#oshiro/城郭記
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Author:#oshiro
―城郭数寄者
城郭(最近は近世が特に…)と数寄建築・茶の湯が好きで、各地のお城や茶室を巡っています。中世城郭も好きですが、今は写真メインで巡ることが多く、土造りの城より石垣が築かれた城に足を運んでいます。
[注意!!]元々理系なため、文章がメチャメチャ下手糞です。と、ここで保険をかけておきます。



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小谷城-6/番所①
#10 小谷城-6/番所 【小谷編】


番所

odani_0770.jpg

番所の石碑の右隣には立札、左隣には出丸にもあった長浜み~なに
描かれた曲輪のイラストと解説が書かれている。

>番所
>遠方からは見えず間道もここに集まる要所に位置する登城者の検問所である
>北の下方には数段の削平地があり相当な規模である
(立札より)

>小谷城の主要部への入口に位置する。通常、番所があった所といわれる。
>登城道に面して南北に細長く石垣を組み、周辺には腰曲輪が点在する。北側の石垣上に
>一段高い平地がある。現在、北谷から登る林道(自家用車なら通行可)は、この番所跡まで
>通じている。
(現地説明板より)

小谷城絵図にも、「番所」の記述はある。
これまで出丸・金吾丸・大手道小谷城絵図と比較し続けていたが、
そもそも曲輪名は、この江戸時代に描かれた絵図を元につけられているので、
絵図と同じ名前があるというのは当たり前。
曲輪名に関しては絵図と比較しても意味がない…

立札にある「間道もここに集まる要所」。要所は番所を指し間道は何を
指しているかと言うと、清水谷からの登城道・虎ヶ谷道を指している。
確かに絵図を見てみると大手道虎ヶ谷道がこの番所に合流している。
しかし、虎ヶ谷道はどこに出てくるのだろうか…それに当たる道が見当たらない。
ここまで登ってきた道は大手道だった。
(虎ヶ谷道については後述予定なので、ここでは触れない。)

番所
▲番所図①(清水谷にある小谷城図から抜粋)

滋賀県教育委員会作成の縄張図を見ると、この番所はいくつかの削平地で
構成されていることが分かる。
麓にあった城図(上図)や、番所跡に入る手前にあった城図では簡略化されているが、
立札や現説板にあるように、番所の碑が立つ削平地以外に複数の削平地が存在する。

番所跡がどこからどこまでの規模を指すのかよく分からないが、
登城道を挟み、西側と東側で大きく分かれると思う。

番所東曲輪

東側にも曲輪があるが、次回の記事で述べる西側に
比べて遺構が確認しづらい。

odani_0777.jpg
▲番所跡大手道東脇

大手道のすぐ東脇は削平地にカウントしていいのかどうなのか。
この写真を見る限り判断がつきづらい。
その東脇から下方を覗いてみると、数段腰曲輪があるようなのだが、
一段しか確認できなかった。

odani_0779.jpg
▲番所跡東腰曲輪

写真だと分かりづらい。
加工してみても、うなずけるかどうか怪しい…

IMG_0779 のコピー

下に人工的に作られた削平地は存在する。白い部分が腰曲輪を表している。
これは上に添付した番所図①には見られない。道の東には何もないように描かれている。

東側の確認は、残念ながらこれだけで終わった。
続いて、番所跡西側を見学していく......


To Be Continued...



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