#oshiro/城郭記
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Author:#oshiro
―城郭数寄者
城郭(最近は近世が特に…)と数寄建築・茶の湯が好きで、各地のお城や茶室を巡っています。中世城郭も好きですが、今は写真メインで巡ることが多く、土造りの城より石垣が築かれた城に足を運んでいます。
[注意!!]元々理系なため、文章がメチャメチャ下手糞です。と、ここで保険をかけておきます。



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小谷城攻城プロローグ
#01 小谷城攻城プロローグ 【小谷編】

2011/11/27―

この日は長浜地方に晴れマークがついていたので、急遽小谷へ行くことに。

名古屋から鈍行で約1時間40分。
河毛駅にたどり着く。

しかし、現地に着くと、あいにくの曇り。この日は陽が射したり射さなかったりだった。
滋賀の天候って、変わりやすいんだなぁ~

河毛駅に着いてすぐ、レンタサイクルをしている河毛駅コミュニティハウスがあるが、
借りられる時間までは、まだ多少時間があったので、トイレに立ち寄った。

IMG_0465.jpg

壁には......

IMG_0466.jpg

おぉ~三盛亀甲剣花菱紋(浅井が用いた家紋)。

そこからロータリーに出ると、浅井長政・お市様の銅像がある。

IMG_0469.jpg

そうこうしているうちに、レンタサイクルを借りられる時間帯になってきたので、
コミュニティハウスの中に入った。

IMG_0471.jpg
▲河毛駅コミュニティハウス(どことなく城郭風)

レンタサイクルの貸し出しをお願いすると、返却時間は具体的に決まっていないという。
なんとアバウトなことか。
まぁ遅くなってもあれなので、だいたい17時くらいと記入しておいた。

一人1000円を先払いするシステム。返却後は500円バックなので、
実際レンタル料金は500円。
(サイトには使用時間で料金設定されている。詳しくはこちら→河毛駅レンタサイクル)

支払いが済んだ後、マグネットを差し出してきた。
マグネットは“家紋タイプ”と“お江ちゃんなどが描かれたキャラクタータイプ”の2種類あって、
「どちらか好きな方を選んでください。」というので、家紋タイプを頂いた。
(後で知るんだけど、このマグネットが博覧会で300円で売られている。ということは、
実質レンタサイクル代は200円…安い。もしかして博覧会開催期間中のみ?)

受付の人に、小谷城への登り方・周辺の状況を聞こうと声をかけたら、
「SL?」って聞かれた。いや、デジイチ持っているからって、SLに興味がある人とは限らんでしょ。
というかなぜSLが出てくるんだよって思いながら、『小谷城について』と再度尋ねた。

地図に書き書きしながら丁寧に説明してくれる。けど、建物内に人が徐々に増えはじめ、尋ねる人が
多くなってきたので最後は駆け足で説明されることになった。
理解できたかと言うと、ほぼ出来ていない。まっ、いっかぁ~って思いながら早馬で出発。

ちょい肌寒いけど、いい気持ちで走れた。

道中、石碑がある。

IMG_0475.jpg

小谷城跡はあっち』という矢印が書かれていて迷うことなく進むことが出来る。
(これで迷う人はよほどの方向音痴だろう......)

あぁ~、あの紅葉してる山って、虎御前山だなぁ~って思いながら走っていると、
何やら旗がある場所にたどり着く。

IMG_0476.jpg

うわぁー虎御前山砦跡の登山口だーっ!!と思って、心が躍る。
ここから約1時間か。結構かかるんだなぁ......
行きたい気持ちを、ぐっと抑えて小谷城方面への進軍を続ける。
(虎御前山砦を登城するときは南側からと考えていたので、北側へと抜けられるのは
便利だな。後々の攻城時の参考になった。)

虎御前山の東脇は北陸自動車道が走っている。
今、自分が走る道は、この自動車道に交差する形で、自動車道の下をくぐる。
そのトンネルを過ぎようとしたとき、
脇に何やら看板が…

IMG_0480.jpg

エッチマン!?何じゃそりゃ?ワシのことかいな。
ここら辺は、変態が多く出るのだろうか。じゃなきゃ、こんな看板ないでしょフツー
小谷城へ行かれる女性(自称を含む)は気をつけたほうがいいだろう。
(佐和山城近辺にも、こういう看板があったような…)

さらに進み、信号を過ぎたあたりに石碑を見つける。

IMG_0481.jpg

高札所跡

よく城下町などにある高札所跡かなって思ったけど、後で調べたら
これ江戸時代に立てられたものなんだとか。なので、浅井氏時代のものではない。
小谷城廃城後、城下町は秀吉とともに長浜へ移転していき、江戸時代に、
この周辺は宿場になったと言われるから、城下町の高札所跡ではなかった。

そこから少し走ると、清水谷へ続く道に出る。
さらに山裾を回り込み、博覧会の駐輪場へ止めようとしたが、行きたい場所の
小谷寺でも自転車を止められると警備員さんに聞いたので、一路小谷寺へ。
(小谷寺は次回記述予定)

小谷寺へと早馬を走らせていると、
道を挟んで両脇に石碑があった。東には、

IMG_0484.jpg
東本町跡

西には、

IMG_0486.jpg
西本町跡

位置的には清水谷道から南に行った場所にある。
本町とあるから、この走る道が本町筋にあたるのかな。
小谷って意外と石碑が各所あるんだなぁ~と思った。小谷城に行かれた方の
ブログやサイトを見ているとほとんどが小谷城内の石碑しか載せてないから、
城下町の石碑なんてないと思っていた。
現地でこうして発見できたのは嬉しい誤算だった♪

ちなみにここから南へ行くと、本町・呉服町という地名があり、
町場だったことを示している。今回は行けなかったので次回行きたいな。

というわけで、今回はここまで。

To Be Continued...



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大徳寺・高桐院
【大徳寺・高桐院(Date:2012/1/9)】

大徳寺と言えば、秀吉が信長の葬儀を行い、
菩提として総見院を建立した場所として自分は認識している。
また、千利休らの帰依によって茶道文化の拠点として発展したとある。

しかし、その総見院は通常は非公開。
秋の時期には、公開されているようだ。

戦国大名が建立した塔頭寺院23のうち、
常時拝観可の塔頭は4つ、高桐院・龍源院・大仙院・瑞峰院

なので、今回は大徳寺の塔頭の1つ・高桐院に行くことにした。

今宮神社にレンタサイクル屋で借りた早馬を置き、徒で向かう。

歩くこと、5分~7分くらいで着く。

IMG_6898.jpg
▲大徳寺・高桐院前

塀の軒瓦には「九曜紋」がある。

IMG_6903.jpg

塀に松の影が写りこむのもまたおつなものだ。

IMG_6904.jpg

なんで、「九曜紋」かを説明しておくと、
この高桐院は細川家の菩提寺だから。

細川忠興(三斎)が、父細川幽斎の弟・玉甫紹琮を開祖として建立している。

食い違い虎口の門を入ると、庭に出てくる。

IMG_6908.jpg

竹林があり、庭石の周りはきれいに苔が生えている。
苔というものは汚らしく思えるものだが、ここでは整備されて
宝石のように思えるくらい綺麗だった。

IMG_6917.jpg

この庭をまっすぐ石畳が通り、その間を歩いていく。

IMG_6915.jpg
▲井戸の遺構?と思われるものが参道脇にある

突き当たりで右に折れると、また門がある。

ここを過ぎると、建物への入り口が見えてくる。

IMG_6928.jpg

靴を脱ぎ、入場料を払い、建物を見学していく。

建物は客殿・書院・庫裡などがあるというが建築に明るくない自分は
サッパリだった......

建物の形は入場口から見て、「凹」のように表現できるだろう。
ちょうど下の辺の真ん中が入場口になる。ここから右に行くのと左に行くのと分かれるが、
順路としては右からのようだったので右から行くことにした。

入場後、すぐに庭が見える。

IMG_6932.jpg

途中、とあるポスターに目を留めた。
「そうだ、京都へ行こう」のポスター。
真っ赤な絨毯の真ん中を石畳が真っ直ぐ延び、その横を木々が覆い、
その木々にも赤い葉をつけ、先ほど見てきた景色が別世界だった。
紅葉の時期にまた来たいものだなぁ~と思った。

さて、そこから数歩行くと一際異彩を放つ間にたどり着く。
「意北軒」と呼ばれる書院だ。
(この間だけじゃなく、拝観した建物全体が書院?)

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書院は利休の邸宅を移築したものと言われている。
照明が暗く、襖画がぼんやりと浮き上がっている。

襖画は狩野永眞(探幽の弟)筆とされている。

広さは六畳の間が襖ぶち抜きで二室あるように感じた。
奥の間には掛け軸があり、これは大燈國師筆と解説があるが、「誰?」と思った。
書いてある言葉は「関」とある。生死のくぎりと説明には書いてあった。

さらに奥へ進むと、書院に続く茶室「松向軒」へと着く。

IMG_6944.jpg

書院は慶長二年(1602)移築とあったが、ここは寛永五年(1628)建立とある。
時差があるねぇ~あとから付け加えたのかぁ......
66歳の忠興作とも解説にあった。
利休七哲の一人だし、三斎流という茶道流派を興した人でもあるから
たまにここでお茶を飲んでいたのだろう......
戒名はこの茶室「松向軒」の名として残っている。
戒名は「松向寺殿前参議三斉宗立大居士」である。

ちなみに忠興は正保二年(1646)十二月二日、83歳で卒去している。
当時にしては、かなりの高齢だと思う。
お茶は健康にいいのだろう。

ここは忠興好みの二畳台目で、三畳の水屋が付いている。と現説版にあったが、
ピ~ンとこなかった......
かろうじて壁や天井に趣向が凝らされているのは分かった。

茶室を見終わった後は、入場した場所まで戻ることになり、
次は「凹」の左側半分を見ていく。

狭い廊下を歩いて、門戸から入ると、
三部屋からなる広い広間に出る。

IMG_6958.jpg
P1040137.jpg


二部屋の縁側からは一面苔で覆われた庭を一望できる。
中央には石灯籠がポツンと置かれている。
これが江戸時代初期に作庭されたものだろうか。

IMG_6973.jpg

庭には出れるようになっていて、スリッパを履き、
庭を歩いていくと、仕切りがある場所にでる。

細川家の墓所である。

IMG_6980.jpg

入り口の門上の中央には細川家家紋「九曜紋」がくりぬかれている。
さらに、門扉には五七の桐紋がくりぬかれていた。

IMG_6981.jpg
▲墓所門扉にある「五七の桐紋」

忠興の遺言で遺骨は高桐院に埋葬されていると高桐院に入る前の
現説板であったが、ここにある現説版には遺歯が埋葬されているとある。

ちなみに、お墓は忠興とガラシャ様の合祀になっている。
この合祀されているお墓は石灯籠となっていて、大変趣がある。
こういう灯籠型のお墓は初めて見た。
(合祀は徳川秀忠と江の墓が最初かな......)

写真は載せない。(と言っても上の墓所門でちらりと写っているが)

今後はお墓の写真を一切掲載しないことにします。
なので、見たことがない方は是非足を運んで見ていただきたい。

この墓標となっている石灯籠は言われがあり、

別名は利休灯籠欠灯籠と言う。
利休が元々所持していた天下一の称ある灯籠で、秀吉が欲しいと懇願したが、
裏面にわざと傷を付け、傷物だからと秀吉の要望を断り切腹の際、
忠興に贈られたものだという。

お墓を囲う石塀の入り口には門扉も存在する。
左には「九曜紋」、右には「五七の桐紋」が施されている。

その脇には細川家歴代のお墓も存在する。
左から時計回りに、
十一代・斎玆、十代・斎樹、七代・宗孝、六代・宣紀、五代・綱利、初代・藤孝、
三代・忠利、四代・光尚、八代・重賢、九代・治年、十二代・斎護。

時計回りとしたが、円形に並んでいるわけではない。
中央の藤孝(初代)の左と右に三代~十二代が一列に並んでいる。

歴代の墓のさらに奥に、細川家とは関係なさそうな墓がある。
これは入る直前にあった現説版に書かれていた歌舞伎の創始者とされる出雲阿国の墓だと
後々になって思った(見たときは、はてコレは誰のだろう?と思ったので)。

ここまで来ると、奥はもう行き止まりなので折り返して墓所を出る。
行きには気づかなかったが、墓所門前に三斎井戸が目に前に表れる。

解説には細川三斎公墓所のためにあるという。
「?」と思った。

解説には続けて、
露地には色な形のとび石あり 人は石の上を歩く。
とある。はっ!しまった!!飛び石をそれて歩いてしまった......
その後は庭を、飛び石の上を歩きながら奥に進んでみることにした。

最初に見た庭を過ぎ、さらに奥へ行くと門があった。
しかし、門の向こうには行けなさそうなので
ここで折り返すことにした。

近くに学校があるのか、部活をやっているような生徒の掛け声が聞こえた。

もと来た道を戻り、入場口まで戻り、御朱印をお願いすると同時に
張り紙に気づく。「御朱印は入場時に預けてください。」とあった。

>御朱印は参拝後が基本。
>ただし、場所によっては預けて参拝するところもあり。
と本で読んでいたので、ここでは後者だと思った。

拝観後だったので多少時間がかかると係りの人に言われても、
お願いすることにした。

高桐院の記事はここで終わり。
最後は高桐院前にいた子猫ちゃんで結とする。

IMG_6899.jpg
▲高桐院前にいた子猫ちゃん

この後は、今宮神社に戻り早馬に乗って千本通を南進し、出世稲荷神社へ向かう......

To Be Continued...は、いつになることやら



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安居神社
【安居神社(Date:2011/10/9)】

前述した天王寺公園から徒歩で約15~20分くらいだったかな......

次の目的地に到達。

IMG_8080.jpg

写真見て分かると思うけど、安居神社という神社。

ここは真田幸村最後の地と伝えられているから、足を運んだ。

幸村は天王寺口の戦いで疲弊し、茶臼山から北のここ安居天神で休息中、
茶臼山で戦った越前兵に討ち取られたと茶臼山古戦場跡に書かれてあった。

さて、ここから実は奥に入っていくわけだけど
結構分かりにくい所にあるんだなぁ~って当時は思った。

この碑がなきゃ、通り過ぎてたかも......

で、奥に進むと

あったあった

IMG_8082.jpg

真田幸村の像と石碑

なんでも立つ前は、一口募金してたとか。(後で知った)
最近多い「一口城主」ならぬ「一口像主」とかやればいいのに~って思った。
真田ファンの女の子多いと思うからさぁ~

一口像主で1日なんでもしてOKって言われたら何するのか分かんないけどね、正直。
まさか境内で放送できないような事はやらないと思うけど......

話がそれちゃったから、元に戻すと、
この像、説明書きに「触っていいよ!!」って書いてある。

だから触ったよ

はい、お手!!

IMG_8087.jpg

お手てには六文銭......
ふむ。いい味だしてるな、お主。

もうちょっと幸村氏に近づくと......

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こんな感じ。これ、あの人に似てるよねぇ~!?
あの芸能人。

そう、伊武雅刀......

どこがとは言わないけどね。

でも、ちょっと違うところを発見。
後ろ姿はねぇ~

IMG_8102.jpg

こんな感じ。伊武雅刀は、こんな頭してないもんねぇ~

ゲームしないから、分からないけど戦国BASAR○や戦国無○では
カッコよく描かれてんでしょ!?

でも大阪の陣の時はもう齢50近かったから、この姿で銅像が立っても仕方ないよね。

境内の案内板を読むと、境内にあった一本松の下で戦死したとある。
その時の松はもう枯死したが、社殿復興記念で植樹されている。

その松はどこに?と思って見まわしたが、なかった......ような気がする。

さて、神社の社殿はというと、

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社殿の前には絵馬が置いてあって、500円納付すれば持っていけるということだったけど
自分は、後ろにあった社務所で購入した。

外に置きっぱのやつよりはいいよねぇ~

で、その社務所の人に虫よけスプレーを借りたんだけど、時すでに遅し......
めっちゃカユい(T△T)

すでに負傷済みだったが、お気持ちが嬉しくて、
シューとスプレーしておいた。

これで、安居神社は終わりなんだけど、
続きはオマケ♪

ここからは観光ということで、通天閣に向かった。
長くなるといけないので、徒歩何分とかは省略。

最上階の展望台東側は萌えスポット......

真東には、茶臼山が見え、

IMG_8108.jpg

北東には大坂城を俯瞰することが出来る。

IMG_8109.jpg

つまり、妄想力があれば、大阪の冬の陣が見えてくるかもしれないっていうこと。
距離感もだいたいつかめるしね。

ちなみに通天閣展望台東側の柱2本にはそれぞれ
葵の紋と六文銭の紋があり、説明書きもあります。

さぁ~て、これで2011/10/9の大阪史跡巡りは終了~
2011/10/10の史跡巡りに続く.......



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天王寺公園
【天王寺公園(Date:2011/10/9)】

空堀商店街から、谷町六丁目 → 天王寺駅へと谷町線で移動...

天王寺駅の出口から少し歩くと、

目的地の天王寺公園にたどり着く

多分、普通の人ならここにピクニックや動物園を目的に来るんだろうなぁ(予想)...

だが、自分は違う。
150円を支払い、入園。

園内を散策.........

目的の物がなかなか見つからない。
というか人多すぎ(´Д`|||)

案内板を見て、目的地2つ確認。
よしっ

橋を渡ると見えてきた......
目的の1つ目。

IMG_8039.jpg

そう、これは旧黒田藩蔵屋敷長屋門

江戸時代中期の蔵屋敷長屋門で、
仲之島にあった福岡黒田藩蔵屋敷から移築保存されている。

当時の場所にないのは悲しいけど、消されてしまうよりは
移築保存されているだけでも、ちょっち嬉しい♪

で、何やら七福神の1人に出会った

IMG_8044.jpg

これって、大黒天......!?
なぜ、こんなものが!?

初めて見た、こんなの。
蔵屋敷と何か関係あんのかなぁ~って思った......

さて、ここ天王寺公園にはコレ以外に目的がもう一つ。

慶沢園に寄り道し、次なる目的地へ...

見えてきた。

IMG_8055.jpg

何を隠そうコレは...

茶臼山

有名な史跡スポットである。

大阪冬の陣では、徳川家康の本陣に、
夏の陣では、真田幸村の本陣になった小高い古墳跡

遺構はないが、家康本陣の台所跡が発見されているそうだ。

早速、登ってみる。

IMG_8058.jpg

道は途中まで石段なので、登るのは容易かった...
当時はなかっただろうけどねw

さて、高所はというと...

IMG_8060.jpg

こんな感じ......

何もないけどね
妄想力があれば、何か見えてくるかな?

木々が多くて視界は悪いけど、

方角的に、
北を向けば、当時の家康気分になって、豊臣潰すぞぉー!!、
南を向けば、当時の幸村気分になって、家康めぇー!!

ってね。

帰りは別の道を通って行くと、

があった。
(そういえば今まで出てこなかったな)

IMG_8064.jpg

この碑の横には、
大坂夏の陣 天王寺口布陣図もあった。

そっか、本来はココが入り口なのか......
まぁ最後に来れた訳だから、結果オーライか(^▽^)/

はい、これにて天王寺公園は終了~♪



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空堀商店街
【空堀商店街(Date:2011/10/9)】

真田丸跡を後にし、玉造駅から谷町六丁目へ地下鉄で移動...

次に行く場所は史跡に入るか怪しいけど、
お目当てはそう......

空堀商店街

ここは史跡に入るのか?と聞かれたら、
ちょっと答えづらいけど、
でも、名前の由来は大坂城空堀(南惣構堀)なんでしょ!?
だったら、ここも外せない史跡の一つ。

谷町六丁目駅から南にどんぐらいだったかな......
300~400mぐらいだったかな。
時間で言うと、7~8分?

てくてく歩いてくと、見えてきました...

IMG_8029.jpg

ちなみにですね、史跡という理由以外に、
ここへ来た理由がもう一つ...

そう、映画「プリンセストヨトミ」。

内容はここじゃ取り上げないけど、本編で空堀商店街大坂城などの
史跡がいくつか取り上げられている。
(そりゃ~そうだよね、豊臣家題材にしてんだから)

ここも真田丸と同じく、遺構はないんだけど、
一応、当時のがなんとな~く分かる坂が一応あるんだよね。

IMG_8031.jpg

ちょっと写真じゃ分かりづらいかな...
写真奥(南)に行くほど下がっています。

空堀商店街を歩いていると、とあるお店があります。

IMG_8032.jpg

お好み焼き「○△□焼冨紗家本店」です。

あっ、間違ってもココは大坂城の遺構ではないですからねw

小説のプリトヨでロケ地となった場所らしいです...
(らしいっていうのは、読んでいないからです)

早速、入店。
注文は、「とんとん焼き(1160円)」。

これが美味しかったぁ~

で、退店後は来た道を戻り、次なる目的地へ...

谷町六丁目駅に戻る時、空堀商店街の反対側のアーケードは
看板が違うことに気づいた。

IMG_8036.jpg

後で知りましたが、空堀には、
「空堀どーり商店街」「はいからほり」「空堀商店街」の3つの商店街があり、
1本につながっています。合わせて800m。

下記、空堀商店街HP引用…

“江戸時代の空堀は西半分が市街地(町人町)で、
東半分は武家屋敷街として整備されており、
現在でもその名残を随所に見ることが出来ます。”

あぁ~、見忘れたぁ......
名残がまだあったのかぁ~

またリベンジしに行かないと行けませんねぇ

まぁお好み焼き屋がすごく気に入ったので
見忘れてなかったとしても、また行く予定でしたけどね~(*´∇`*)

次回の更新、お楽しみに~♪



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