#oshiro/城郭記
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Author:#oshiro
―城郭数寄者
城郭(最近は近世が特に…)と数寄建築・茶の湯が好きで、各地のお城や茶室を巡っています。中世城郭も好きですが、今は写真メインで巡ることが多く、土造りの城より石垣が築かれた城に足を運んでいます。
[注意!!]元々理系なため、文章がメチャメチャ下手糞です。と、ここで保険をかけておきます。



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虎御前山城-1/多賀貞能陣地跡①
#38 虎御前山城-1/多賀貞能陣地跡① 【小谷編】

虎姫時遊館を出て、三川港の碑があった橋の方まで戻る。
橋を渡り、真っ直ぐ虎御前山の方へ歩いて行くと、車道が
上へと登っていくようになる。

IMG_0691.jpg

ここが虎御前山の登り口。

以前、2011/11/27の小谷城攻城記事に虎御前山城の登り口について
少しだけ触れたけど、あれはこの山の北側にある登り口でココとは違う。

今回は、この南側の麓にある登り口から登っていく。
前回の記事・虎姫時遊館でジオラマを見たけど、虎御前山は南北に連ねる
カブトガニみたいな山で、しっぽのような形をした南側から登ると、頭の
先の北側へと抜けることが出来る。また逆もしかりで、北側から登れば、
南側のこちらへと抜けてくることが出来る。

なので車や自転車で来るには、ちょっとヘビー。いやヘビーというか計画が
立てづらい。また同じ麓まで戻ってくるよりは、虎御前山を縦走してしまい、
反対側に出ることのほうが、時間を有意義に使えることは間違いない。

なので、今回はレンタサイクルを利用しなかった。

プランは虎姫駅から歩いて、虎姫時遊館を経由し虎御前山城の縦走、
そしてその北に位置する浅井氏の支城、中野城・丁野山城を攻略する
のが目的。そして帰りは河毛駅から名古屋へと帰る予定。

と、こんな感じでまずは虎御前山城の攻城開始。

P1050538.jpg
▲虎御前山南麓にある案内図

まずは、この案内図がお出迎えしてくれ、士気を上げさせてくれる。
南の多賀貞能陣地跡から北の木下秀吉陣地跡・柴田勝家陣地跡まで、
縦走しながら楽しめる。

登城口の写真に見える右の道が車道で、左側の石燈籠がある石段が、
この案内図に見られる矢合神社の参道となっている。
(写真小さすぎて、分かりづらいか。)

この2つの道が後で合流することになるのかならないのか今は分からないが
とりあえず参道の道を選んで登ることにした。車道は邪道?、なんてね。

IMG_0693.jpg

数段登ると、大鳥居が待ち受けている。これが矢合神社の大鳥居で
虎御前山城は、最南端に位置するこの矢合神社の参道・大鳥居あたり
からはじまる。

『図説中世城郭辞典(以降、資料Ⅰと称す)』には、この大鳥居付近には
土塁跡と見られる箇所も残るが、人に踏まれて低くなり判別し難いとあった。

IMG_0694.jpg
▲矢合神社大鳥居付近の土塁らしき痕跡

確かに。
ところどころ盛り上がりを見せるが、これが往時のものなのか
後々の開発によるものなのか素人目では区別出来ない。

で、この大鳥居からは奥の社殿へと参道が続いている。

IMG_0698.jpg

全く社殿の影像は見えない…
上の写真、あえてちょっとズラして写したけど、左側が本来の
参道で右側が参道ではないけど歩けるような道?が出来ている。
これ何だろう?という疑問を最初思い浮かべたが、右側のほうが
砦の旧状を留めていると言ったほうが相応しい。(相応しいと
思うだけで、遺構ではないと思いますのでご注意をば。)

で、この左に写る参道はと言うと、後世削られたものと言われており、
右側に見える大地がこの参道っかわへと続いていたんだと思われる。

この参道が少しばかり続く。
と言っても、5分歩かないうちに何やらおかしな構造物が見えてくる。

IMG_0701_20120417122045.jpg

手前に草が生い茂っていて、分かりにくいけど、
コンクリで固められたものが見える。

これなんだろうなぁ?などと考えながら、このコンクリ建造物の
最北部に到達すると、登り口が現れた。

IMG_0703.jpg

登れるように丁寧に整備されている。
最初は登るかどうか迷ったが、これくらいの道草ならOKかなぁ~
っていう結構安易な考えで登ることにしたが、これがビンゴだと
は思わなかった。

登りつめると、石碑がある。
ここがまず最初に虎御前山南麓から攻城するとたどり着く多賀貞能陣跡
まさかここに石碑があると思っていなかったので、直感に従って良かった。


多賀貞能陣跡

IMG_0704.jpg

陣地跡碑と脇には解説がある。

>多賀貞能<さだよし>
>近江?
>?~天正十五年(一五八七)
>豊後守貞隆の子。近江高島郡を領し各地を転戦する。
>元亀三年(一五七ニ)の江北出陣に際し織田信長に従軍、虎御前山に
>陣を構え、戦功をあげた。しかし、天正十年(一五八ニ)の山崎合戦
>に際し、明智光秀に応じたために戦後所領を没収され、京都東福寺
>に蟄居の身となった。貞能には男子がなく、堀秀政の弟秀種を養子に
>迎えている。
(現地解説板より)

虎姫館にもこの人の解説があったが、内容はほぼ同じ。

石碑がある位置から南は、さきほどコンクリで囲まれた高台に
当たる。その高台南先端まで行って、南側を俯瞰すると、

IMG_0714.jpg
▲高台から南方を望む

先程歩いてきた道が右に見え、参道脇にあった歩ける道はこの
コンクリ建造物まで続いてきたことが分かる。木々に遮られて
南の市街地は全く見えない。

今見ている方角が、横山城姉川合戦地があった場所になる。
じゃあ北側の眺望はと言うと、眺望どころかただの虎御前山尾根続きで特に
感動するものは何1つとしてない。いや、あるかもしれない尾根フェチなら…

この虎御前山は、標高約220メートルの山なんだけど、その最高所に
当たるのが織田信長陣地跡で、そこから南北へは下っていく。
なので、今いる位置はその最高所から南に位置する場所で、これから
信長陣地へと歩いて登っていくので、どんどん上り坂になっていくの
は間違いない。

ここで南(正確には東南)側の眺望を意識したのには理由があって、
前回の記事・虎姫館でもちらっと出てきたけど軍用道路が虎御前山から
横山まで宮部を経由して敷設されていたことが信長公記に記述されている。

横山は浅井氏の支城・横山城があり、すでに虎御前山築城時には信長の
手に渡っていて、宮部には浅井氏家臣宮部氏の館があったが、すでに
秀吉の調略で信長方に降伏していた。

それらを結ぶ道路がここから当時は望めたんじゃないかなーって思うと
ゾクゾクするよね。

ちょっとでも長期戦になるのであれば、そこに滞在する時間が長くなって
現代と同じように食住が大事になってくるからね。

そこいらの近世城郭に行けば、自販が城内にあったりするけど、山城
なんかに1日かけて登ろうもんなら、水分と栄養が必要になるでしょ。
それと同じ。(実際、この2つがなくて死にかけたことがありますが…)
1泊するならテントもいる。

だからこうした付城や野戦築城される陣城にはちょっとした建物・蔵
なんかが必要になってきて、さらにはそれらを囲い込む防御が必要に
なってくるので空堀・土塁なんてものが出来上がってくる。当然、
それらを攻撃しに敵さんもやってくるわけだし。

そんなわけで、横山と虎御前山を結んだ道路で兵の行き来、食物の行き来、
それらを想像してみると「うぉー」って感動する場面なんだけど、残念ながら
全く見えない…

で、そんな補給が出来るような道路を、浅井さんがたも黙って見てたわけ
じゃなくて、ちゃんと攻撃を仕掛けてきてる。

山を叩くよりは、平地で叩く方が簡単だもんねぇ。

けど失敗に終わってるみたいその攻撃は。秀吉に阻止されて。

だから、今回の攻城記は“攻める”というよりは、“補給する”っていう
主眼に近い。名付けて“補給記”。

そうそう、小谷城虎御前山城の関係を桶狭間合戦で例えるなら、

・小谷城 = 大高城(守城側)
・虎御前山城 = 丸根砦、鷲津砦(攻城側)

の関係かなぁ~

ここから少し下り、このコンクリ建造物を見上げてみた。

IMG_0708_20120417122147.jpg

最先端部はコンクリで覆われておらず、土造りの坂道となっている。
右(東)側面もコンクリでは覆われていない。

コンクリはただの土留めで、石垣の応用みたいなものか。

写真に写る坂道の左側には少しばかりススキが生えていた。
この時は、大河「清盛」が数話放送されていたときだったので、
あの歌を口ずさんだ。

♪あそびを~せんとや~うまれ~けむ

1人だったけど、周りには誰もいなかったので陽気な気分で
この後も歌い続けた。

このコンクリで補強された頂部は、

IMG_0709.jpg

平坦地となっており、四阿が建っている。一休みするにはもってこいだけど、
まだ攻城開始して数分しかしてないし、まだお昼には早すぎる時間だったので
このまま先へ進んでいくことにした。

石碑の裏には、下の写真に写るようなポコンとお腹が出たような
感じの丘があり、形状は丸い。

IMG_0716.jpg

丘っていうよりは何だろう。盛土って表現したほうがいいのかな。
で、この上に登ってみた。

IMG_0719_20120419124914.jpg

これから行く矢合神社境内が見渡せる。まず思うのが結構広いってこと。
境内って言うと語弊があるか、駐車場かな。手前の八の字状に広がってる
スペースは。

奥の方にまた鳥居があるのと、そのさらに奥に社殿があるのが見えるなぁ~

丘から下りて次は矢合神社へと向かう。

ちなみに今登ってきた丸い丘と、その前に歩いてきたコンクリで固められた
四角い高台。これを組み合わせると、なんと前方後円墳!!

丸山古墳からは徒歩30分もかからない位置にまた古墳。
ホント古墳が多いなぁ~



To Be Continued...



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