#oshiro/城郭記
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Author:#oshiro
―城郭数寄者
城郭(最近は近世が特に…)と数寄建築・茶の湯が好きで、各地のお城や茶室を巡っています。中世城郭も好きですが、今は写真メインで巡ることが多く、土造りの城より石垣が築かれた城に足を運んでいます。
[注意!!]元々理系なため、文章がメチャメチャ下手糞です。と、ここで保険をかけておきます。



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小谷城-29/あとがき
#33 小谷城-29/あとがき 【小谷編】

長々と書いてきたこの小谷城の連載も
これでひとまず完結。

えっ?これで終わり?と思う方、そうです他にも
小谷城には見所がある曲輪が複数存在します。

まだまだ見所が他にもあるにもかかわらず、この時(2011/11/27)、
小谷城初登城だったこともあり、相方の要望で100名城スタンプ
絶対押したいということで小谷城戦国歴史資料館へ向かうことにした。

IMG_1315.jpg
▲六坊終点にある分岐点

六坊から北へ出ると、ちょうどそこは分岐点で、“至月所丸”、“至大嶽城
なんて書いてあり、苦渋の決断だったが、そのまま(写真)左の清水谷道
と下りていった。

資料館の入館受付は16:30まで。やばい、ダッシュで下りなきゃ。
遺構よりもスタンプを取ったわけだから、押せないなんてオチになりたくない。
『二兎を追う者は一兎をも得ず』なんていうけど、今は一兎諦めたから残りの
一兎だけでもぉ~という思いで必死に下山していく。

下りる道に選んだこの清水谷コースも見所は多数存在し、石垣がある家臣屋敷
竪堀などお城ファンなら堪らない遺構のオンパレード。一応下りながら見て回る
ものの、日暮れ時もあってか、光量が少なく、手ブレした写真しか撮れなかった。
(三脚を使用する暇さえ与えてくれなかった)

なので、清水谷は再挑戦することに…

この下り道は半端なかった。生まれたての子馬のように、
太ももをガクガクブルブルさせながら、一目散に駆け下りていく。

押すだけなら、まだ間に合うんだけど、折角資料館へ行くんだから
中も拝観したい。そうこうするうちに遠藤屋敷跡に辿り着いた。

この時、16:11。

ま、間に合った。
はぁ~はぁ~言いながら資料館へ入場し、入り口付近にあった100名城
スタンプを押す。その脇には他のスタンプもあり、ノートに押していく。
(スタンプは旅中、置いてあれば何でも押す人間です。)

資料館備え付けのスタンプは良かった。
何が良かったかって、個人的な価値観でしかないけど、
長政花押がデカデカと中央にあり、その横に浅井備前守長政と書いてあり、
その下には、浅井氏の家紋・三盛亀甲があって小谷城戦国歴史資料館とあった。
花押のスタンプって、今まで出会ったことないから、気に入ったのか何故か
それだけノートの背表紙に押したのが今でも残っていて面白い。

スタンプを押し終わると、中に入っていき、展示物を見ていく。
滞在時間が短かったのもあって、事細かくは見れなかったけど、
思わず「へぇ~」って言うような内容があったんだが、思い出せない。
(じゃあ、へぇ~って思う意味ないだろって突っ込まれそうだけど)
確か刀関係だったんだよね。今の日本語の由来が、この刀の一部から
きていてっていう内容だったと思うんだけど。ちなみに日本語って、
刀関係の語源が多いんだよね。それに比べて鉄砲関係は『火蓋を切る』
ぐらいしかないんだとか。

他にも年表や肖像画、発掘されて出てきた遺物などもあったけど、
詳しくは覚えていない。

資料館は2部屋あって、もう1部屋の方に行くと、これまで登城していた
小谷城の各曲輪にあった曲輪イラストがカラーで掲載されている。
奥まった場所で動画を流していたが、見ていないからどんな内容だったかは
分からない。その周りに多くの人が集まっていたので自分は見なかった。
イラスト以外には、小谷城跡絵図浅井三代記美濃焼の皿などがあった。
小谷城跡絵図では、随所に黒字や赤字の注記があり、明治時代に郷土史家
によって、書き加えられたんだとか。

昔はこーゆー扱いされていたんだね、残念なことに…

美濃焼の皿は、北国脇往還で美濃までつながっているから、
そのルートで流れついたものだろうか。

そぉ~いえば大広間では、越前笏谷<しゃくだに>の遺物が多数
出土したことから、越前朝倉氏浅井氏の関係を物語るものだとか
言われている。確かに笏谷石は福井産出で丸岡城の屋根瓦は笏谷石
で葺かれている。その数約6000枚なんだとか。

信長が朝倉氏を攻めた時、同盟を重んじて浅井氏は立ち上がったなんて
よくある説明はあんまし信じていない。同盟とまでは行かない何かしら
の交易あったとは思う。浅井氏は琵琶湖の水運を大きな収入源とし、
積荷は北陸方面や畿内に送られたらしい。その点から浅井氏と朝倉氏は
つながっており、そういった特産物などをお互い物々交換とかしていれば、
まぁ城内で出土してもおかしくはないかなぁ~なんてこの時は思った。

後々知ることになるけど、積荷は諸方へ送られるとしても塩などの海産物
などは近江では海がないため隣国から持ち込むしかほかなかったらしい。
考えたら当たり前か…そのため、近江商人が買い付けに敦賀などに進出して
いったんだとか。そういう中、地元の商売敵と商売上のトラブルが相次ぎ、
朝倉氏が近江商人の行為を禁止するものの効果はなかったようだ。敦賀の
取引先は近江の北部と考えられ、戦国末期、近江商人は北江から敦賀への
山間交通路で塩を買い付けにいっている。ちょうどこの頃の朝倉氏は浅井氏
と組んで織田と対峙していたことから、事情を調べて義景は認めてったていう
から、やっぱり元々同盟していたのではなく、朝倉攻めを機に浅井氏が立ち
上がって、それをきっかけに双方仲良くなったと考えるのが自然な気がする。
同盟していたんだったら、塩を浅井氏に分けていた気がするし。

閉館時間が近くなり、資料館を後にした。
置いていたレンタサイクルに乗り、ふるさと館へ向かったが、
閉まっていた。あぁ~プリクラ撮れんかったぁ~

17時を過ぎ、自転車の返却時間が17:30までだったので、
河毛駅まで戻ることにした。

ふるさと館でお土産を見れなかったので、コミュニティハウスで
お土産を物色したが、これといってパッとしないので、受付周辺に
ある本を何冊か買って帰ることに。(その内の浅井三代記は中身を
見ずに買ってしまって、後で後悔することに。)

後は、電車に乗って名古屋まで帰るというお決まりの帰路につき、
2011/11/27の日帰り小谷攻城は終了。

最後までお読みいただいた方、ありがとうございました。

ちなみにこの記事をUPする2011/4/6の次の日には、
ウォーキングツアー「信長の小谷攻城ルート-焼尾砦から大嶽を攻略するー
が開催されるため、これに参加してきます。

現時点、長浜方面の天候は良くなさそうですが…

まさか焼尾砦に行けると思っていなかったのですごく楽しみです。
この様子も、そう遠くないうちにUPしたいと思いますのでしばらく
お待ちください。

すぺしゃるさんくす
以下、小谷城の記事で参考にした文献

・日本城郭大系11京都・滋賀・福井(新人物往来社)
・浅井長政のすべて(新人物往来社)
・ドキュメント信長の合戦(学習研究社)
・近江浅井氏 小谷城と城下をゆく(小谷城下まちめぐりウォーク実行委員会)
・ビジュアル・ワイド日本名城百選(小学館)
・体感・実感!にっぽんの名城(日本放送出版協会)
・日本100名城公式ガイドブック(学習研究社)
・歴史人2011Vol.10(KKベストセラーズ)
・長浜みーなVol.105(長浜み~な協会)
・廃城をゆく(イカロス出版)
・浅井氏三代(吉川弘文館)
・近江の山城ベスト50(サンライズ出版)
・近江城郭探訪 合戦の舞台を歩く(サンライズ出版)
・歩いて知る浅井氏の興亡 戦国浅井戦記(サンライズ出版)
・戦国武将の竹生島信仰(サンライズ出版)
・戦国大名浅井氏と北近江 浅井三代から三姉妹へ(サンライズ出版)
・近江学第4号(サンライズ出版)
・近江の城 城が語る湖国の戦国史(サンライズ出版)
・麓でもらった資料
・小谷城パンフレット
・他諸々(←覚えていない)



To Be Continued...(の予定)



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