

そこから今度は東に進んでいくと、ちょうど二条城本丸南側中央くらいの位置にやってくる。
先ほど天守台から見下ろした南中仕切門にちょうどぶつかる。

3108.jpg
▲南中仕切門・西側から

ここの門は左右が石垣で固められており、平虎口(直進できるタイプ)ではなく
喰違い虎口(導線が折れ曲がるタイプ)になっている。

(西から東に見た)イメージとしては『_| ̄』な感じ。

『_』が石垣、『|』が門、『 ̄』が石垣として構成されていて、直進して入れないようになっている。

3112.jpg
▲南中仕切門・東側から

この写真を撮っているまさに足元から発掘で家康築城期石垣が出てきた。
なんてことを、これから1時間後くらいに知ることになる......
この時は、そんなこと知りもせず必死に写真を撮っていたw

振り返ると、本丸東南隅が見える。

3119.jpg

ちょっと、石垣が出ているな。
出隅なんだろうけど、あの上にはがあったのだろうか。
うん、あれ?本丸の建築物って天守と本丸櫓門の二重廊下橋の間に多門櫓でもあったのか?
そんな記述、今まで目にしていないが…

話が脱線してしまったので戻ると、南中仕切門を挟む石垣『_』と『 ̄』の部分は、
東側から見た景観と、西側から見た景観で趣が異なる。

東側(唐門側)から見ると......

3114.jpg

で、西側(天守台側)から見ると......

3125.jpg

2つの写真を見ての通り
表と裏において、石垣で固められているか土塁かで様子が違う。
どちらが表で裏かは書かれていないが、東大手門を向く東側の方が表だろう。
東からの敵の侵攻もしくは天皇の行幸を意識しての造りではないだろうか?

しかし、前回の記事でも書いたように後水尾天皇は天守に登っている。
現在天守はないが、天守台には一般人全員登れる。

もちろん、自分も登ってきた。

3059.jpg

拡大した写真だけど、天守台から見た南中仕切門。
木に覆われていて、ちょっと土塁部分が確認できないが、天皇が登ったのは五層の天守。
この写真よりは角度がついて上から覗く形になるので、これよりもっと土塁部分が見えたのでは…

そんな小細工を見たかどうか今となっては分からないし、
小細工だったかどうかも分からない。

と言うのも、もしかしてこの土塁部分、往時はもしかしたら石垣で覆われていたのか?とも
思ったからである。

その証拠の写真が、

3126.jpg

これである。ただ、二条城の石垣は加工されたもの(形が整ったもの)が多いので
写真に写る石が当時石垣に使われていたどうかは疑問に残るけど。

まぁ重要部分は石垣で固めて、他は土塁の掻き揚げというのが正解なのかな......
と自分の中で答えを出した。(実際、そういったお城の虎口はありますから)

さて、南中仕切門の見学を終えて、来た道を戻ることに。
二ノ丸を時計回りに進んでいくが、人が通るコースを外れて二ノ丸南端へ近づいていく。

3129.jpg

木々がある中、奥へ入っていくと斜面になっていて、斜面上には
二条城だけに二条ほど石垣があった。(石垣と呼べるかどうか怪しいが)

そこから元のコースに戻るが、しばらくしてすぐコースを外れることに。
なぜなら、ちょうど西南隅櫓の城内側の位置にたどり着くからだ。

3140.jpg

あそこ(写真左下隅)から登っていくのかな?なんて思いつつ、
木に覆われていて、よく観察できなかった。
目を左に向けていくと、

3139.jpg

おっ?塀が途中で城内側に折れ曲がってる。
二条城の隅櫓の端点はあんな感じで終わっているのか。
全部塀で囲まず、途中から土塁にシフトしてるんだ。外側は石垣で囲まれているんだろう。
ほぉ~

そこから北進していくと、先ほどの本丸から出てきたところとぶつかる。

3156.jpg
▲城郭建築風トイレ

そこには、城郭建築風なトイレと案内板(二条城内に咲く花だったかな?)の奥に
現説版と石垣がちょこんと存在している。

それは何かと言うと、旧二条城石垣
観光ガイドブックにも二条城の地図には、必ずと言っていいほどこの石垣が掲載されているが、
本当に意味を分かって載せているかどうかは怪しい。

旧二条城で、「あぁ、アレね」と思う人が何人いるだろうか。
自分の場合は、事前の下調べの段階で「?」となった。

3152.jpg

>築城当時、日本において布教活動をしていたポルトガルの宣教師ルイス=フロイスの記録によれば、
>旧二条城というのは現在の二条城以前に、永禄十二年(1569)二月に工事を開始し、
>常時一万五千人から二万五千人の人役を投入し、70日間程でほぼ全容を整えた
>ということであり、期間を極めて短くするために石垣の石材に近郷の石仏、板碑、
>燈籠等を徴集し積み込んだと記載されているが、そのとおりの石仏などが、この遺構に見られる。
>その後、信長は義昭を追放し、東宮誠仁親王を迎え入れ、「二条御所」とも呼ばれていた。
>天正十年(1582)の本能寺の変において明智勢に攻めいられ、信長の長子、信忠が自刃し、城郭建築は焼失した。
>この石垣は京都市高速鉄道烏丸線(地下鉄)建設に際し、烏丸下立売から発見されたものである。
>石垣は「犬走り」を挟んで上下二段に分れて北面し、東西方向に走り、南東方向に折れる角を持つ。
>この遺構は移築に際し、方向が九十度ほど変わったが、元来は東西方向が長く、八m強を測り、
>普通の石材約百五十個の他に、四十個程の石仏・板碑・礎石が使われている。
(現説版より。読みづらい部分多く誤植があるかもしれません。)

旧二条城。別名、二条古城と紹介している書籍もある。
元は現在の京都御苑の南西に位置し、信長が義昭を守るために築城したという旧二条城。
その旧二条城の発掘調査で見つかった石垣を2箇所に移築復元している。
(もう1箇所あることを後日知る)

1つは二条城内、もう1つは御苑にある。
今回は、その前者の方。

解説にある「犬走り」というのは、あの犬走り?
今治城岸和田城にあるような犬走りを指しているのかな?

高石垣が築けないから、石垣を二段にし、その上段と下段の間には
犬走りというスペースが設けられていた。という解釈で合っているだろうか。
確かに築城年は、安土城を築く数年前だったから高石垣を築く技術はなかったのかも......

1つ疑問が残ったのが、
事前の下調べでは、安土城の石垣はここから流用したと調べていたし、
さらに信忠が自害したのは国際マンガミュージアム近くにある京都御新造だと書籍には書いてあった。

もし、旧二条城で信忠が自害していたのであれば、城郭と機能していただろうし、石垣もちゃんとあったはず。
だから、事前の下調べと現説版に書いてある内容とは違う......
よく分かんないな。もっと調べなきゃいけなさそう。

さて、今回含めて二条城の記事を書いてきて思ったことが1つある。

こういった旧二条城の石垣や京都所司代との連絡に使われた鐘楼の
現説版はかなり事細かく書かれているのに対して、天守台や門、櫓の現説版は存在すらしていない。

なぜ?

城好きが今まで周りにいないせいか、こういったことを話す人がいないので、あまり気にも留めなかったが
実際、現説版が『あって欲しい派』と『なくていい派』って分かれるだろうな。
自分はどちらでもいいと昔は思っていたが、写真撮影をするようになって『なくていい派』に傾いてきている。
でも、一般の観光客や現地重視の人にとっては、あって欲しいという意見になるんだろうなぁ~
(一応弁解しておくと、現説版があって嫌と思ったことはないです)

まぁ、とにかく二条城には現説版が充実していたりしていなかったりすることは確か。

話が逸れてしまったので、元に戻そう。

で、この移築復元された石垣近くにあったコレ。
面白いので写真を1枚撮っておいた。

3164.jpg

水堀で溺れた人用にあるのだろうか。
元離宮二条城と入っているのが、いいね。これ持って、海に行ったら大注目間違いなし!!
グッズとして売店などで売ればいいのに、城好きなら......

買わないな(笑)

それでは、今回はここまで

To Be Continued...



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