#oshiro/城郭記
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Author:#oshiro
―城郭数寄者
城郭(最近は近世が特に…)と数寄建築・茶の湯が好きで、各地のお城や茶室を巡っています。中世城郭も好きですが、今は写真メインで巡ることが多く、土造りの城より石垣が築かれた城に足を運んでいます。
[注意!!]元々理系なため、文章がメチャメチャ下手糞です。と、ここで保険をかけておきます。



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小谷城-20/中丸
#24 小谷城-20/中丸 【小谷編】

大堀切の北にある曲輪は中丸で、大堀切からは西側の道を歩いて
登ることになる。中丸は南北三段からなる曲輪と説明されているが、
上がる途中見つけた曲輪(下写真)も中丸の一部だと思われる。

IMG_1105.jpg
▲南北三段の中丸に接続する帯曲輪

中丸の一部ではなければ、隠し曲輪か何かかな?にしては
登城道から見えすぎか。ここに誘導して上から狙撃したとか?

この曲輪が見えた位置から右に曲がった。

IMG_1106.jpg

この道。往時のままだと思う。
よぉ~く観察してみると、道の端に石積みが見える。
左側を拡大してみると、

IMG_1111.jpg

石がちゃんと残っている。赤尾屋敷へ行く途中の道脇には石が散乱
していたが、道脇にはっきりと石積みがあるのはここがお初だなぁ~
(茶々・初・江の初じゃない。初めてだからお初)

ここから大堀切を覗いてみた。

IMG_1113.jpg
▲中丸側より大堀切を望む

堀底からは中丸が高いように見えなかったが、こうして上から
見下ろすと、意外と高さがあることに気づき足がすくむ。
ここまでは容易く落とせた信長軍がここから本丸を攻めあぐねた
と考えると身震いする。ここを境に両軍睨み合ったと思われる。

中丸下段に入る虎口右側(東)にも石積みが顕著に残っている。

IMG_1112.jpg
▲中丸下段虎口東側の石積み

ここを上がれば、中丸へと入ることになる。


中丸

IMG_1115.jpg
▲中丸下段から中段・上段を望む

>中丸跡
>大堀切跡の北にある曲輪で三段からなる。石垣は見られるが
>土塁は設けられていない。虎口を左右に振り分け攻めにくくしている。
(立札より)

>南北三段から成り、最上段に刀洗池がある。この池の縁を通って、上段の
>京極丸につながる。三段目と二段目の間や、一段目の南面正面には小規模な
>石垣が現存し、この曲輪も基本的には石垣で固められていたと見られる。
>虎口を中央に設置しているのは、中丸より上部の郭だけで、ここより下の
>郭は、敵がまっすぐ突き抜けられないよう側面から入る構造になっている。
>(後略)
(現説板より)

思うことはあるが、後ほど。

虎口を上がると、南北三段になっていることが確認できる。
現地だと一目見れば分かるけど、写真だけだと分かりづらい。

nakamaru.jpg
▲[Fig.1]小谷城中丸付近図(清水谷にある小谷城図から抜粋及び追記)

青い部分は石積みがあった場所で、この中丸も石垣?石積み?で覆われて
いたことが分かる。と言っても、全体覆われていたんだろうか?虎口周辺に
石積みが多く残っていたので、重要な部分だけ覆っていたとか?名古屋城
三ノ丸は基本土塁で曲輪周囲を囲み、虎口は枡形石垣で防御している。
それに近いものを感じた。帯曲輪とあるのが、大堀切からすぐ登った場所に
ある削平地で、特に曲輪名は付けられていない。中丸は上図にあるように三段で
出来ているというが、この帯曲輪も含んでいたかもしれない。南北三段の削平地
を上段・中段・下段と名付けてみた。

下段は意外と広く、次の中段まで行くには少しばかり距離があった。
中段に入る直前で、下段から中段・上段を見上げてみた。

IMG_1116.jpg
▲中丸下段から中段・上段を望む

と言っても高さはない。
この写真に上段・中段部分に書き加えると、

nakamaru1.jpg

こんな感じ。当時はこんなに低かったわけじゃないだろうに。
人が踏みつけて、徐々に低くなってしまったのだろうか…

中段から上段に上がる虎口は非常にいい具合で石垣が残っている。

IMG_1121.jpg

虎口左右に残る石垣、そして石段。まさに虎口と呼ぶに相応しい。
往時の様相を伝えてはいるが、これも整備の賜物だと思われる。
ちなみにこの写真では見切れているが、東西へと石垣は続いている。

[Fig.1]の上図では真っ直ぐ登城道が描かれているが、実際そうではない。
立札にあるように左右に虎口が振り分けられており、ジグザグ感を体感する。

IMG_1127.jpg
▲中丸上段から中段・下段を望む

中丸の上段から中段・下段を覗き込むと、そのジグザグ感が分かりやすい。
いや、実際歩いて体感することが出来るので、ここで改めて書く必要ないかも
しれないが、写真を見て納得することが出来るので、挙げておく。
と言っても、これでも「う~ん」と思うかもしれないので、少し写真に
補ってあげると、首肯することができると思う。

nakamaru2.jpg

加工してみるとこんな感じ。どうだろうか?
上段から覗き込んだ視点なので、奥が下段に当たる。
黄色の線は、曲輪内の上段・中段・下段の境を表し、
赤い線は攻城側の導線を表している。

これがジグザグ感の正体。

平虎口であっても、こうして方向を変えてあげるだけで
攻めにくくできるものなのか。(これ横矢なのかな?)

で、先延ばしにしていた考えに戻ると、現説板には、
>虎口を中央に設置しているのは、中丸より上部の郭だけで、ここより下の
>郭は、敵がまっすぐ突き抜けられないよう側面から入る構造になっている。
とあるが、最初は「?」と思った。一回で理解できないのが理系である証拠だろう。
再度、現説板の曲輪のイラストと照らし合わせながら読み直して考えてみた。

“中丸より上部の郭は虎口を中央に設置している”
つまり、小谷山東尾根に連なる曲輪群の小谷城主要部の中で、
中丸より標高が高い北側の郭は虎口を中央に設置している。

“ここより下の郭は、敵がまっすぐ突き抜けられないよう側面から入る構造”
つまり、小谷城主要部の曲輪群の中で、中丸より標高が低い南側の郭は、
虎口を中央ではなく、側面に設置している。

と掘り下げて読むと「あぁ~なるほど」と合点がいった。

ここまで、麓の清水谷から登城してきたが、これまでのどの曲輪も
側面に登城道があり、郭内を通過することがなかった。(大広間は除く)
出丸では側面から曲輪内に入り、御茶屋・御馬屋・桜馬場も側面に
登城道が設けられていた。以前、これらの記事を書いたときも曲輪内を
通過しないことから、犬山城なんかに似ていると述べたばっかりだった。
(犬山城は中央に登城道があるという大きな違いがある)

確かに、登城道は曲輪の側面を通ってきたが、この中丸では曲輪中央に
虎口があり、大堀切を境に南北で虎口・登城道に差異があるというのは、
現説を読んで初めて気づいた。

これは、築城時期の違いか?
それとも他の理由か?

次回、刀洗池へと続く。



To Be Continued...



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