#oshiro/城郭記
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Author:#oshiro
―城郭数寄者
城郭(最近は近世が特に…)と数寄建築・茶の湯が好きで、各地のお城や茶室を巡っています。中世城郭も好きですが、今は写真メインで巡ることが多く、土造りの城より石垣が築かれた城に足を運んでいます。
[注意!!]元々理系なため、文章がメチャメチャ下手糞です。と、ここで保険をかけておきます。



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二条城-7
【二条城-7(Date:2011/12/24)】

二ノ丸見学の続き......

城郭建築風なトイレの横には西門(西大手門)石垣が見える。
内枡形タイプだから石垣が城内側に存在している。

3159.jpg

ここから北進していくと、南にもあった土蔵がもう一基、北側にも建っている。

3171.jpg
▲二条城二ノ丸北にある土蔵

お城の中には篭城する時のために兵糧米を備蓄していたのだろうけど、
ここ二条城では二基あんのかぁ~と思った。と同時に、米蔵って初めて見たかも......
他のお城で見た記憶がない。別の蔵は見たことあるけど。
これで、どのくらい蓄えられるんだろぉ~?納められた年貢をここに格納していったのかなぁ~
名古屋城では二万石の米が納められてあったって言うからねぇ…
番所の現説版にあったが、二条城には最低50人(1年二期制で一期50人と解釈してるけど合ってる?)
いたことになるから、それらの人間を養う米はあっただろう。いや、そんな量じゃ篭城は出来ないな。
うん?篭城するなんて考え、あったのか?よく分からんな。

で、もちろん瓦には葵の紋がありまっせ。
この土蔵を見ていた時、瓦なんかよりも気になったことがあった。

それは何かというと、下の写真

3167.jpg

また、瓦じゃん!!と思った方がいると思うが、見るとこソコじゃなくて、
瓦の横、右横~

屋根から木が生えてるのよ。
コレ見たとき、笑っちゃったよ。なんで、生えてんの?って。
(ちなみにこの瓦と逆側の端にも同じように木が生えていた。)

面白いなぁ~って思いながら土蔵の脇を見ると、これまた木があった。
またと言ったが、こちらはちゃんと地面から生えている木。
前を歩いていた人が見上げていたんだか写真を撮っていたんだか忘れてしまったが、
その観光客が注目していたようなので、思わず自分も立ち止まって見てしまった。そして撮ってしまった。

3174.jpg

実がなってる.......
この木、何の木、気になる木だなぁ~
ちょっと分からない。柿に見えるけど…違うかな。
(今思えば、先ほどのトイレ近くにあった案内板に書かれていたかも…)

さらにその木の奥には、西門(西大手門)がある。
先ほど見た石垣のちょうど入り口にあたる部分だが、立ち入りが制限されているため、
近くに寄ることが出来ない。

なので、ここでもカメラをズームイン!!

3183.jpg

開いているのが、かろうじて分かるな。

内枡形タイプは納得できても、埋門なのは現時点で確認しようがない。
二条城内で唯一石垣で固めた内枡形だというので、間近で見たかった......
位置的には本丸に近いために、こんなに厳重な枡形門になったのでは?
なんて想像しながら、先へ進むことに。
(埋門なのは後日確認出来た)

そこから右(東)に進んでいく。
(二ノ丸西北端も立ち入りが制限されていて行けなかった。)

本丸の西北端外側にたどり着くが、東南端同様ここも出隅になっている。

3194.jpg

しかし、東南隅でも同じように感じたが、見る限り突出している感じがしない。
もっとこう折れがついていてもおかしくないのにと思ったが、城域が狭いから
そんなことが出来んかったのかなんなのか…

建物が建っていたという話は目にしていないし。

この出隅の裏側にはちょうど先ほど本丸で見学してきた雁木(下写真)があった。
今更ながら雁木の上に登っておけば、石垣の上がどうなっていたか分かっただろうに......

3082.jpg
▲本丸西北隅城内側の雁木

さらに東へ進むと、先ほど見学した南中仕切門からちょうど真北に位置する場所に
北中仕切門が見えてくる。

3209.jpg

説明としては、南中仕切門と同様、
喰違虎口、東側が石垣で固められ、西側は掻き揚げの土塁

IMG_3205.jpg

門扉は東大手門同様、筋金門となっていて厳重。
南中仕切門の時は取り上げなかったが、もちろん南中仕切門も筋金門となっている。

そして、この北中仕切門は埋門タイプに分類されると思う。
前回の記事に出てきた南中仕切門も埋門タイプに分類され、先ほど通った西門も埋門タイプである。
埋門を簡潔に述べると、石垣を切り欠いた間に造った門になる。
(この上に土塀があるのが、埋門の定義になると思われる。)

今までの記事でしつこいように出てきている話だが、本丸及び二ノ丸西側は家光増築部分である。
従って、この時に築かれた門は埋門タイプで造られていることが分かる。
一方、東大手門・北大手門はどちらも慶長創建時のものだが埋門ではない。
この2つは家康築城期の城域にあたるので納得できる。

こうした門の造りに築城前期・後期で違いがあるのも二条城の特徴と言える。

門をくぐり抜けた後、
写真を撮っていて気づいたが、観光客がなぜかこの場所で出たり入ったりしていた。
なんでだろう?と思っていたら、皆同じ方向を見ている。

3217.jpg

あっ、柚子の木だ。
各地に家康お手植えの~なんて木がたくさんあるけど、
これはさすがに家康のお手植えではない、よね。
と思ったところで、今回はここまで。
(この後で知る南中仕切門すぐ東で発掘された家康築城期の石垣。それを真北に伸ばしていけば、
ちょうどこの写真を撮っていた位置より少し右(東)になるので、柚子の木がある位置は家康築城期の
二条城城域外。もしくは水堀があった場所と予想できるので、やっぱりお手植えではないと思う。
というか最初から違うか......)


To Be Continued...



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