#oshiro/城郭記
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Author:#oshiro
―城郭数寄者
城郭(最近は近世が特に…)と数寄建築・茶の湯が好きで、各地のお城や茶室を巡っています。中世城郭も好きですが、今は写真メインで巡ることが多く、土造りの城より石垣が築かれた城に足を運んでいます。
[注意!!]元々理系なため、文章がメチャメチャ下手糞です。と、ここで保険をかけておきます。



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三川港・丸山古墳跡
#36 三川港・丸山古墳跡 【小谷編】

世々開長者の井戸跡?から田川沿いに東へと進んでいくと、
虎御前山城への登り口が見えてくる。

そこはまだまだ後回しにし、とりあえず虎姫時遊館へ向かう。

途中、田川の上に架かる橋を渡ることになるが、『小谷城と城下をゆく』を
見る限り、この辺は港跡と呼ばれていた場所に当たるんだけどなぁ~なんて
考えながら、何か現説みたいなものないかなぁ~と物色していたら、橋の
近くで見つけることが出来た。

IMG_0677_20120413203017.jpg
▲田川近くにある三川港解説碑

>三川港について
>かつて田川は、屈曲の多い河川であったため、水の流れが大変緩やかで
>舟の運行には好都合でした。交通運輸の便がまだ発達せず、人馬に頼る
>しかなかった時代、ここ田川は浅井郡の人々にとって重要な交通機関と
>なっていました。口伝によると、江戸時代、各藩の村々から集まった年貢米
>や諸物資が三川港から積み出され、姉川を経て、南浜(現びわ町)で大船
>に積み替えられて大津まで運ばれたといいます。三川港は貨客の集散地
>として賑わい、舟の出入りも盛んだったようです。しかし、後世の田川改修
>工事や鉄道の発達により、田川は交通手段としての役割を終え、今はその
>面影を知ることはできません。

そうそう前回まで出てきた虎御前伝説などの川や湖がある場所での蛇や龍
などの伝説は、こういった“屈曲(蛇行)”してた河川が“蛇”のように見えると
ことからもきていたんじゃないかっていう人の意見を聞いて、ほぉ~なるほど
と思ったことがある。

まぁ知ってると思うけど、河川は昔から重要視されてたんだよね。
滋賀の近江八幡城、よく観光ガイドで目にするあの八幡堀と商家のセット。
あれに写る八幡堀と呼ばれる水堀は防御の役目も果たしたが、大きな効果を
果たしたのが水運としての役目。琵琶湖を往来する商船を寄航させるために
設けられ、城下町が栄えていった。

また、秀吉が建てた伏見城も城の近くまで商船が来れる様に水を引き入れ、
伏見港を開くなど、水路交通の要衝となった。江戸時代は大坂とつながる水運
の都として栄えてくんだけど、司馬先生の「竜馬が行く」では剣術修行で土佐を
出た龍馬が大坂まで行き、そこから三十石船を利用して伏見まで移動している
ことが描かれており、フィクションものとは言えども、水運の栄えているぶりを
想像するのに役立つ。

今いる虎姫(小谷)もこの田川を利用して水運が発達していたのは
容易に想像が出来る。

実際、小谷城に詰めていた浅井氏のこういった琵琶湖や河川の水運で
利益を得ていたという話を目にしたことがある。

世々開長者はこの港で舟問屋を営んでいたとの伝説もあるらしいので、
やはりここもその時代、積荷の上げ下ろしで賑わってたんだろうなぁ~
なんて想像してみた。

渡川すると、姉川地区と餅の井地区が合同で建立したと思われる碑がある。
特にこれと言って、「へぇ~」と思うようなことは書かれていなかった。
(餅の井っていうのは、前回記事に書いた井口氏・世々開長者ゆかりの地
で後述予定のため、ここでは省略)

その脇にポコンと小さな丘があった。

IMG_0682.jpg

これが何かを見てビックリ!!
これ古墳だ、と?超ちっちゃいじゃん!!

これまで古墳を…少ししか見たことがないな。
最近で覚えてるとしたら、今年2012年秋に映画公開される『のぼうの城』。
あれの舞台である埼玉県行田市の忍城、そこを攻める際に、石田三成公が
陣を敷いたあの丸墓山古墳。あそこは2010年に行ったことあるけど、あそこに
比べたら全然小さい。何100分の1だよ!!って、突っ込みたくなってくる。

見た目の感想だけが、先行してしまったけど、
自分が立つ道路側に、この古墳に関する解説があった。

>丸山古墳跡
>丸山古墳は虎御前山の最南端に位する独立丘陵通称丸山の頂上に
>古墳時代初期(約1600年)前に築造された日本最古の古墳であり、
>墳形は円墳といわれるものである。内部は粘土槨と思われ、木棺
>の周りを粘土と朱で固めたものと推定されている。多数の土器片と
>ともに発掘された青銅製の唐草紋縁細線式獸帯鏡は日本最初の
>発掘物であり、国の重要文化財に匹敵するものである。
>想うに、こゝに先人が住して以来幾星霜時移り世変り、この地も
>時代とともに農業構造改造事業により変貌しようとする時先人の
>生活を偲び元の地に古墳の形を造り、聊か碑を建て末永く後世に
>これを伝えんとするものである。

日本最古の古墳がこんなところにあんの?
ウソでしょ。古墳に詳しくないから分からないけど、
古墳ってもしや築造年代がはっきりとしていないのかな。
だから古いタイプは最古とかうたっちゃうんだろうか…

国の重要文化財なんだぁ~って読み進めようとしたら
「匹敵するものである」なんて書かれてるし。

紛らわしい。

これはこの地に残っていたわけではなく、碑にもあるように“跡”なんだな。
てことは、この大きさではなかったかもしれないのか。

よくよく考えてみたら、滋賀県ってやたら古墳が多い気がする。
以前にも祠が多いっていうような内容を書いて、さらには今回古墳の話。
ちなみにこの後に行く虎御前山城は古墳を利用して築城されている。
いや、利用という言葉が正しいかどうか分からないけど。

こーゆー平地にあるケースは滋賀では今回が初めてだったけど、
小谷城がある小谷山に古墳群があったり、志賀の陣朝倉方が陣を敷いた
壺阪山城は縄張からも古墳を利用したのがモロに分かる様相。
山本山城にも古墳がある。山本山城から賤ヶ岳までの間の尾根上には
古墳群があって、近年まではそこが滋賀県で多く密集した古墳群だった
なんていうことが有名だったらしいけど、今はね別の場所…ゴニョゴニョ
これについても後述予定。

てなわけで、“滋賀県の城跡歩けば古墳に当たる”ってゆーくらい
古墳多いから、是非気にしながら歩いてみては?なんてこと思う。

あぁ、古墳を利用した有名なお城忘れてた。
あの大坂城も古墳が元になってるって言うしね。
古墳を利用して城を築くのは常套だったのかも。
もしくは建てようとするところに古墳ありってことなのかな。

そーこーするうちに、ようやく本来の目的地・虎姫時遊館にたどり着く。



To Be Continued...



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