#oshiro/城郭記
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Author:#oshiro
―城郭数寄者
城郭(最近は近世が特に…)と数寄建築・茶の湯が好きで、各地のお城や茶室を巡っています。中世城郭も好きですが、今は写真メインで巡ることが多く、土造りの城より石垣が築かれた城に足を運んでいます。
[注意!!]元々理系なため、文章がメチャメチャ下手糞です。と、ここで保険をかけておきます。



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小谷城-18/竪土塁・御局屋敷
#22 小谷城-18/竪土塁・御局屋敷 【小谷編】

赤尾屋敷跡から先ほど来た道を戻ることにした。
途中、首据石があった場所まで行くと、動物注意の看板があった。

IMG_0873.jpg

カモシカだって。
岩村城ではシカを見た。曲輪に登ったらちょうどいたのを鮮明に思い出す。
あのときは「たぬきがいるよぉ~」なんて相方に声をかけたのを今でも
覚えている。実際、たぬきではなく、シカだと突っ込まれたが、あれは
本当はたぬきだったのではないかと思っている…

話が逸れたけど、この看板には“熊と間違いやすいので”と書かれている。
いやいやいや、間違えないでしょフツー。間違えるって、どんだけだよ(笑)

黒金門から再度大広間に入り、本丸の方へ進む。
先ほどとは逆の北西側から本丸の脇を通っていった。

IMG_1071.jpg
本丸西側の登城道

ちょっと道が左に回り込むのが分かるかなぁ~?
通り過ぎるまでは、ここをただの道だと思い、特に何も思わなかった。

通り過ぎるまでは…

上の写真に写っていた本丸西側の道を抜けた所で、ふと振り返った。
すると、思わず声を上げたくなるような遺構を発見。


竪土塁

IMG_1075.jpg
竪土塁(北側)

石積みがある。それも土塁を囲んでいる石積み
おぉ~なんじゃコリャ~って思って、縄張図を見ると確かに土塁で
本丸中丸(本丸北側にある曲輪)側を仕切っている土塁らしきものが
描かれている。しかし、石積みがあるようには書かれていない。
なんだよ、これも石積みで覆われていたんじゃん。ちゃんと今でも残ってるし
はっきりと分かる遺構なんだからポイントとして本に紹介しておいてよと思った。

上の写真では分かりづらいかと思ったので、加工してみた。

竪土塁
竪土塁(北側、写真加工)

上のほうは、すでに遺構が失われているが、石積みがある下方は
顕著に残っている。ただし、これは当時よりかなり低くなっていると思う。
もっともっと高さがなければ、これでは侵入者を防げない気がした…

近世城郭というか倭城で発達した登り石垣が慶長に築城されたお城に
採用されているのは今まで目にしたことがあったけど、こうした中世の城郭で
土造りの竪土塁、しかも石積みで囲われているのは初めて見た。
(そりゃ~そうだわなぁ~こういった城、あんま行ったことないもん)

本丸は大広間より幅が狭いので、こうした土塁を本丸側から延ばし、
敵が侵入できないようにしたんだろうな。だから通った道がクランク状に
なっていたんだと思った。往時は道などなく、もっと土塁が塞いでいたかも
しれないが、今となっては整備の結果か、多少回りこむ形になるが、通れる
ようになっている。

この石積みは通り過ぎて分かったので、反対側はどうなっていたんだろう?
なぜ通るときに気付かなかったのか?と思って、先ほど通りすぎる前の場所、
反対側に再度戻った。

IMG_1090.jpg
▲竪土塁(南側)

反対側に回りこむと、石積みは確認出来なかった。
その代わり、石積みに使用されていたであろう石が散乱していた。
この付近にだけ固まって石が散乱していることから、本丸を覆ってた石積みか
竪土塁を補強していた石積みであることは間違いないと思われる。

この発見は今まで攻城してきた中で一番嬉しい発見だった。

この土塁を通り過ぎるところまで戻ると、西側に御局屋敷跡の立札があった。


御局屋敷

IMG_1072.jpg

>御局屋敷跡
>本丸の西下にある曲輪である。御馬屋跡から続く帯曲輪で本丸を守るために
>設けられた。谷から帯曲輪までは何本かの竪堀が配置されている。
(立札より)

桜馬場から北へ続く帯曲輪がこの付近まで続いている。
その帯曲輪の一番北の削平地が御局屋敷跡とされ、名の通り
女房(お市?)などの居所と言われているが、実際ここに住居
していたかどうかは謎とされている。

平時は確かに御局という名前だけあって、確かに住んでいた可能性も
あるかもしれないけど、戦時は違うと思う。だって、信長は清水谷から
せめているんだから清水谷方面(小谷城主要部西側)にある帯曲輪
奥方なんかを置いておくわけにはいかないでしょ。

実際、竪堀なんかは小谷城主要部西側に多く掘られていて、
防備を固めているわけだから…

これも小谷城絵図から付けたれた曲輪名なんだろうか。
小谷城絵図を見てみたが、この御局屋敷跡に当たる場所に
そういった名前は小さすぎて見つけられなかった。

御局屋敷跡へと下りたかったが、下り道がどこか分からない。
整備されていないのか?と思い、下りるのは諦めた。

次回、大堀切へと続く。



To Be Continued...



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