#oshiro/城郭記
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Author:#oshiro
―城郭数寄者
城郭(最近は近世が特に…)と数寄建築・茶の湯が好きで、各地のお城や茶室を巡っています。中世城郭も好きですが、今は写真メインで巡ることが多く、土造りの城より石垣が築かれた城に足を運んでいます。
[注意!!]元々理系なため、文章がメチャメチャ下手糞です。と、ここで保険をかけておきます。



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小谷城-15/本丸
#19 小谷城-15/本丸 【小谷編】

大広間からは北にポコンと高い丘・本丸跡が見える。
そのすぐ側まで行くと、本丸を囲う石垣を確認できた。


本丸

ODANI_0967.jpg

>本丸
>鐘の丸ともいう石垣をめぐらした約十二米の高所に約三十米に二十五米の
>広さをもつ。落城寸前まで城主長政が居住していた処である。彦根城西ノ丸
>の三重櫓は元小谷城天守と伝える。
(立札より)

>本丸
>本丸は、古絵図では鐘丸とも天守とも記される。南北40メートル、
>東西25メートルを測り、南北2段の構造で、北側の上段に櫓を附属する
>中心建物が建っていたと考えられる。東西の石垣下には土塁が築かれ、
>敵が側面を回れない構造を持っていた。北側の大堀切で、小谷城主要部
>は二つに分断される。南側には石垣が積まれる。(後略)
(現説板より抜粋。一部改変)

中世の頃は「本丸」という呼称はなく、中心となる曲輪は「主郭」と
呼ばれていたらしい。城の本には両方ともよく使われていることが多い。
現在、本丸と呼ばれているのは、以前記事にしたように小谷城絵図
書かれた名前から付けられているためである。

ODANI_0969.jpg
▲本丸南正面から見た石垣

本丸南面へ近づくと、現説でも書かれているように野面積み
石垣が巡らされていた。というよりは石積みにしか思えなかった。

石垣というのは裏込めされた栗石の外側に石を積み上げ、隅角部を
備えたものだけど、これを見る限り、裏込石があるようには見えない。
もしやこれが裏込め石で表の石はなくなっている?石垣にしては石が小さいし、
栗石にしては大きいような…

少し前に黒金門周りに散乱していた石を見ていたから石が小さいと
この時思ったのかもしれない。それまでに御茶屋から御馬屋斜面に
残る石は、この本丸にある石くらいの大きさだった。

自分はこれが土留めのための石積みだと思ったが、隅部の石は下の
写真を見て分かるように他の石に比べて大きいことが分かったので
石垣とも呼べるのかもしれない。

ODANI_0983.jpg
▲本丸登り口から見た石垣(右端が隅部で他より大きいことが分かる)

前回記事にした大広間北東の奥には、仕切り土塁があったと書いたが、
近くでよく観察すると、

IMG_1011.jpg

石がゴロゴロ転がっている。ここも南面同様、石積みで覆われていたのかも
しれないと思った。現説板にある曲輪のイラストには、石で覆われたように
なっている。ということは、これは近世城郭に見られる石垣の“仕切り”の走り
ではないだろうか。

IMG_1009.jpg
▲本丸への登り口

本丸南面石積み右横にある登り口まで戻り本丸へと上がることにした。
人が通るには、人一人分の幅のため、下りてくる人たちが数人いたので
少し待つことに。これが結構すべるらしく、下りてくる人たちは声を
上げながら下りてくる。

上へとたどり着くと、南端からは大広間を見下ろせた。
やっぱり広い。ここに長政たちが過ごした御殿があったのか…

ODANI_0987.jpg

登って思ったが、本丸は意外と大広間からは
高い場所にあるんだなぁ~っと。

そこから北へ振り返ってみると、

IMG_0992.jpg
▲本丸

本丸削平地が広がる。本丸は南北二段で分かれるということは、
写真を見ても分かる通り、少し北側が一段高く盛り上がっている。
場所によって高さが違うものの、高いところでは、1メートルくらい
あるように思えた。

ちょうど南北を分ける高低差の近くには、立札がまたあった。

>本丸跡
>江戸時代中期の小谷城跡絵図に「天守共 鐘丸共」と記されており、鐘丸が
>その機能を表していると考えられる。構造については不明であるが、何層かの
>建物であったことが想定される。

内容はほとんど下にあったものと同じ。
なぜ上にも建てたんだろうか…

本丸北段の削平地を見てみた。

IMG_0999.jpg

ここに何かしらの建物が建っていたのかと思うと、
達成感が味わえた。ここまで長かったぁ~

ここには礎石らしき平らな石が2~3個あったように記憶している。
『日本城郭体系』には、整然と置かれている礎石はいずれも、10~30
メートルほど地中に埋もれていたものだと書いてあったが、10~30メートルと
いうと大広間よりも下の位置になるけど、そんなに深い場所にあったのか?って
疑問に思った。じゃあ礎石じゃないかもしれないじゃんって思うんだけど…
なので、見つけた平らな石は礎石ではないかもしれないなぁ~と思う。

本丸北端に行くと、

IMG_0996.jpg

本丸から大堀切が見える。“大”がつくだけあって、デカい。
すげぇ~な。

本丸東側下方を覗くと、

IMG_1001.jpg
▲赤尾屋敷跡(本丸から望む)

赤尾屋敷跡で、今まで出会ってきたガイドさんを伴う観光客団体が
解説を受けていた。あっ、あそこ行ってないじゃん!!って今になって気づく。
相方に少し戻って良いか聞くと、二つ返事をもらえたので本丸から向かうことに。
着いた頃には、今いる観光客がいないといいなと思いつつ本丸を下りた。

ちなみに、この本丸は大広間を平らにするのに余った土で
盛ったのでないかという説もあるらしい…

次回、赤尾屋敷へと続く。



To Be Continued...



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