#oshiro/城郭記
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Author:#oshiro
―城郭数寄者
城郭(最近は近世が特に…)と数寄建築・茶の湯が好きで、各地のお城や茶室を巡っています。中世城郭も好きですが、今は写真メインで巡ることが多く、土造りの城より石垣が築かれた城に足を運んでいます。
[注意!!]元々理系なため、文章がメチャメチャ下手糞です。と、ここで保険をかけておきます。



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小谷城-23/小丸
#27 小谷城-23/小丸 【小谷編】

京極丸から上段にある曲輪・小丸が見える。

IMG_1164.jpg
▲小丸切岸

京極丸枡形虎口を突破してきた秀吉軍も、こうやって小丸を
見上げたのか…?

小丸への登り口を探したら、京極丸東曲輪北西にあった。

IMG_1168.jpg

ここは石積みがなく、そのまま上がるようになっている。

ところで、前回記述した京極丸は中丸から登る場合、東曲輪に接続する虎口(馬出から
登った虎口)から登った。そして、京極丸から小丸へ登る際も、東曲輪から上がっていく。
つまり、中丸京極丸小丸へと侵入していく場合、京極丸の西曲輪は通らない。
実際に見ることが出来なかったけど、京極丸西曲輪には枡形虎口があったと書いた。
そして、秀吉軍は清水谷から駆け上がって、そこを突破してきたと。

ちなみに麓から出丸を経由して京極丸に至るまで、小谷城に
枡形虎口があったかっていうと、答えはNOなんだよね。

これって、大きい話なんじゃないかなぁ…

したがって、京極丸の西曲輪って、信長と争いだした元亀年間に急造されたもの?
って思ったり、落城の約1年前には、清水谷から京極丸西曲輪桝形虎口に続く“水の手
まで信長軍は追い込んでいるから、これ以降に改修された?それともこれより少し前には
出来ていたけど、この枡形虎口があって、信長軍は1年前は引いたのか?はたまた浅井氏の
後入城した秀吉が手を加えた?なんて色々考えてしまった。

よく小谷城の山崎丸・福寿丸について、その先進的な縄張の異質さが
多く取り上げられるけど、こうして小谷城主要部で枡形虎口があるのも
異質なんじゃないかなぁ~

さて、虎口を登ると小丸の西曲輪へと出る。


小丸

IMG_1169.jpg
▲小丸西曲輪

>山王丸と京極丸の間にあり、東西二段の構造を持つ。
>東側が高いが、小谷落城の際に、久政が自刃した場所はここであろう。
(京極丸にあった現説板より)

>小丸跡
>2代城主久政が引退した後に居住した所と考えられている。
>天正元年(一五七三)八月二十七日に京極丸より羽柴秀吉に攻められ、
>鶴丸太夫の介錯により四十九歳を一期として自刃した。
(立札より)

ここはこれまでの曲輪の中で構成的には面白くないかも。
歴史舞台としては、非常に貴重な場所ではあるが…

現説通り、小丸は東西二段で出来ていることが分かる。
中央に行くと、小丸の石碑と解説が書いてある立札があった。

IMG_1170.jpg

上の写真。左隅に石碑がチラって写っているが、その奥に
少しだけど盛り上がっているのが分かるかな?東西二段の曲輪は
このように段になって境が出来ており、東側が一段高いという
ことが分かる。

実際に東曲輪に上がってみた。

IMG_1174.jpg
▲小丸東曲輪

特に土塁とかが残っているというわけではなく、平らな削平地が
あるということのみ確認できた。

で、ここの曲輪の特徴はこのくらい。
特に他に挙げるものもないので、他の曲輪とは
違って、防御施設の類が全くないと言っていい。

話が変わるけど、『竹中半兵衛:秀吉に天下をもたらした信義の軍師
という本では、秀吉の京極丸突破劇を他本より多く触れられている。

前回も書いたけど『信長公記』の第六巻には、
>八月廿七日、夜中に、羽柴筑前守、京極つぶらへ取り上り、浅井下野・
>同備前父子の間を取り切り、先ず、下野が居城を乗つ取り候。
(現代語訳より抜粋)

と記述されている。この中の“浅井下野・同備前父子の間を取り切り”というのは、
小谷城の本丸にいる浅井長政小丸にいる久政を分断するという意味で、この
知恵を秀吉に授けたのが、竹中半兵衛なんだとか。

その後に続く内容が面白かった。一部抜粋すると、
>城郭は天険の要害として知られたが、とくに小丸の出城になる京極つぶらは、
>久政が大石で塁を築き、天然の掘割を深く掘り、山中いたる所に鳴子の網を
>張って、堅固な砦になっている。
と書かれている。

ははぁ~なるほど。
小丸の防備は薄いけど、その前面に貼り出す京極丸(京極つぶら)が、出城
という解釈なのか。それならこの小丸が手薄なのは、少し納得がいくかな。
上の抜粋した内容が全部が全部本当でないにしろ、京極丸は意外と現地では
防御施設の類があるから、現時点全否定は出来ないなぁ~

話がまた戻るけど、京極丸を突破というよりは内部から手招いた記述を別の本で
見つけた。京極丸を守備していた浅井氏家臣の浅井七郎井規、三田村左衛門尉、
大野木土佐守茂俊
は信長に通じて、“水の手”を上がってきた秀吉軍を迎え入れた
とあった。(その後、この3人は戒めに斬殺されている。)

竹中重治(半兵衛)って、実は浅井氏の下にいたこともあったらしいんだよね。
で、その時の人脈を生かして、調略を任せられていたんだとか。
姉川合戦前に浅井氏が近江と美濃の国境を固めた支城を調略をもって
寝返らせていたりする。もしかしたら、小谷落城を決定づけた山本山城
阿閉氏が降伏したのも、上の京極丸にいた3人を信長側に巻き込んだのも
重治の調略があったんかなぁ~って思う。

話が大分逸れちゃったけど、現地の解説にもあるようにここは、
浅井久政が自刃した場所だと言われている。
現説によれば、最後の写真にある一段高い東曲輪で自刃したとか。

片桐且元公居館跡赤尾屋敷跡の記事で長政自刃には少し触れたが、
浅井久政・長政父子の自害の日は諸説ある。諸説あると言っても、現地では
久政自刃の日を8/27、長政自刃の日は9/1と書いてあった。

諸説ある原因は、
信長公記』で、久政8/27・長政を翌28とされ、『嶋記録』では、
久政8/28・長政を翌29、『総見記』では長政9/1・久政を一昨日と
記されていて、どれもこれも自刃の日はバラバラ。

しかし、長政の自刃については片桐且元出生地の記事で書いたように、29日付の
長政書状が見つかったことで29日には存命していて、翌9/1 に自刃したのが現在の
定説になっているようである。(そのためか最近の書籍では、9/1を自刃の日とし、
昔の説では8/28だったと書いてあることが多い)

また、一周忌に作成された浅井長政像の賛文からも命日は9/1とするのが
妥当とされている。※天正元年八月は「小」の月で30日は存在しない。

で、久政自刃の日はというと、8/27でまとめられていることが多い。
これって、『信長公記』優先で決められた説なんだろうけど、特に
議論はされていないのかな。登城した日が11/27だったので、ちょうど
3か月前の8/27には久政がこの小丸、今自分が立っている場所で自刃
したかと思うと、何だか切ない気持ちになりつつ、合掌しておいた。

周りには相方を除けば誰もいない。ほとんどの人が本丸で満足するのか、
ここら辺まで来ている人はほとんどいなかった。(時間も時間だったので
人が少なくて当たり前か)

そのためか、ここで静かに過ごせたのは良かった。

『信長公記』には、この記事中頃に挙げた記述に続いて下記のように記されている。
>爰にて、浅井福寿庵、腹を仕り侯。さる程に、年来目を懸げられ候鶴松大夫と
>申し侯て、舞をよく仕り侯者にて侯。下野を介錯し、さて其の後、鶴松大夫も
>追腹仕り、名与是非なき次第なり。
(現代語訳より抜粋)

掻い摘むと、浅井福寿庵の切腹に続き、久政は近くに仕えた鶴丸太夫の介錯で切腹し、
その後に介錯した鶴丸太夫も後を追ったということなんだけど、浅井福寿庵は久政の
近侍らしい。

つまり、主君よりも先に死んだっていうことになるんだけど、そんなことあんの?

長浜みーなでは、木村福寿庵という朝倉氏家臣が久政を介錯した人
として有名とも書いており、さら続けて鶴丸太夫(高月町森本出身の
舞人)と木村福寿庵は同一人物であったのか?とも書かれていた。

もしかして福寿庵違いか?と思った。
信長公記には浅井福寿庵とあるし。

小谷城の曲輪・福寿丸の名は、木村福寿庵が守備していたことから
名づけられたとあるので、そんな人物が小丸にいる久政の近くにいる
のは、とても不思議に思えるんだが。

いやまてよ、久政の周りに朝倉氏の家臣がいたりしたのならば、
京極丸の西曲輪に枡形虎口があるのも、この越前方が構築したと
考えられるんじゃ…

話が長くなってしまったけど、小丸の記事はこれにてお終い。
(ほとんど京極丸の延長だったけど…)

浅井久政、享年49歳。
この地で生涯を閉じた。



と、言われている小丸でした…



To Be Continued...



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