#oshiro/城郭記
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Author:#oshiro
―城郭数寄者
城郭(最近は近世が特に…)と数寄建築・茶の湯が好きで、各地のお城や茶室を巡っています。中世城郭も好きですが、今は写真メインで巡ることが多く、土造りの城より石垣が築かれた城に足を運んでいます。
[注意!!]元々理系なため、文章がメチャメチャ下手糞です。と、ここで保険をかけておきます。



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小谷城-3/間柄峠
#07 小谷城-3/間柄峠 【小谷編】

出丸跡の北側を下ると、舗装路がある。
出丸へと行く途中に出た道とつながっているのだろう。
また、これは通行止めになっていた最初に登ろうとした道だとも思った。

その舗装路を挟んだ先に、登山道の続きがある。

IMG_0677.jpg

親切に看板があちこちに建てられていて、迷わずに進むことが出来た。
時刻は11:36を回っている。

上の写真左下に下り坂がある。
この下り坂が、清水谷で見た「追手道」なので、追手道を登ってくると、ここに出て
自分が登ってきた道と合流することになる。
もし出丸跡への案内や、存在を知らない人は続けて、ここから登っていくような
気がした。

IMG_0684.jpg

出丸から金吾丸へは、このような道が続いていく。
距離が長く、上へ上へと登っていくので、だんだん汗をかき、
途中、インナーを一枚脱いだ。

先ほどの登り口から歩くこと15分で間柄峠にたどり着く。


間柄峠

IMG_0688.jpg

>大永五年(一五ニ五)七月、江南の六角定頼が小谷城へ来攻した際、
>浅井亮政を助けるため、越前より朝倉金吾宗滴と先鋒真柄備中守が来援した
>越前軍が布陣した地をそれぞれ金吾丸・真柄峠と称するが地元では古くから
>「間柄峠」と伝わる。
(現地説明板より)

真柄ですか…
現時点において、真柄で知る人物と言えば、姉川の合戦図屏風に描かれている
真柄十郎左衛門直隆

この人物は、五尺三寸の大太刀を振るっていたとされていて、姉川古戦場跡には
活躍したと推定される場所がある。
現説に出てくる備中守は直隆の父親?なのかな。

他にも思うことはあるが、次回の記事・金吾丸で扱おうと思う。
(姉川古戦場には行っていないので、今回の小谷城で扱いきれない内容は、
覚えていたら姉川古戦場の記事を書く際に扱おうと思う)

そこから5分くらい歩くと、望笙峠が脇に見えてくる。


望笙峠

IMG_0699.jpg

望笙峠には特に解説板がなかった。
登城道から脇に入った場所にある。ちょうどそこは舗装道のカーブにあたる位置で
踊り場的な感じがした。

そこから見える景色がよかった。

IMG_0701.jpg

よかったと言っても、この日は曇り空だったため、そんなに綺麗な景色とは言えなかったが、
虎御前山城・山本山城・竹生島が俯瞰できた。
(上の写真では、竹生島が霞んで見えない)

ここから見て思ったが、中島城・丁野山城は意外と低いんだなぁ~
山城というよりは、丘城の方がしっくりくる。

望笙峠という名前、特に解説があるわけでもなく最初はピンと来なかった。
しかし、景色を見て分かった。

“笙”という字は、「竹」と「生」で出来ている。
“竹生島を望むことが出来る峠”ということから望笙峠と名付けられたのかもしれない。

この峠から、元の道に戻ろうとした時、ふと案内板に目がいった。

IMG_0708.jpg

大手道?あれ?今まで散々追手道と書き続けていたのに、
ここは大手道と表現しているのか。

小谷城絵図に「追手道」や「大手道」で表現されているものが存在するように、
現地の案内板も「追手道」と「大手道」が存在していた。
こういうの統一しなんだなぁ~と思った。知らない人は、全く別物と思うんじゃなかろうか…

ちなみに、この大手道。
小谷城絵図にはどれも清水谷から登ってくる出丸を経由しない形で描かれているが、
『廃城をゆく』という本には、大手道が出丸を通過するように造られたのかもしれない
という考えを一部の郷土史家が提案していると書かれていた。
何をどう考えて、その結論に達したかは不明だが、何かしら理由があってのことだと思われる。

大手道は蛇行するわけでもなく、延々と真っ直ぐな道なので城を攻めている
感覚がなかった。普通に登山しているようにも感じたが、普通の登山でも
曲がらずにひたすら真っ直ぐ登っていくのは珍しいように感じた。

やっぱり、この大手道は従来から存在するものではないような…
小谷城落城までの1年間で新たに敷設されたものなのか?

一方、江戸時代に描かれた小谷城絵図には、大手道がギザギザに描かれている。
ノコギリの刃のように。

当時、城絵図を描いた人が、踏破して描いたのであれば、小谷城の大手道は
登城道らしく曲がりくねった道だったかもしれないし、もし大手道は曲がっているだろう
という想像だけで描いただけだとしたら、今の道と差異が出ても仕方ないのかな?と思った。

小谷城落城前の道が、もし曲がりくねったものだとしたら、今歩く道とは
異なっていると思われる。

その大手道をどんどん登って行くと、途中天敵が現れた。

IMG_0717.jpg

山城で遭遇する確率が高い天敵・クモ。
こいつメチャクチャ嫌い。

夏に登った岡山の三石城は、メチャクチャ蜘蛛の巣が多くて、発狂しそうになったほど。
(結局、発狂じゃなくて発汗のしすぎで、病院に運ばれたんだけど)

そして、先ほどの望笙峠からは5分くらいで金吾丸の下にたどり着く。

IMG_0719.jpg


To Be Continued...



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