#oshiro/城郭記
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Author:#oshiro
―城郭数寄者
城郭(最近は近世が特に…)と数寄建築・茶の湯が好きで、各地のお城や茶室を巡っています。中世城郭も好きですが、今は写真メインで巡ることが多く、土造りの城より石垣が築かれた城に足を運んでいます。
[注意!!]元々理系なため、文章がメチャメチャ下手糞です。と、ここで保険をかけておきます。



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小谷城-16/赤尾屋敷①
#20 小谷城-16/赤尾屋敷① 【小谷編】

本丸から大広間へ下り、さらに南の黒金門まで戻り、
首据石近くの分岐点までたどり着いた。

IMG_0870.jpg

分岐点には、赤尾屋敷跡の立て札と石碑があるが、場所はここではなく、
ここから脇道を数分行った場所にある。分かりにくい場所ではあるので、
こうして分岐点の所に石碑を置いたと思われる。ただ、行く人はあまり
おらず立札の解説を読んで済ます人が多数だった。そのための立札か…?

ふとここで、浅井長政最後の突撃と同じルート辿ってんじゃん!!と思った。
これから行く赤尾屋敷は長政が自刃した場所だと伝わっている…
というわけで、自分と浅井長政を重ねて赤尾屋敷まで行くことにした。

分岐点から赤尾屋敷へ行く道を進むと途中、黒金門跡東側の
斜面にある石垣が上方に見えた。

IMG_1021.jpg
▲黒金門東斜面にある石垣群

道の脇にも往時の石垣と思われる石が少しだけ確認できる。
苔むしていて良い感じに横たわっている。このことから、やっぱり
大広間は石垣で覆われていることは明らかだと思われる。

IMG_1026.jpg

で、ここの道はというと

IMG_1029.jpg

こんな感じ。超狭い。人一人通るのがやっと。これでは一方通行でしか
進めないので、向いから来たらかなりマズい。どちらかが譲るにしろ
崖側を通る時は細心の注意を払わなければ、落っこちてしまいそうだった。

道の下方には帯曲輪があるように見えた。

IMG_1064.jpg

滋賀県教育委員会の縄張図や日本名城百選の縄張図には載っていない。
なんでだろう?上の道からでも削平地が見えるのだから、書いといても
よさそうなのになぁ~

桜馬場の西側から北へと続く帯曲輪があると桜馬場の記事で
書いたが、桜馬場東側にも帯曲輪があったので、清水谷方面の
防御を高めていたとは一概には言えないと思った。

しばらく行くと、広い削平地に出た。

IMG_1031.jpg

ここには何か建物でもあったんだろうか…
道にしては、かなり違和感がある広さなんだけどな。
ここに待ち伏せて、侵入者を迎え撃つような縄張にされていたのかなぁ。
とすると、ここも武者溜まりに近い使い方されていたんだろうか…

そこからさらに奥へ行くと、また道が細くなった。
すると、奥に赤尾屋敷が見えてきたが、ふとここで視線を足元に
落とすと石が散乱している。

IMG_1033.jpg

これは大広間の石垣?それにしては小さいような気がした。
それとも、ここにはでもあったのだろうか?門があったとしても、
このように小さい石で支えていたかどうかは分からないけど。つか無理だろ。
とすると、秀吉による長浜築城で大き目の石はここから持ち出されたのだろうか。

後3~4メートルで赤尾屋敷。
って、ところで今回は終了。



To Be Continued...



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