#oshiro/城郭記
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Author:#oshiro
―城郭数寄者
城郭(最近は近世が特に…)と数寄建築・茶の湯が好きで、各地のお城や茶室を巡っています。中世城郭も好きですが、今は写真メインで巡ることが多く、土造りの城より石垣が築かれた城に足を運んでいます。
[注意!!]元々理系なため、文章がメチャメチャ下手糞です。と、ここで保険をかけておきます。



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大木本神社・世々開長者
#35 大木本神社・世々開長者 【小谷編】

虎姫駅から北東へと歩を進めると、何か神社が見えてきた。

この日は虎御前山城、その他浅井氏支城以外はほぼノープランだったので、
道中にある寺社仏閣には寄るかどうか悩んだが見過ごすのも何か嫌な感じが
したので立ち寄ることに。

ふと、ここどこだろうと思って、虎姫駅前にあった案内図を撮った写真を
見てみたが、これらしきものは載っていない。

IMG_0655.jpg

大木本神社」とある。
特に現説というか解説の類いは見つけられなかったので、
そのまま参道を奥へ歩いていった。

IMG_0657.jpg

こちらが拝殿かな?と思いながら、一応参拝しておいた。
よく東照宮などに行くと石燈籠に奉納した武将などが名前を入れているけど
ここの燈籠にそれらしい名前などはなかった。(ちなみにこの後小谷編で出て
くる寺・神社には脇坂片桐など元浅井氏家臣だった人たちの遠戚っぽい人
たちの名前が現れてくるが、まだまだ先のこと。後述予定)

奥へ廻ってみると、この拝殿につながって本殿が見えてくる。

IMG_0658.jpg

予想外だったんだけど、規模が大きい。
鳥居前の石碑には“村社”と書かれていたんだけどな。

後日ネットで検索して知るんだけど、この神社・大木本神社所蔵で浅井久政
奉納した鰐口<わにぐち>があるらしい。小谷城北にある和泉神社に浅井氏が
奉納した鰐口があるのは知っていた。ここについては後述予定だが、そこに奉納
された鰐口がここにもあるということはこの神社、浅井氏にはかなり手厚く保護
されていたんじゃなかろうか。

見学終了後、目的地へと進んでいく。

そこから、てくてく歩くこと10~15分。
川が見えてくる。

IMG_0659.jpg

田川”という川で、虎御前山の東から南を流れている。
現在いる場所は虎御前山の南に位置する場所で、虎御前山には小谷城攻めの時、
信長が築いた虎御前山城が今も遺構を残しており、ここからさらに南下していくと、
元亀元年、信長・家康連合軍と朝倉・浅井連合軍が戦闘を繰り広げた姉川がある。
また、琵琶湖東を走る北陸本線に沿って、大きい高時川が南北に流れている。

姉川・高時川・田川と河川が多いこの地は、前回の記事・虎姫で書いたように
虎御前伝説のような大蛇に関する昔話や言い伝えが数多く残っているらしい。

蛇と聞くとマイナスイメージ(真夏の山城の天敵)があるけど、一方池や沼などの
水辺に生息することから、水の精霊・水界からの使者とされ、川や湖などの水の
守る神として古来から尊ばれている。大きな川や湖、池がある地域では蛇や龍に
関する伝説が多いんだとか。

出雲大社なんかがそうかな。行ったことないけど、あそこも蛇や龍を信仰している。
近くには、宍道湖や日本海が近いっていうのが理由の1つなのかな。

で、話逸れたけど、この川を渡ると、虎姫1つ目の史跡がお出迎えしてくれる。
と言っても、石碑onlyだけどね。

IMG_0663.jpg

この写真サイズだと何て書いてあるか分からないかな。
えぇ~っと、石碑には“世々開長者疏水偉功碑”と書いてある。
あれ?世々開長者って聞いたことが…と思った人、そう前回の虎姫の記事で
出てきた虎御前の旦那さん。

えっ?じゃあ実在の人物?と思うかもしれないけど、まだ実在の人物かどうかは
分かっていない。じゃあ、この人何した人なの?と思うよね。

これも伝説なんだけど「世々開長者伝説」っていうのが、この地には残されている。
虎御前伝説が伝わるこの虎姫町中野(今いる場所)は、虎御前山の麓に位置し、
古くは水の便が悪く、大変悩まされたらしい。これを憂いた世々開長者は、
自らの資金を提供して灌漑のための水路を掘削し、前述した高時川から水を
引くという大事業を行った人だと知られている。

この時、高時川を支配していたのが井口越前守弾正で、
浅井氏と婚姻関係を結んでいる浅井氏家臣。詳しくは、
この井口氏館跡の記事で書くので、ここでは省く。

世々開長者はこの井口氏に綾・錦・絹をそれぞれ千駄ずつ贈って
水利権を獲得したと伝わっているらしい。“千駄”とは、牛や馬1000頭分
の量で、もはや伝説の域…でも、それだけ莫大な資材を投じたことが伺える
話だと地元では親しまれている。

ちなみにこの碑がある横にはお寺(専宗寺)があったけど、そこの見学はしなかった。
脇には中野区の住宅案内図があって、世帯主の名前が書かれているんだけど、こういうの
書いていて大丈夫なのかな。郵便配達には便利だろうけど、防犯にはねぇ…

これで見るものもないかなぁ~って思い、虎姫時遊館へ向かって行くと、
たまたま民家の庭先に目がいった。何故だかは分からないが、ただならぬ
ものを感じた。

IMG_0667.jpg

行ってみれば、石積みで囲われたただの井戸。
特に水も溜まっておらず、静岡の諏訪原城にあったカンカン井戸
思わせる。と言っても、深さはあっちのほうが全然深いけど。

写真の上あたりに石碑がちょこんとあるの見えるよね?
拡大してみると、

IMG_0668_20120411214033.jpg

文字全ては読めないが、○×△開長□※渇水☆と読めなくもない。

ということは、これも世々開長者絡みの史跡の1つとでも
思っていいのだろうか…

ただならぬものと言う割には、こんな井戸でゴメンナサイ。
もしかして虎御前が身を投げた女性ヶ淵っていうのはここ?

なわけないか。



To Be Continued...



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