#oshiro/城郭記
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Author:#oshiro
―城郭数寄者
城郭(最近は近世が特に…)と数寄建築・茶の湯が好きで、各地のお城や茶室を巡っています。中世城郭も好きですが、今は写真メインで巡ることが多く、土造りの城より石垣が築かれた城に足を運んでいます。
[注意!!]元々理系なため、文章がメチャメチャ下手糞です。と、ここで保険をかけておきます。



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小谷城-7/番所②
#11 小谷城-7/番所 【小谷編】

番所の続き

前回は番所跡の東側を見たが、大手道より下の方には
削平地(腰曲輪)が存在していた。

その事実と、これから述べる内容を麓の小谷城図に付記すると、下図のようになる。

番所2
番所図②(清水谷にある小谷城図から抜粋及び追記)

白い部分が前回述べた東の削平地があった箇所に該当する。
次に西側を見学していく。
(東に位置するのでここでは“E”とする。)

番所西曲輪

東に比べて、西側の削平地は広い。

odani_0776.jpg
▲石碑の裏にある広い削平地Ⅰ(番所図②-Ⅰ)

ここが一番最初に目にする場所。石碑も上の写真の右隅に位置するため、
ここだけが番所跡だと勘違いする人がいるかもしれない。
上の番所図②でいうと、黄色の数字でⅠと書いてある場所に値する。

この削平地Ⅰの南には次に大きな削平地Ⅱ(腰曲輪/下写真)があった。

odani_0775.jpg
▲番所腰曲輪(番所図②-Ⅱ)

こちらも木々が多くて、写真では分かりづらい。

IMG_0775 のコピー

加工してみたが、比較しても分からないと思う…
確かに、今自分が立つ曲輪から一段下に平らになった削平地があった。
肉眼で見たり、写真を拡大してみなければ実際分からないと思われるので
是非現地でご確認いただきたい。(見る際は、落ちないようにご注意を)

この番所跡は、昭和四十五年(1970)の整備事業で、
高さ3.2センチの五輪塔が出土したとのこと。
(麓で頂いた資料には高さ2センチの銅製五輪塔と書かれている)

番所というのは、前回の記事でも書いたように、江戸時代の絵図を元に
曲輪名をつけている。これを元に、この曲輪を番所跡として解説している。
小谷城見聞録というパンフには、番所跡の説明として、下記のように記されている。
>(前略)ここが番所跡です。当時は、暗殺・城内攪乱・スパイ活動が活発だったため、
>ここで城内への出入りを厳重にチェックしていたようです。
浅井氏が存命だったとき、本当に番所だったかもしれない。検問所の役目を
果たしていたというのなら、大手道・虎ヶ谷道がここで合流するのも納得できる。
ここで出土した硯が、通行者の記録などをとるために当時使用されていたものかも、
なんて想像してしまった。

この1970年から1975年まで行われた環境整備事業では、
対象は山王丸からこの番所跡まで行われ、発掘調査後、整備が行われた。
今の小谷城があるのは、この整備のおかげなんだろぉ~なぁ~と思いつつ、
石垣が少々残る小さな土塁が数メートルあったというので
確認してみたが、その遺構がどれだか分からなかった。

帰ってから、東側に幅1.3メートルあると知ったので、
次回小谷城へ行く時に確認してみようと思った。
(曲輪のイラストにある大手道に沿って南北にある石垣のことを指していた
のかも?と思っている。土塁のようには感じなかったが…)

番所跡曲輪Ⅰの北側には、登城道に沿って一段高くなった削平地・曲輪Ⅲがある。

ここで前回記述した現説板の内容を再喝しておくと、
>小谷城の主要部への入口に位置する。通常、番所があった所といわれる。
>登城道に面して南北に細長く石垣を組み、周辺には腰曲輪が点在する。北側の石垣上に
>一段高い平地がある。現在、北谷から登る林道(自家用車なら通行可)は、この番所跡まで
>通じている。
とある。この中の「北側の石垣上に一段高い平地」というのが、曲輪Ⅲに当たる。

odani_0781.jpg
▲曲輪Ⅲ(曲輪Ⅰから撮影)

長浜み~なのイラストでは、この削平地が石垣で固められている。
その場所を加工してみると、

IMG_0781 のコピー

往時はこのような姿だったかもしれない。

その曲輪Ⅲを左に見ながら、大手道を進んでいく。

odani_0783.jpg

左折れで道が曲がる。ようやく城の登城道らしく曲がるのは、
今回が初めてのような気がした。

大きく曲がった先は、曲輪Ⅲの削平地を上から望む場所に出る。

odani_0786.jpg
▲曲輪Ⅲ(番所図②-Ⅲ)

ここまで見てきて、番所跡は実際に複数の削平地で
出来ていることが分かる。

番所跡から登城道を道なりに進んでいく。
(下図の黄色の箇所)

番所から御茶屋

登城道を進む途中、柵で仕切られた別の道があった。
別の道からも行けるのだろうが、今は通行止めにされている。
柵も真新しいので、博覧会開催に合わせて、新設されたものだろうか。
正規のルートを進むと、直線の登り道が続く。
この道を上へ上へと登っていくと、眺望がいい場所に出た。

IMG_0800.jpg

望笙峠とはまた違った角度で望める。
小谷城主要部に近いことから、小谷合戦時の小谷城兵と同じような視点で
見ている気がした。

虎御前山が眼前にあり、福寿丸・山崎丸がある小谷山西尾根も
俯瞰することが出来る。そして、清水谷も。

これを見ていて思うが、信長が付城を築いた虎御前山と小谷城がある
この小谷山の山裾同士は、そんなに距離がないことが分かる。

近いなぁ~どんな気持ちだったんだろぉ~
籠城は精神的にキツかったんじゃないだろうか…

そこから少し登ると、下の方で見た柵で通行止めされた道の終点に出た。
小谷城縄張図(滋賀県教育委員会作図)にも、この別の道が記されている。
通行止めされていなければ、番所跡から御茶屋跡までのショートカットになる。
ショートカットがあって助かるだろうけどかなりの勾配がある道なので
登るのは大変そう。後世に作られたものだろうか…

そこから左に折れ曲ると、御茶屋跡に出る。


To Be Continued...



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