#oshiro/城郭記
プロフィール

#oshiro

Author:#oshiro
―城郭数寄者
城郭(最近は近世が特に…)と数寄建築・茶の湯が好きで、各地のお城や茶室を巡っています。中世城郭も好きですが、今は写真メインで巡ることが多く、土造りの城より石垣が築かれた城に足を運んでいます。
[注意!!]元々理系なため、文章がメチャメチャ下手糞です。と、ここで保険をかけておきます。



カテゴリ



最新記事



Link

このブログをリンクに追加する



検索フォーム



RSSリンクの表示



カウンター



スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


小谷城-4/金吾丸
#08 小谷城-4/金吾丸 【小谷編】

IMG_0719.jpg

金吾丸への登り口(上の写真)まで来た。
写真を見て分かると思うが、左へそのまま進むコースと右の金吾丸へと登っていく
コースに分かれる。

金吾丸出丸同様、少し標高が高くなっている丘のようだった。
ノートには、四段の曲輪土塁で形成されているとメモっていたが、
上にたどり着くまで、確認するのを忘れていた。


金吾丸

IMG_0721.jpg
金吾丸登城口と石碑

IMG_0734.jpg

ここはこのような道を進んでいく。
整備されてはいるが、脇の雑草が道まで伸びていて、この時期といえども
少し草を掻き分けていくような気分だった。

整備された木の階段は、等間隔ではなく、場所によっては短かったり、
長かったりとまばら。

また、傾斜はなだらかになっていたり、急な坂のようになっていて登りづらい。
(これらのことが四段の曲輪形成を指していたと思われるが、登るのに必死で、
確認するのを怠った。)

木々は、紅葉していたところがあった。

金吾丸の最上段にたどり着く。

滋賀県教育委員会の縄張図に、折れのある土塁で仕切った虎口が確認出来る。
虎口を通り過ぎてから、撮影してみた。

IMG_0749.jpg
▲金吾丸最上段から南の虎口

これだと、分かりづらいので加工してみる。

IMG_0749 のコピー_result

赤い部分が土塁を表している。
赤く塗られた土塁で挟まれた場所が、今歩いてきた虎口。
土塁や堀の残りは、ここでは顕著ではないと言われるのがよく分かる。
写真右側に見える土塁は折れがついているはずなのだが、確認する限り
折れはないように見えた。

清水谷にあった小谷城図(鳥瞰図)から金吾丸を抜粋してみると、

kinngomaru.jpg
▲金吾丸図(清水谷にある小谷城図から抜粋及び追記)

今、折れがあると言った虎口は、上の図の右上にある土塁が記された場所(黄色の丸の箇所)。
虎口に折れがあるのではなく、土塁に折れがある。だから枡形という意味ではない。
虎口へと侵入する導線に向かって、横矢がかけられるようになっている。

縄張図にも現地の城図にも折れの土塁が記載されているが、現地では
よく分からなかった。

ここから北へと金吾丸を抜けていく。
ここ最上段は出丸の最上段より狭い。人が40~50人くらい入るのがやっとと言った具合。

IMG_0740.jpg
▲金吾丸最上段の削平地中央から北を望む(下にあった碑とは違う木碑あり)

大永五年、六角定頼浅井氏に向けて兵を出したことが『宗滴話記』に記されているとのこと。
小谷城があったことが分かる文献上の初見がこれらしいのだが、この『宗滴話記』は後世に
作られたものと考えられていて、信憑性はあまりない。

この金吾丸という名称は、朝倉宗滴が陣を敷いたことで名づけられており、
その宗滴が前線に立つという性格から納得されている。
(浅井氏がここより後方の大嶽城に詰めていたとする)

朝倉宗滴は前線に陣を敷くというのが有名なのは、
前述した『宗滴話記』で大将は合戦の際、前にいればなんちゃらって言葉が
残されていて、武将名言として現在伝わっている。
ただ、前述したようにこの話記は後世のものと考えられていることから、
この前線に立つという話は納得しがたい。

IMG_0758.jpg
▲金吾丸から北側への下り坂(下りてから金吾丸方向を撮影)

出丸同様、ここも下りた所に立札があった。

>金吾丸
>大永五年(一五二五)六角高頼が小谷城を攻めた時、越前の朝倉金吾教景が
>ここに布陣したと言われ、教景の名乗りを取って金吾丸を名付けられたと伝える。
>四段の曲輪と土塁からなる。
(現地説明板より)

ここで、前回の記事で記述した間柄峠の解説を思い出して欲しい。

再喝しておくと、
>大永五年(一五ニ五)七月、江南の六角定頼が小谷城へ来攻した際、
>浅井亮政を助けるため、越前より朝倉金吾宗滴と先鋒真柄備中守が来援した
>越前軍が布陣した地をそれぞれ金吾丸・真柄峠と称するが地元では古くから
>「間柄峠」と伝わる。
(現地説明板より)
とあった。

朝倉金吾宗滴朝倉金吾教景は同一人物。
金吾というのは諡であり、宗滴は出家後の名前である。

一方、六角氏に関して、高頼定頼の父である。
同じ年に父子で小谷城を攻めたことになるが、実はそうではない(と思う)。
金吾丸の方の説明が誤表記であると思われる。
(しかし、金吾丸の現説の方が見た限り新しい)

なぜなら、六角高頼は永正十七年(1520)に死去しているから。
つまり、後年の大永五年(一五ニ五)に小谷城攻められるはずがない。
このため、金吾丸の説明板は高頼ではなく、定頼になる(はず)。

ということは、どちらの説明も定頼が小谷城に攻めたことになり、
真柄備中守が来援したかどうかの違いはあるものの、朝倉金吾宗滴が来援した内容は
同じになる。この2つは同じ戦いを示しているかは、金吾丸の説明に月日がないため、
判断は難しい。

また、とある本には大永五年(1525)五月に六角氏の軍と戦ったとされている。
このことから、2つの解説が同じものとは言えないかもしれない。
金吾丸の説明は五月の戦を指しているかもしれないから。

さて、前述した宗滴の名言は、「大将というものは前方にいるべきだ」
というものだった。もし、間柄峠に真柄備中守が詰めていたら、この名言は
矛盾するのではないだろうか。理由は、金吾丸よりも南・敵側の方に間柄峠が位置するから。

ちなみにこの戦では、浅井亮政は小谷城に迎えていた京極高清・高延父子を
伴って、北近江を脱出している。(浅井氏は翌年、北近江の支配権を回復している)

これまで述べたことを簡単にまとめると、
   “六角定頼 VS 浅井亮政・朝倉宗滴”
と言える。

つまり、小谷城における布陣図は下記-布陣図①のようになると思われる。
朝倉宗滴が金吾丸に、真柄備中守は南の間柄峠のあたりに布陣したとされている。

対戦図
▲布陣図①(清水谷にある小谷城図から抜粋及び追記)

しかし、最近?の研究では、宗滴は六角氏を来援しに来たのであって、
実際は浅井氏を攻撃するために来たということが分かっているらしい。
つまり先程の対決の構図が変わってくる。
   “六角定頼・朝倉宗滴 VS 浅井亮政”
であったと。

信長が朝倉氏を攻めた金ヶ崎の戦い。このとき、浅井氏は信長に反旗を翻し、
朝倉氏との同盟を選んだとされるのが定説となっている。
これは、朝倉宗滴が浅井氏に対して来援をしたという事実が根拠ということに
なっているが、このこと自体否定する研究結果である。

そのため、浅井氏は朝倉氏との同盟を重んじたわけではなく、別に理由が
裏切る理由になったとされる。その理由が、大名としての独立性を失い、信長の
家臣に収まるとことを嫌ったためだと解説していた。

もし、そうだとしたら名言の「大将というものは前方にいるべきだ」は矛盾しない。
浅井氏に近い金吾丸に宗滴が布陣、その後方の間柄峠に真柄備中守が布陣するという構図
になり、名言に沿った展開となることが納得できる。(下記-布陣図②)

対戦図2
▲布陣図②(清水谷にある小谷城図から抜粋及び追記)

ただ、現在の金吾丸は南側を守備した形となっているので、上の話が本当なら
築城当初は逆側(北)を向いていて、小谷城拡張の際に改修され、南側への防備を
固めた?と解釈することが出来る。

話を戻すと、この曲輪は実際に、宗滴が詰めていたか分からない。
本当は誰が詰めていたのか…単に浅井氏の家臣がいただけなのか。

もし宗滴でなければ、この曲輪名は金吾丸では不当かもしれない。

ちなみに小谷城絵図では『金吾丸』や『金吾』と書かれている。前回記述したが、
この絵図は江戸時代に描かれたものであるため、後世に描かれたもの。
なので、宗滴が来援したかどうか示すものではない。

この曲輪に詰めたのは朝倉宗滴なのか、それとも他の誰かなのか。
なんかミステリーめいてきて、頭がゴチャゴチャしてきた。

金吾丸から北側への下り坂を写した写真の右側には、先ほど金吾丸へ登る前に
分岐していた道が続いてきていた。小谷城絵図大手道はどれも金吾丸を通らない。
この写真右に見える金吾丸脇の道に当たる道が大手道として絵図に描かれている。

金吾丸へ登る人は少ない。城が元々好きな人と、大河ドラマ「江」の影響で、
来ている人との差なのかな?
と思いつつ、振り返りこのまま小谷城主要部へと突入していく…


To Be Continued...



にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村

テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術


コメント

コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


トラックバック
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
トラックバック URL
http://shirozuki.blog.fc2.com/tb.php/47-2a61b9c6



< /body>