#oshiro/城郭記
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Author:#oshiro
―城郭数寄者
城郭(最近は近世が特に…)と数寄建築・茶の湯が好きで、各地のお城や茶室を巡っています。中世城郭も好きですが、今は写真メインで巡ることが多く、土造りの城より石垣が築かれた城に足を運んでいます。
[注意!!]元々理系なため、文章がメチャメチャ下手糞です。と、ここで保険をかけておきます。



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小谷城和りんご
#04 小谷城和りんご 【小谷編】

―前回まであらすじ―
河毛駅からレンタサイクルで小谷寺、片桐且元出生地まで巡った。[あらすじ終了]

片桐且元出生地から自転車で小谷城方面へと走る。
小谷城攻めしようと思い、自転車を置きに「ふるさと館」へと向かう。

ふるさと館へ行く途中、また石碑があった。

IMG_0577.jpg

血原跡
持ってきていた城下町図には確かに、この付近は血原と書かれているが、
特に由来や、何があった場所かまでは調べられていなかった。
石碑があるくらいだから、何かしら由緒ある場所なのかもしれないが、石碑以外の
現説板等がなかったので、詳しくは分からない。
(姉川古戦場跡にも血原跡・血川跡とあるが、それとは別物)

道を進むと、ふるさと館の入り口にたどり着く。
ちょうど湖国バスが着いたところで、大勢の観光客が下車してきた。
タイミング悪いなぁ~と思って、自転車を置きに入場する。

IMG_0592.jpg
▲ふるさと館入場ゲート

冠木門風に作られてる。ここを入って、すぐ左側が
自転車やバイクなどが停められる場所だったので、停めて
ふるさと館の敷地をブラブラした。

IMG_0590.jpg

うへぇ~
小谷城まで行くバスには長蛇の列が…
番所跡までは、このバスで行くことは分かっていたけど、混んでいるし、
元から徒歩で登城する予定だったから通り過ぎた。

甲冑体験コーナーもあったんだけど、甲冑よりも、
その受付の下にあった小谷城図と周辺の史跡の地図に目を奪われた。
浅井家発祥地の他に大嶽城跡奥の焼尾丸跡までの行き方は
貴重だなぁ~と思って、写真を撮っておいた。

トイレに立ち寄ろうとするんだけど、メチャクチャ混んでいて、
外の仮設トイレで済ました。

お土産屋もあったが、中には入らなかった。
その建物には“三つ盛亀甲”がデカデカとあしらわれている。
足軽体験用ということで小谷城と家紋が書かれた笠があったが、かぶりはしなかった。

それよりも壁に貼られていたものに興味が湧いた。

IMG_0594.jpg

何?浅井長政と和りんごって?

読んでみると、
>小谷城三代城主・浅井長政がまだ「賢政」と名乗っていた少年の頃
>領内の寺院、三珠院からりんごがとどけられました
>長政はたいそう喜び寺院宛に礼状を送っています
>この時代のりんごとは一体どのようなものだったのでしょうか
と書かれている。

脇には上記文章に出てくる礼状・浅井長政文書が掲示されている。

>林檎一籠被懸御
>意候、祝着之至候、誠
>被寄思食、御懇儀難
>申尽候、猶以賞翫申
>事候、委曲北庄源七郎、
>可申入候、恐惶謹言

>六月十九日 賢政(花押)

>三珠院御同宿中
>     浅井新九郎

家臣の北庄源七郎を使わして述べていると解説してある。
日付(ここでは年号のことを言っている)がありませんが、「賢政」とあることから、
「長政」と改名した永禄四年(1561)以前のものであるとわかるとも記載されていた。

六角義賢が一字“賢”を与えて、長政に「賢政(かたまさ)」と名乗らせていた時代か…

浅井長政は、元服前は新九郎と称していて、元服した永禄二年(1559)正月に六角氏から一字を
得ていた。ということは、この書状も永禄二年(1559)~永禄三年(1560)ぐらいのものって範囲が
せばめられるんではないだろうか。

ちなみに、『戦国大名浅井氏と北近江-浅井三代から三姉妹へ-』という本の後ろには、
浅井氏三代の花押一覧が掲載されている。長政の項目では、8個の花押があり、その中で
一番古い永禄三年(1560)のものは、「賢政」とあるが、それ以外の7個は永禄四年(1561)以降のもので、
全て花押が「長政」となっている。

だから、改名のタイミングが永禄四年(1561)と考えられているのだろうか......

「賢政」から「長政」への改名が、六角氏への宣戦布告といくつかの書籍には解説されている。
“賢”を下賜された際に、六角氏の家臣・平井定武の娘を妻に迎えている。
まぁ、迎えたというよりは、与えられたor婚儀を結ばされたという一方的な話。
(六角氏と戦い続けた初代・亮政に対して、二代・久政は六角氏と主従関係になり、
領内政治に力を注ごうとしたという背景がある。)

その、平井定武の娘を早々に離縁し、送り返すことになるのだが、これが永禄二年四月。
ということは、実際元服時(婚儀を結んだ)から四ヵ月くらいしか夫婦生活を送っていないことになる。

この後、六角氏と野良田で戦い、長政は勝利を収めている。(野良田合戦)
改名するまでの約二年、六角氏に対して、こうした態度を取ったことから宣戦布告として
扱われているのだろうか。

また、この改名が信長の一字「長」と解すことが出来るとも考えられているらしい。
(何を今更、と思う人多いと思うけど、自分は調べていて初めて知った)
さらにはこの時、信長の妹・お市の方を妻に迎えている。
以上により、浅井と織田の同盟が成ったとされているが、この同盟にも諸説あるらしく、
これより後とも考えられている。

下には、三珠院の解説もある。
>三珠院は伊香郡木之本町古橋村(現長浜市木之本町古橋)にあった天台宗法華寺十坊の一つで、
>石田三成が幼少期を過ごしたとも言われる場所です。長政の父である久政が永禄三年(1560)に
>三珠院の僧が雨乞いを行う際に人足を徴発していることから、浅井家と縁がある寺院で
>あったことがわかります。

石田三成好きなら、ゆかりの地を一つ発見と喜ぶんだろうけど、自分は三成好きではないので、
そこには感動せず、浅井家ゆかりの寺を一つ知ったのが思わぬ収穫になった。

さらに解説には、和りんごに触れられていく。

>●ゼロからのスタート
>接木をしている様子。小谷城下に現存している和りんごはなく、近隣で和りんご栽培を
>行なっている彦根市や旧山東町(現米原市)の農場の協力・指導のもと、ほとんどゼロからの
>スタートでした。

>●可憐な白い花
>開花時期は毎年5月頃。白く可憐な花が咲きます。現在は小谷城登山口などに
>苗が植えられており、この時期になると小谷城下は和りんごの花の華やかな
>雰囲気に包まれます。

>●復活した小谷城和りんご
>平成19年、有志によって「小谷城和りんごを復活する会」が発足し、
>現在残る品種を接木するなどして小谷城和りんごの復活が図られました。
>毎年7月頃になると可愛らしい和りんごの実がたわわに実ります。
>美の大きさはピンポン玉くらい。樹木は背丈ほどの高さです。

ピンポン玉ぁ~?超小さいじゃん。
和りんごって品種知らない。よくお店で見つける拳大程度の林檎とはどう違うの?
小谷城和りんごの復活って何?お寺からもらっただけなのに小谷城和りんごと名付けているの?
小谷城下に和りんごが栽培されていたなんて、前半記述されていなかったけど…

まぁいいや、細かいことは。
三珠院で栽培されていたんだったら、ここ小谷城下でも栽培されていたであろう。という
想像で復活させたのかな?と思うことにした。

お土産屋の隅に、ある機械を見つける。

IMG_0595.jpg

そう、プリクラ機。
小谷城をバックに撮れたりするから、記念にと思って、最後に
また立ち寄ろうと考え、後回しにした。
(結局、戻ってきたのがふるさと館閉館後で、プリクラが出来なかった。
この失敗が二条城につながる。)

自転車を駐車し終わっていたので、ここから徒歩で小谷城登山口へと向かう。

が、

IMG_0602.jpg

通行止め......orz
警備員さんから、ここからは博覧会期間中は登城禁止なんです。と言われた。
なんだってぇ~聞いてないよぉ~
このことをレンタサイクルを借りた時においちゃんが説明してくれていたのかなぁ…
ちゃんと聞いておけばよかったと後悔。

でも、まぁこの脇に「小谷城址」碑があったので、それを撮影だけ出来ただけでも
よしとしよう。

IMG_0601.jpg

しかたないので、別の登城口へ行くことに。
小谷城戦国歴史資料館側に登城口があったはず、と思って自転車を取りに行き、
そこから資料館方面へ走り出す。

ふるさと館と山の間を少し走ると…

IMG_0604.jpg

あっ!小谷城和りんご!!

こんな所にあんのかぁ~
ふるさと館の敷地内にあったんだ…

木ちっさ!!実ちっさ!!

少しだけ実がなっていた。
本当にピンポン玉サイズなんだなぁ~
というか、なぜ一本!?

さて、和りんごを後にし、道なりに少し進むと、
資料館へ行く途中に小谷城跡への登城口を見つける......


To Be Continued...



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